2009年04月04日

ふるさと T

 ふるさと
秋田 秋貞
 私は郷里喜界島を「誰が名付けた百之台、眼下に見下ろす海原広く、磯打つ白波島を彩る」と詠んだ。

 それは奄美百景の一つである百之台が喜界島の代名詞であろう。狭義の郷里(ふるさと)は、上嘉鉄が私のふるさとである。

 いつしか沖縄在住半世紀余、島をはなれたのは、昭和28年5月、大きな夢をふくらませて渡沖した。

「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」・・・と来沖以来、片時も島を忘れることなく郷愁の毎日でした。

 
 そのこころざしは果たせず、平成の浦島になってしまった。浦島太郎はお土産の玉手箱を持ってふるさとへ帰ったが私は持って帰る玉手箱がなく帰れなく沖縄で白髪の翁さんになった。

 子や孫たちに残す財もないので先人たちが残して下さった尊い文化遺産の方言(しまゆみた)を伝承し親(先祖)のふるさとを知る一端として、上嘉鉄の方言3800語を美代イシ姉のご協力を得て、収録した。

 まだまだ多くの未収録語があり満足できるものではない。単に子や孫たちの為ばかりでなく、私自身、急に思い出せない方言が多々あり認知症にならないうちにと大急ぎで作成したものである。

 盛山末吉先生の「しつる村」や上嘉鉄魂編集委員代表の西島常吉先生の方言の語源。語意の解説などの学術的なものと異なって、私はただ日常語を羅列したものである。

 私は、その方言集の初頭に「ふるさと・・・とは人の心の行きつくところ」と書いた。それは私なりの一言での表現である。

 一般的な相場は、「ふるさとは遠くに在りて思うものなり」という。「人の心の行きつくところ」という所以は、ふるさとをはなれて何十年も音信不通の人がひょっこりふるさとへ帰ってくる。

 これは小説ではなく現実である。どんな小島、寒村であっても真に心を癒してくれるのは、ふるさとであるからである。

 この続きは、「ふるさと U」で掲載します。


 
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2009年04月02日

発掘が語る上嘉鉄遺跡 V

 上嘉鉄集落の起こりは縄文晩期の頃(2300〜3000年前)には、小字名でマチィチャ・ウックダ・ウフドゥンムの付近一帯の構造改善偉業の際、大型土木機械で表土を掘り起こしたら、大量の土器・石器の破片が出土して関係者を驚かせました。

 一時工事を中止する騒ぎにまで発展したが、どのゆな経緯があったか、はっきりしないが工事は続行された。

 出土した遺物を数名の興味関心のある方々が採集し保管してあったものを当時の熊本大学の白木原教授が鑑定して「ハンタ遺跡調査報告」にまとめてあります。以来付近一帯を上嘉鉄遺跡と称しています。

 それに因ると上嘉鉄遺跡は縄文晩期の遺跡であることが判明している。しかし専門家による本格的発掘調査ではないので遺構(住まい跡)は発掘されていない。

 又遺物も主なものだけに限られているが大まかなことは判明している。

 上の図は、上嘉鉄遺跡出土の白木原教授の命名によるクガニイシです。方言では、「メーシ」という。

 クガニイシの使用方法は、上辺を両手で押さえ込み、その下にあまり固くない作業対象物(豆・麦等)を置いて前後左右に転がして対象物を押し砕くのに用いた、後世の碾臼(ひきうす)の前身と思われる。
西島 常吉
  【クガニイシ】

090402_kuganiisi01.jpg




         平成16年4月「上嘉鉄魂」第71号 掲載

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2009年04月01日

喜界馬のこと 

 馬の仔が駆ける広場や金久原(はにくばる)

