2009年03月04日

八月踊り U

をぅどぅらだな うりば     踊らないで居れば

しまや やまなりゅり      集落は山になる

でわきゃ ふりたてぃてぃ    さあ我々奮い立って

をぅどぅてぃ とよも      踊って轟かそう

・やま=やまは国語の山の意味もあるが方言の山は荒れ放題になる、藪の意味もあり、ここでは荒れ放題、悪霊邪霊が我が物顔で横行して人民に災難不幸を与えると考えていた。

 この俗信は奄美独特ではない古代貴族の文献に間々見える。

・とよむ=上代語の響む(とよむ)辺りに響き渡る多くの人が大声をあげて騒ぐ。この語は韻文にのみで普通には使われていない。

 昔は使用していたと思われる。

・をぅどぅらだな=踊らないこと。ここでは豊年祭りをしなければの意味。だな=為(た)+否定の「な」〜〜〜しない意味。




 意味 

 神祭りをしなければ、ここではウンミをしなければ集落・また各人に不幸・災難・災害が起こる。(昔の人は病気・死亡などの原因は悪霊邪霊の仕業であると考えたようだ)

 さあ我々全員喜び勇んで、太鼓を叩いて大声を張りあげて唄い踊って、悪霊邪霊を祓い、産土神を喜ばしお慰めして、神のお加護を受け、かつ、ご恩に感謝し報いましょう。


※ この歌詞で八月ウンミに対する当時の集落民の姿勢を伺うことができる。

 そのために昔は幼児から大人にいたるまで悔やみでない限り集落民全員がウンミには参加することが義務であると考え集落あげての大きな行事だ。
西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」 第101号 掲載



ラベル:西島 常吉
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八月踊り

 八月踊りのシーズンになりました。(10月9日、八月ウンミ)八月踊りの詩歌に次のような歌詞がある。

しまぬ いべがなし    集落の鎮守の神様

しままもてぃ たぼり   集落を守ってください

なぬか ななゆるや    七日七夜

ゆわてぃうえしろ     祝って上げましょう

・しま=国語の「島」の意味もあるが方言の「しま」はもっと幅が広く集落・郷里・出身地の意味がある。

・いべ=「威部」の字を当ててある。沖縄から移入された語であろう。沖縄の地名に散見された奄美では馴染みが薄い。

 意味は神・神の社。聖なるところ。聖所。鎮守の杜・神の宿るところの意味。いべかなしの替わりに「うぶすなかみ」とも唱えている地域もある。

 いべは国語の忌瓮(いんべ)と関係がある語かもと思われるが詳細は不詳。

・うぶすなかみ=上代語、国語の「うぶ」=生むと同源。産土神。生まれた土地の守り神。近世以降は氏神・鎮守の神と同意義(古語辞典)

・かなし=奄美方言の「かなし・がなし」は意味範囲が非常に広い。語源は上代語の愛し(かなし)赤子から最愛の妻・夫に対する愛称、神、王、太陽神などに対する敬称にも用いられる。

 意味集落の氏神様よ集落を守ってください。七日七夜祝ってあげましょう。

 この詩歌によって奄美の八月ウンミの目的がはっきりしている。単なる豊年祭祭りだけに限らず、集落全体の平和・安全・五穀豊穣・無病・息災を感謝・祈願する行事・古代人の心情が現れているように思われる。
                       西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」第101号 掲載 



ラベル:西島常吉
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埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡 U

otu isi090303.JPG


 上の図は、「埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡」で紹介した前島国秋氏が提供した石器で、「凹石・くぼみいし」と言います。

 食料加工用具、大きさは大小さまざまだが大体こぶし大より大きく堅い石が用いられる。

 形は扁球形、隅丸長方形で磨製石器が多く中央に浅い「くぼみ」がある。敲石や石棒とのセットで使用される。(喜界町民俗資料室保管展示)

 堅菓類や穀物を打ち割り、粉砕する台石との説がある。喜界島では最近まで宝貝などを割る台石に使用していた。

 また、凹石は火をおこす道具、火鑚杵(ひきりきね)の上端を押さえた道具とした説もあるが、喜界島では、専門家による火起こしに使用した形跡は見当たらないという。




otuisi090303d.JPG
 


上の図は、上嘉鉄遺跡出土の「敲き石・たたきいし」別名石槌とも言う。食料加工用具です。(所在不明)

 手に握ってハンマーとして使用した石器、形、大きさ、さまざまあり、凹石、石皿などのセットで用いられる。

 石斧が使用不可能となったものの転用もある。形は握りやすい棒状。扁平球状が多い。後世の杵の前身です。(ハンタ遺跡調査報告書)

                 西島 常吉



平成15年10月 「上嘉鉄魂」第65号 掲載 



posted by hathitu at 04:31| Comment(0) | 喜界島の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



posted by hathitu at 21:06| Comment(0) | 上嘉鉄魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
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2009年03月04日

