2009年03月19日

尚徳王の喜界島平定(1466)

 『しまぬゆ 1 1609年 奄美・琉球侵略』を読むと

島の歴史にくわしくなりますよ。P91に琉球の尚徳王が喜界島を攻めたときのことが詳しく書かれています。

 尚徳王には兄二人がいたらしい。その兄たちを差し置いて三男の尚徳が王位を継いだのは21歳のときだそうです。


 兄二人は、謀反人、護佐丸の娘の子であったため、敬遠され王位にはつけなかったらしい。

 尚徳王は、1441年の生まれ、喜界島に攻めたのが21歳の若さです。

王位継承に疑問をもつものもいるなか、その者たちに自分の実力を見せつけてやるために尚徳自ら、喜界島平定(1466)に出掛けています。

 船50余艇、2000あまりの兵を乗せて喜界島に向かったそうです。

 喜界島の攻防は、『中山世譜』に詳しく書かれています。

 2月25日  那覇港を出発

 2月28日  喜界島至



 当時の船で3日間かかったことになります。

 喜界島の抵抗は激しかったらしい。矢石飛ぶこと雨の如く一歩も進むころができなかった。尚徳王は大いに怒り軍兵を励まし攻撃させたが、多数の死傷者を出したと書かれています。 


 尚徳王は、3月5日、奇襲作戦にでます。島の背後にまわるように炬火(きょか)を手に持たせて、軍を分けるように見せかけた。

 喜界島の兵士は、あわてて島の背後にまわったらしい。その隙を見て尚徳王の軍勢は、一気に上陸し、火を放って家を焼き、気勢をあげたらしい。

   


ラベル:尚徳王
posted by hathitu at 05:46| Comment(0) | 喜界島の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

八月踊りで子どもたちと交流




 3月19日、地区上嘉鉄センターで上嘉鉄小学校の6年生9名と上嘉鉄八月踊り唄保存会(高橋サダ会長)が八月踊りで交流しました。

 一月に小学校で行われた6年生の「すんがりがー」の発表を見た一部の会員が2月の練習会で「素晴らしかった!子どもたちだけで歌い、踊り、しかも意味の説明まで堂々とできた」と感想があった。

 誰からともなく「是非、一緒に」の声があがった。早速担任の原田ゆかり教諭に連絡をとると

「実は子どもたちももう出番はないの?と私に聞くほど得意にしていました。」と快諾の返事を頂いた。

 卒業式の3日前に行われた交流会には、9名の児童の保護者も数名参加のほか、ハンスウ喜界島交流会主催「春のハンスウ交流」で来島中の3名の留学生も加わり、総数は60名に盛り上がった。

 食事のあと、児童一人一人とオーストリア、香港、台湾からの特別ゲストが日本語と自国語で自己紹介。

 その後児童達による「すんがりがー」の発表と続いた。

 児童たちは一節ずつ歌ったあと、意味の説明を一人一人が行い、最後は全員で太鼓に合わせて歌詞を見ないで歌いながら踊ってくれた。

 地域のウジーオバーたちも大喜びで拍手喝采!「わちゃーかむ、こっと、かちじゃそう」(私たちよりずっと上手)の声も。

 そして、児童たちと一緒に二重三重の輪を作って皆で八月踊り、最後は六調、天草等で最高潮に盛り上がった。

 海外からの留学生も最初は戸惑っていたものの、そのうち自由に踊れる島の踊りに興味を持ち、

「とても楽しい、止まらなくなった」(香港の女性)

 子どもたちも「いろいろな踊りを勉強できて良かった」「とても楽しかった」などの感想を発表してくれ、会員からの「島の踊り、唄の後継者がいて本島に嬉しい。今年のウンミで一緒に踊ろう」「また子どもたちと交流したい」などと笑顔で話していた。

 中学生になっても引き続き足元の島の文化を学びながら学校の勉強に、その他の活動に頑張ってください。

生島 常範


平成13年4月1日 「上嘉鉄魂」 第35号 掲載

ラベル:八月踊り 香港
posted by hathitu at 13:28| Comment(0) | 上嘉鉄小学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