 馬飼うも一家の力蕃蔗(はんすう)植う

 ハイとドウ手綱一本の馬耕かな


 友岡 藤市郎氏の「句集憧憬喜界島」にある歌です。喜界馬が昔は上嘉鉄にもたくさん飼育されていたことを裏付ける歌です。

 馬に関する俳句が3句も出てきます。それだけ馬の思い出が心に残っているのでしょう。

 友岡氏は鹿児島県の農業普及員をされていた方で農業の専門家、私の尊敬する大先輩です。農業大学校など指導する立場にあった方です。もちろんシマの上嘉鉄の出身です。

 1句目は、上嘉鉄の県道沿いには、草競馬みたいなことをやっていたのでしょうか。先輩方からそんなことを聞いたことがあります。

 2句目は、馬がいかに一家の機動力があったのかが分かる俳句。ハンスウ(サツマイモ)をたくさん植えて、馬の飼料にするのです。

 我が家のお袋も、ハンスウ(サツマイモ)を煮たのと、自家製の味噌を混ぜてよく愛馬にやっていました。

 バケツにハンスウと味噌、そしてそれに水をまぜ、与えると一気に飲み干したものです。よほど美味しいのでしょう。草だけでなく味噌に含まれる塩分も一日中働いた体にはとても美味しいのでしょうね。

 3句目は、馬に対する掛け声が出てきます。

 「ハイとドウ」、馬を制御する時の馬言葉。幼い頃よく親父が使っていたことを思い出します。

「ハイ」は、「前へ進め」という意味です。シマの方言では「フォイ」

 「どぅ」は、「止まれ」という意味。

 参考までに

■ 右=ウッ

■ 左=キュジュイ(キュディ)

■ 後ろに下がれ=シジョ(シドゥ)

 親父やお袋が生きていたころに、詳しくきいていたらもっといい記事が書けたのにと思うことです。

 「親孝行したいときに、親はなし」、「親に聞きたいときに親はなし」です。

 親のありがたさは、親がいなくなってから分かるものですかね。

 「句集 憧憬喜界島」に関する記事はこちら
↓    ↓    ↓

http://hathitudamashiee.seesaa.net/article/114512226.html

喜界島出身の4氏が詠んだ力作です。

得田 武市、石原 百合子、得田 洋子、友岡藤市郎の4氏です。

 出版社は 博文社 定価1800円の本です。読みたい方は、お買い求めください。

 ナッカサンドウ!


 
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久々に参加した盆踊り

 この夏、久々にシマの盆踊りに参加する機会がありました。「はにく」から聞こえるシマ歌やサンシン・テーコーの音に胸の高鳴りを押さえられず、会場へ急ぎ、感動と感謝の思いで参加することでした。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして・・・・」という句もありますが、伝統的な行事に直接参加することによってシマの良さを肌で感じ取り、ふるさとを再発見する良い機会になりました。

 踊りの輪の中では、幼児からアジー・アンマーまで多くの人々が渾然一体となって、踊りそのものを楽しんでいる姿に大きな感動を覚えました。

 踊る人、見る人と参加の方法はそれぞれであったにしても、会場のみなさんの気分は最高潮に達していたのではないでしょうか。

 また、踊りの輪の中に加わっているのは、上嘉鉄のみなさんだけでなく喜界島全島から、さらには町内の事業所に勤務しておられる島外の方々もおおぜい参加しているとのことでした。

 これは、シマの盆踊りが「全島一番」として毎年大きな盛り上がりを見せている証拠であると思います。

 このような素晴らしい盆踊りを企画し、シマ全体を盛り上げている青年団の皆さん方に心から敬意を表します。

 そして、昼間の仕事で疲れている体に自らむち打ちながら、踊りの創作や会場の設営をやりとげた青年団に「よくやった、ご苦労様、ありがとう」と心からエールを送ります。

 さらに、青年団の活動を側面から支援しているのが、青年団OBをはじめ婦人会や帰省中の学生など全ての地域住民の皆さん方であるというところに大きな意義を見いだすとともに、何十年も続いている伝統の重さを改めて思い知ることでした。