八月踊り U

をぅどぅらだな うりば     踊らないで居れば

しまや やまなりゅり      集落は山になる

でわきゃ ふりたてぃてぃ    さあ我々奮い立って

をぅどぅてぃ とよも      踊って轟かそう

・やま=やまは国語の山の意味もあるが方言の山は荒れ放題になる、藪の意味もあり、ここでは荒れ放題、悪霊邪霊が我が物顔で横行して人民に災難不幸を与えると考えていた。

 この俗信は奄美独特ではない古代貴族の文献に間々見える。

・とよむ=上代語の響む(とよむ)辺りに響き渡る多くの人が大声をあげて騒ぐ。この語は韻文にのみで普通には使われていない。

 昔は使用していたと思われる。

・をぅどぅらだな=踊らないこと。ここでは豊年祭りをしなければの意味。だな=為(た)+否定の「な」〜〜〜しない意味。




 意味 

 神祭りをしなければ、ここではウンミをしなければ集落・また各人に不幸・災難・災害が起こる。(昔の人は病気・死亡などの原因は悪霊邪霊の仕業であると考えたようだ)

 さあ我々全員喜び勇んで、太鼓を叩いて大声を張りあげて唄い踊って、悪霊邪霊を祓い、産土神を喜ばしお慰めして、神のお加護を受け、かつ、ご恩に感謝し報いましょう。


※ この歌詞で八月ウンミに対する当時の集落民の姿勢を伺うことができる。

 そのために昔は幼児から大人にいたるまで悔やみでない限り集落民全員がウンミには参加することが義務であると考え集落あげての大きな行事だ。
西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」 第101号 掲載



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八月踊り

 八月踊りのシーズンになりました。(10月9日、八月ウンミ)八月踊りの詩歌に次のような歌詞がある。

しまぬ いべがなし    集落の鎮守の神様

しままもてぃ たぼり   集落を守ってください

なぬか ななゆるや    七日七夜

ゆわてぃうえしろ     祝って上げましょう

・しま=国語の「島」の意味もあるが方言の「しま」はもっと幅が広く集落・郷里・出身地の意味がある。

・いべ=「威部」の字を当ててある。沖縄から移入された語であろう。沖縄の地名に散見された奄美では馴染みが薄い。

 意味は神・神の社。聖なるところ。聖所。鎮守の杜・神の宿るところの意味。いべかなしの替わりに「うぶすなかみ」とも唱えている地域もある。

 いべは国語の忌瓮(いんべ)と関係がある語かもと思われるが詳細は不詳。

・うぶすなかみ=上代語、国語の「うぶ」=生むと同源。産土神。生まれた土地の守り神。近世以降は氏神・鎮守の神と同意義(古語辞典)

・かなし=奄美方言の「かなし・がなし」は意味範囲が非常に広い。語源は上代語の愛し(かなし)赤子から最愛の妻・夫に対する愛称、神、王、太陽神などに対する敬称にも用いられる。

 意味集落の氏神様よ集落を守ってください。七日七夜祝ってあげましょう。

 この詩歌によって奄美の八月ウンミの目的がはっきりしている。単なる豊年祭祭りだけに限らず、集落全体の平和・安全・五穀豊穣・無病・息災を感謝・祈願する行事・古代人の心情が現れているように思われる。
                       西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」第101号 掲載 



ラベル:西島常吉
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埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡 U

otu isi090303.JPG


 上の図は、「埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡」で紹介した前島国秋氏が提供した石器で、「凹石・くぼみいし」と言います。

 食料加工用具、大きさは大小さまざまだが大体こぶし大より大きく堅い石が用いられる。

 形は扁球形、隅丸長方形で磨製石器が多く中央に浅い「くぼみ」がある。敲石や石棒とのセットで使用される。(喜界町民俗資料室保管展示)

 堅菓類や穀物を打ち割り、粉砕する台石との説がある。喜界島では最近まで宝貝などを割る台石に使用していた。

 また、凹石は火をおこす道具、火鑚杵(ひきりきね)の上端を押さえた道具とした説もあるが、喜界島では、専門家による火起こしに使用した形跡は見当たらないという。




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上の図は、上嘉鉄遺跡出土の「敲き石・たたきいし」別名石槌とも言う。食料加工用具です。(所在不明)

 手に握ってハンマーとして使用した石器、形、大きさ、さまざまあり、凹石、石皿などのセットで用いられる。

 石斧が使用不可能となったものの転用もある。形は握りやすい棒状。扁平球状が多い。後世の杵の前身です。(ハンタ遺跡調査報告書)

                 西島 常吉



平成15年10月 「上嘉鉄魂」第65号 掲載 



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2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



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編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
posted by hathitu at 06:35| Comment(0) | 上嘉鉄魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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