上嘉鉄のヤンガー

yannga-090312 abo.JPG


上嘉鉄小学校の県道の上にある上嘉鉄では、湧水量No1の湧水地です。

夏場ともなれば、親子連れが、網をもってグッピーを取っている姿が見られます。

 小さな淡水のエビも生息しています。

 私の職場の同僚は、淡水魚が好きでよく休日には、子どもさんを連れて、小動物を捕獲しては、水槽で飼って楽しんでいます。

yannga-090312 ad.JPG



yannga-090312kju.JPG






ラベル:ヤンガー
posted by hathitu at 19:11| Comment(0) | 上嘉鉄の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キカイジマ・キカイガジマについて U

・吾妻鏡(1188年3月5日)

 宇都宮信房、先月の頃、鎮西より書状を進ず、貴賀井島へ渡ることを申し上げた。去年、例の島の形勢を窺った結果、海路の次第これを絵図にして献上した。

 かの島へ渡ることは、難儀との諸人の話によって思いとどまっていたが。この絵図をご覧になって後、あながち人力を披露させる程でもないとのことで、再び追補を企てた云々。

 信房はこの大功によって賞を加えられた。

・吾妻鏡(1188年5月17日)

 遠島の一族家臣が、貴賀井島に渡り合戦を遂げ、かの島を降伏させたとの連絡があった。その功績によって信房に勲功を施す云々とあります。

・源頼朝下文「鎌倉遺文」(1192年)

 宇都宮信房に地頭を命じた文書

前地頭の貞種は、この度貴賀島に渡らず、又奥州追討の時も参会しなかった。この両度の過失によって、その職を停止し、代わって信房をその任に補する。
 
南界記


      平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載

ラベル:吾妻鏡 貴賀島
posted by hathitu at 05:54| Comment(0) | 喜界島の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

第10回 さわやか銀行杯において

(上嘉鉄東チーム3位入賞)
 主題の銀行杯は9月9日総合グラウンドで8時30分より開催されました。

 試合に先だって前日のコート作りがグランド使用中で出来なく当日の早朝6時より小雨降る中、役員の方々で行った。

 予定通り実施出来るか気がかりでしたが早々に参加した方々の加勢を戴いて、ようやく開会の8時30分に間に合いほっとしました。

 参加チームは40チーム、8ブロックに分かれてリーグ戦で行った。上嘉鉄からは上東2チーム、上中1チーム、上西2チーム計5チーム出場でした。

 
 入賞した上東チームは、1回戦で荒木チームに勝ち、2回戦で志戸桶東チームに勝ち、3回戦で中間チームに勝ちました。




 4回戦ではかつて郡体出場の経験を持ち、さらに年金友の会で優勝を果たし、鹿児島行きがすでに決定している強豪の嘉鈍Aチームにも勝ちブロック優勝を勝ち取った。


 勝・失点、勝率で優勝は赤連チーム、2位塩道チーム、3位上東チームで塩道とは1点差でした。

 試合に臨んで強豪の嘉鈍チームをどのような戦法で打倒するかと作戦を練った。しかも相手は先攻でベテランの1番が1ゲートを失敗し、こちら2番手が1ゲート先に通過し、2ゲートを陣取ることができた。

 3番手は3ゲートコーナーでダブルタッチを作らなかったので、この試合はうまくいくぞと思っていましたが、キャリアのあるベテランチーム、そう簡単には崩せなかったが結果は10対8の2点差で勝った。

 我がチームメイトはお互いに顔を見合わせ合って喜んだ。それを持続すべく次回の秋季大会では更に練習を重ねて頑張ろうと誓い合っています。

 それがお互いの健康づくりと親睦を深めていく一助となれば光栄です。

 私は係として二重の喜びを感じています。まずは天候の関係で実施できるかとの不安と準備が遅れて競技に支障を来すのではないかとの不安が重なりましたが皆さんのご協力でスムーズに運営ができたことを感謝しています。

 朝ご飯も満足に取れず、疲れての後始末でしたが、なぜか満足感に支配されて疲れを感じず晴れ晴れとしたさわやかな気分で家路につくことでした。

 上東Aチーム選手メンバーは次の通り。

 大友 勝一・富 豊西・澄田 菊江・住友 スミ子・澄 哲枝・大友 照子

         町ゲートボール協会 事務局長  大友 勝一


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

posted by hathitu at 06:04| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■2008年12月■ ■2009年1月■2009年2月■
RSSへのリンク新着情報をお知らせします。RSSをお持ちの方はぜひご登録ください。
■関連サイト、ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へもよろしく■
サイト内検索ご利用ください。気になる言葉を入力するとお探しの記事がヒットします。