 この盆踊りは、単に踊りを楽しむということだけでなく、潤いと活力に満ちた地域づくりや青少年の健全育成などに計り知れない効果をもたらしていると確信します。

 盆踊りの体験は、私の心の財産として蓄積されるとともに、明日からの仕事の大きなエネルギーとなります。

 シマの皆さんありがとうございました。

鹿児島 春岡 岩夫


平成12年9月「上嘉鉄魂」第28号 掲載


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八月踊り唄保存会 関東交流に参加して

桐野 達江
 私たち上嘉鉄八月踊り唄保存会一行20名は、5月3日の夜「フェリーきかい」で出発、5月4日、鹿児島より空路東京へと向かいました。

 羽田空港には、東京上嘉鉄会の方々、親戚の方々が出迎えてくださり、ホテルに落ち着きました。その日は、親戚のところへ行く人、親戚とホテルで面会する人、同級生と雑談される人、街に出られる人と自由行動でした。

 5月5日、いよいよ東京上嘉鉄会との交流の日です。朝からそわそわして落ち着きません。誰、誰が見えるかな?

 念入りに化粧や身支度を済ませ、ロビーに集まってきては、

「早いから部屋で待っているように」

と諭されました。

 いよいよ案内の方が見えて会場の新橋淀橋会館へと向かいました。

 そこには、50人あまりの方々が待っておられました。何十年振りにお会いする先輩の方々、又かわいい子どもさんだった方々が、働き盛りのお父さん、お母さんになられている方々、家族全員で見えている方々、親御さんとそっくりですぐ分かる方、同級生の方、

 私は、誰々の子どもです。誰々の兄弟ですと名乗る方、こちらで結婚なさって、相手を紹介しながら、抱き合う人、握手する人。

 方言で「ハゲー元気デンナ」「何十年振りカヤー」「ウレー孫ナ」とか会場一杯に方言が広がり、お互いに元気でお会いできた事を喜びあいました。




 1時から交流会が始まり、歓迎準備委員会の生田一夫会長並びに、東京上嘉鉄会の福永永廣会長の挨拶に続き、喜界上嘉鉄八月踊り唄保存会幹事の生島常範さんの経過説明などの後、東京の皆さんのお心づくしの沢山のご馳走をいただきながら東京上嘉鉄会の歓迎の踊りが続き、いよいよ八月踊りです。

 先輩の方々から、お子さんまで会場一杯に二重、三重の輪になり、何曲も踊りました。初めての方にもすぐなれて、その満足そうなお顔、ほんとうに幸せそのものでした。

 その後六調、天草と時間の経つのも忘れました。手を引っ張り踊らせる必要もなく、座っているのがもったいない感じで、全員が踊りに酔っている樣でした。

 司会の原口恵美都さんが、
「閉会の時間が近づきました」というと、皆さんがもう時間なのと、まだまだ踊り足りない様子でした。

 又島でお会いしましょう。元気でチバリヨーとガッチリと握手を交わし東京上嘉鉄会の方々とお元気でまたお会いできますことを祈りつつ、会場をあとにしました。

 喜界と違い、何時間もかかってこなければならない東京で会を持ち準備をする事は大変なことだったと思います。役員の方々はもちろん、会員のみなさん本当にありがとうございました。

 私たち一同は、唯々感謝するばかりです。5月6日は東京見物、翌7日空路無事喜界島へ到着しました。


 会員20名が東京へ行けたのも、自分の健康はもちろん、ご家族の理解があってこそです。本当に感謝しております。

 幹事の生島さん、添乗員の原田さん、旅行に馴れないおばさん達の面倒本当にご苦労様でした。東京へ行った方々とお会いする度に「東京へ行って良かったね」が挨拶がわりになっています。いい思い出ができました。



平成12年7月 「上嘉鉄魂」 第26号 掲載


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2009年04月04日

ふるさと T

 ふるさと
秋田 秋貞
 私は郷里喜界島を「誰が名付けた百之台、眼下に見下ろす海原広く、磯打つ白波島を彩る」と詠んだ。

 それは奄美百景の一つである百之台が喜界島の代名詞であろう。狭義の郷里(ふるさと)は、上嘉鉄が私のふるさとである。

 いつしか沖縄在住半世紀余、島をはなれたのは、昭和28年5月、大きな夢をふくらませて渡沖した。

「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」・・・と来沖以来、片時も島を忘れることなく郷愁の毎日でした。

 
 そのこころざしは果たせず、平成の浦島になってしまった。浦島太郎はお土産の玉手箱を持ってふるさとへ帰ったが私は持って帰る玉手箱がなく帰れなく沖縄で白髪の翁さんになった。

 子や孫たちに残す財もないので先人たちが残して下さった尊い文化遺産の方言(しまゆみた)を伝承し親(先祖)のふるさとを知る一端として、上嘉鉄の方言3800語を美代イシ姉のご協力を得て、収録した。

 まだまだ多くの未収録語があり満足できるものではない。単に子や孫たちの為ばかりでなく、私自身、急に思い出せない方言が多々あり認知症にならないうちにと大急ぎで作成したものである。

 盛山末吉先生の「しつる村」や上嘉鉄魂編集委員代表の西島常吉先生の方言の語源。語意の解説などの学術的なものと異なって、私はただ日常語を羅列したものである。

 私は、その方言集の初頭に「ふるさと・・・とは人の心の行きつくところ」と書いた。それは私なりの一言での表現である。

 一般的な相場は、「ふるさとは遠くに在りて思うものなり」という。「人の心の行きつくところ」という所以は、ふるさとをはなれて何十年も音信不通の人がひょっこりふるさとへ帰ってくる。

 これは小説ではなく現実である。どんな小島、寒村であっても真に心を癒してくれるのは、ふるさとであるからである。

 この続きは、「ふるさと U」で掲載します。


 
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2009年04月02日

発掘が語る上嘉鉄遺跡 V

 上嘉鉄集落の起こりは縄文晩期の頃(2300〜3000年前)には、小字名でマチィチャ・ウックダ・ウフドゥンムの付近一帯の構造改善偉業の際、大型土木機械で表土を掘り起こしたら、大量の土器・石器の破片が出土して関係者を驚かせました。

 一時工事を中止する騒ぎにまで発展したが、どのゆな経緯があったか、はっきりしないが工事は続行された。

 出土した遺物を数名の興味関心のある方々が採集し保管してあったものを当時の熊本大学の白木原教授が鑑定して「ハンタ遺跡調査報告」にまとめてあります。以来付近一帯を上嘉鉄遺跡と称しています。

 それに因ると上嘉鉄遺跡は縄文晩期の遺跡であることが判明している。しかし専門家による本格的発掘調査ではないので遺構(住まい跡)は発掘されていない。

 又遺物も主なものだけに限られているが大まかなことは判明している。

 上の図は、上嘉鉄遺跡出土の白木原教授の命名によるクガニイシです。方言では、「メーシ」という。

 クガニイシの使用方法は、上辺を両手で押さえ込み、その下にあまり固くない作業対象物(豆・麦等)を置いて前後左右に転がして対象物を押し砕くのに用いた、後世の碾臼(ひきうす)の前身と思われる。
西島 常吉
  【クガニイシ】

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         平成16年4月「上嘉鉄魂」第71号 掲載

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2009年04月01日

喜界馬のこと 

 馬の仔が駆ける広場や金久原(はにくばる)

 馬飼うも一家の力蕃蔗(はんすう)植う

 ハイとドウ手綱一本の馬耕かな


 友岡 藤市郎氏の「句集憧憬喜界島」にある歌です。喜界馬が昔は上嘉鉄にもたくさん飼育されていたことを裏付ける歌です。

 馬に関する俳句が3句も出てきます。それだけ馬の思い出が心に残っているのでしょう。

 友岡氏は鹿児島県の農業普及員をされていた方で農業の専門家、私の尊敬する大先輩です。農業大学校など指導する立場にあった方です。もちろんシマの上嘉鉄の出身です。

 1句目は、上嘉鉄の県道沿いには、草競馬みたいなことをやっていたのでしょうか。先輩方からそんなことを聞いたことがあります。

 2句目は、馬がいかに一家の機動力があったのかが分かる俳句。ハンスウ(サツマイモ)をたくさん植えて、馬の飼料にするのです。

 我が家のお袋も、ハンスウ(サツマイモ)を煮たのと、自家製の味噌を混ぜてよく愛馬にやっていました。

 バケツにハンスウと味噌、そしてそれに水をまぜ、与えると一気に飲み干したものです。よほど美味しいのでしょう。草だけでなく味噌に含まれる塩分も一日中働いた体にはとても美味しいのでしょうね。