2009年03月19日

尚徳王の喜界島平定(1466)

 『しまぬゆ 1 1609年 奄美・琉球侵略』を読むと

島の歴史にくわしくなりますよ。P91に琉球の尚徳王が喜界島を攻めたときのことが詳しく書かれています。

 尚徳王には兄二人がいたらしい。その兄たちを差し置いて三男の尚徳が王位を継いだのは21歳のときだそうです。


 兄二人は、謀反人、護佐丸の娘の子であったため、敬遠され王位にはつけなかったらしい。

 尚徳王は、1441年の生まれ、喜界島に攻めたのが21歳の若さです。

王位継承に疑問をもつものもいるなか、その者たちに自分の実力を見せつけてやるために尚徳自ら、喜界島平定(1466)に出掛けています。

 船50余艇、2000あまりの兵を乗せて喜界島に向かったそうです。

 喜界島の攻防は、『中山世譜』に詳しく書かれています。

 2月25日  那覇港を出発

 2月28日  喜界島至



 当時の船で3日間かかったことになります。

 喜界島の抵抗は激しかったらしい。矢石飛ぶこと雨の如く一歩も進むころができなかった。尚徳王は大いに怒り軍兵を励まし攻撃させたが、多数の死傷者を出したと書かれています。 


 尚徳王は、3月5日、奇襲作戦にでます。島の背後にまわるように炬火(きょか)を手に持たせて、軍を分けるように見せかけた。

 喜界島の兵士は、あわてて島の背後にまわったらしい。その隙を見て尚徳王の軍勢は、一気に上陸し、火を放って家を焼き、気勢をあげたらしい。

   


ラベル:尚徳王
posted by hathitu at 05:46| Comment(0) | 喜界島の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

八月踊りで子どもたちと交流




 3月19日、地区上嘉鉄センターで上嘉鉄小学校の6年生9名と上嘉鉄八月踊り唄保存会(高橋サダ会長)が八月踊りで交流しました。

 一月に小学校で行われた6年生の「すんがりがー」の発表を見た一部の会員が2月の練習会で「素晴らしかった!子どもたちだけで歌い、踊り、しかも意味の説明まで堂々とできた」と感想があった。

 誰からともなく「是非、一緒に」の声があがった。早速担任の原田ゆかり教諭に連絡をとると

「実は子どもたちももう出番はないの?と私に聞くほど得意にしていました。」と快諾の返事を頂いた。

 卒業式の3日前に行われた交流会には、9名の児童の保護者も数名参加のほか、ハンスウ喜界島交流会主催「春のハンスウ交流」で来島中の3名の留学生も加わり、総数は60名に盛り上がった。

 食事のあと、児童一人一人とオーストリア、香港、台湾からの特別ゲストが日本語と自国語で自己紹介。

 その後児童達による「すんがりがー」の発表と続いた。

 児童たちは一節ずつ歌ったあと、意味の説明を一人一人が行い、最後は全員で太鼓に合わせて歌詞を見ないで歌いながら踊ってくれた。

 地域のウジーオバーたちも大喜びで拍手喝采!「わちゃーかむ、こっと、かちじゃそう」(私たちよりずっと上手)の声も。

 そして、児童たちと一緒に二重三重の輪を作って皆で八月踊り、最後は六調、天草等で最高潮に盛り上がった。

 海外からの留学生も最初は戸惑っていたものの、そのうち自由に踊れる島の踊りに興味を持ち、

「とても楽しい、止まらなくなった」(香港の女性)

 子どもたちも「いろいろな踊りを勉強できて良かった」「とても楽しかった」などの感想を発表してくれ、会員からの「島の踊り、唄の後継者がいて本島に嬉しい。今年のウンミで一緒に踊ろう」「また子どもたちと交流したい」などと笑顔で話していた。

 中学生になっても引き続き足元の島の文化を学びながら学校の勉強に、その他の活動に頑張ってください。

生島 常範


平成13年4月1日 「上嘉鉄魂」 第35号 掲載

ラベル:八月踊り 香港
posted by hathitu at 13:28| Comment(0) | 上嘉鉄小学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月12日

上嘉鉄のヤンガー

yannga-090312 abo.JPG


上嘉鉄小学校の県道の上にある上嘉鉄では、湧水量No1の湧水地です。

夏場ともなれば、親子連れが、網をもってグッピーを取っている姿が見られます。

 小さな淡水のエビも生息しています。

 私の職場の同僚は、淡水魚が好きでよく休日には、子どもさんを連れて、小動物を捕獲しては、水槽で飼って楽しんでいます。

yannga-090312 ad.JPG



yannga-090312kju.JPG






ラベル:ヤンガー
posted by hathitu at 19:11| Comment(0) | 上嘉鉄の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キカイジマ・キカイガジマについて U

・吾妻鏡(1188年3月5日)

 宇都宮信房、先月の頃、鎮西より書状を進ず、貴賀井島へ渡ることを申し上げた。去年、例の島の形勢を窺った結果、海路の次第これを絵図にして献上した。

 かの島へ渡ることは、難儀との諸人の話によって思いとどまっていたが。この絵図をご覧になって後、あながち人力を披露させる程でもないとのことで、再び追補を企てた云々。

 信房はこの大功によって賞を加えられた。

・吾妻鏡(1188年5月17日)

 遠島の一族家臣が、貴賀井島に渡り合戦を遂げ、かの島を降伏させたとの連絡があった。その功績によって信房に勲功を施す云々とあります。

・源頼朝下文「鎌倉遺文」(1192年)

 宇都宮信房に地頭を命じた文書

前地頭の貞種は、この度貴賀島に渡らず、又奥州追討の時も参会しなかった。この両度の過失によって、その職を停止し、代わって信房をその任に補する。
 
南界記


      平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載

ラベル:吾妻鏡 貴賀島
posted by hathitu at 05:54| Comment(0) | 喜界島の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

第10回 さわやか銀行杯において

(上嘉鉄東チーム3位入賞)
 主題の銀行杯は9月9日総合グラウンドで8時30分より開催されました。

 試合に先だって前日のコート作りがグランド使用中で出来なく当日の早朝6時より小雨降る中、役員の方々で行った。

 予定通り実施出来るか気がかりでしたが早々に参加した方々の加勢を戴いて、ようやく開会の8時30分に間に合いほっとしました。

 参加チームは40チーム、8ブロックに分かれてリーグ戦で行った。上嘉鉄からは上東2チーム、上中1チーム、上西2チーム計5チーム出場でした。

 
 入賞した上東チームは、1回戦で荒木チームに勝ち、2回戦で志戸桶東チームに勝ち、3回戦で中間チームに勝ちました。




 4回戦ではかつて郡体出場の経験を持ち、さらに年金友の会で優勝を果たし、鹿児島行きがすでに決定している強豪の嘉鈍Aチームにも勝ちブロック優勝を勝ち取った。


 勝・失点、勝率で優勝は赤連チーム、2位塩道チーム、3位上東チームで塩道とは1点差でした。

 試合に臨んで強豪の嘉鈍チームをどのような戦法で打倒するかと作戦を練った。しかも相手は先攻でベテランの1番が1ゲートを失敗し、こちら2番手が1ゲート先に通過し、2ゲートを陣取ることができた。

 3番手は3ゲートコーナーでダブルタッチを作らなかったので、この試合はうまくいくぞと思っていましたが、キャリアのあるベテランチーム、そう簡単には崩せなかったが結果は10対8の2点差で勝った。

 我がチームメイトはお互いに顔を見合わせ合って喜んだ。それを持続すべく次回の秋季大会では更に練習を重ねて頑張ろうと誓い合っています。

 それがお互いの健康づくりと親睦を深めていく一助となれば光栄です。

 私は係として二重の喜びを感じています。まずは天候の関係で実施できるかとの不安と準備が遅れて競技に支障を来すのではないかとの不安が重なりましたが皆さんのご協力でスムーズに運営ができたことを感謝しています。

 朝ご飯も満足に取れず、疲れての後始末でしたが、なぜか満足感に支配されて疲れを感じず晴れ晴れとしたさわやかな気分で家路につくことでした。

 上東Aチーム選手メンバーは次の通り。

 大友 勝一・富 豊西・澄田 菊江・住友 スミ子・澄 哲枝・大友 照子

         町ゲートボール協会 事務局長  大友 勝一


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

posted by hathitu at 06:04| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
喜界島上嘉鉄の集落誌「上嘉鉄魂」のTOPへ戻る
関連サイト・ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。