 3句目は、馬に対する掛け声が出てきます。

 「ハイとドウ」、馬を制御する時の馬言葉。幼い頃よく親父が使っていたことを思い出します。

「ハイ」は、「前へ進め」という意味です。シマの方言では「フォイ」

 「どぅ」は、「止まれ」という意味。

 参考までに

■ 右=ウッ

■ 左=キュジュイ(キュディ)

■ 後ろに下がれ=シジョ(シドゥ)

 親父やお袋が生きていたころに、詳しくきいていたらもっといい記事が書けたのにと思うことです。

 「親孝行したいときに、親はなし」、「親に聞きたいときに親はなし」です。

 親のありがたさは、親がいなくなってから分かるものですかね。

 「句集 憧憬喜界島」に関する記事はこちら
↓    ↓    ↓

http://hathitudamashiee.seesaa.net/article/114512226.html

喜界島出身の4氏が詠んだ力作です。

得田 武市、石原 百合子、得田 洋子、友岡藤市郎の4氏です。

 出版社は 博文社 定価1800円の本です。読みたい方は、お買い求めください。

 ナッカサンドウ!


 
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久々に参加した盆踊り

 この夏、久々にシマの盆踊りに参加する機会がありました。「はにく」から聞こえるシマ歌やサンシン・テーコーの音に胸の高鳴りを押さえられず、会場へ急ぎ、感動と感謝の思いで参加することでした。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして・・・・」という句もありますが、伝統的な行事に直接参加することによってシマの良さを肌で感じ取り、ふるさとを再発見する良い機会になりました。

 踊りの輪の中では、幼児からアジー・アンマーまで多くの人々が渾然一体となって、踊りそのものを楽しんでいる姿に大きな感動を覚えました。

 踊る人、見る人と参加の方法はそれぞれであったにしても、会場のみなさんの気分は最高潮に達していたのではないでしょうか。

 また、踊りの輪の中に加わっているのは、上嘉鉄のみなさんだけでなく喜界島全島から、さらには町内の事業所に勤務しておられる島外の方々もおおぜい参加しているとのことでした。

 これは、シマの盆踊りが「全島一番」として毎年大きな盛り上がりを見せている証拠であると思います。

 このような素晴らしい盆踊りを企画し、シマ全体を盛り上げている青年団の皆さん方に心から敬意を表します。

 そして、昼間の仕事で疲れている体に自らむち打ちながら、踊りの創作や会場の設営をやりとげた青年団に「よくやった、ご苦労様、ありがとう」と心からエールを送ります。

 さらに、青年団の活動を側面から支援しているのが、青年団OBをはじめ婦人会や帰省中の学生など全ての地域住民の皆さん方であるというところに大きな意義を見いだすとともに、何十年も続いている伝統の重さを改めて思い知ることでした。

 この盆踊りは、単に踊りを楽しむということだけでなく、潤いと活力に満ちた地域づくりや青少年の健全育成などに計り知れない効果をもたらしていると確信します。

 盆踊りの体験は、私の心の財産として蓄積されるとともに、明日からの仕事の大きなエネルギーとなります。

 シマの皆さんありがとうございました。

鹿児島 春岡 岩夫


平成12年9月「上嘉鉄魂」第28号 掲載


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八月踊り唄保存会 関東交流に参加して

桐野 達江
 私たち上嘉鉄八月踊り唄保存会一行20名は、5月3日の夜「フェリーきかい」で出発、5月4日、鹿児島より空路東京へと向かいました。

 羽田空港には、東京上嘉鉄会の方々、親戚の方々が出迎えてくださり、ホテルに落ち着きました。その日は、親戚のところへ行く人、親戚とホテルで面会する人、同級生と雑談される人、街に出られる人と自由行動でした。

 5月5日、いよいよ東京上嘉鉄会との交流の日です。朝からそわそわして落ち着きません。誰、誰が見えるかな?

 念入りに化粧や身支度を済ませ、ロビーに集まってきては、

「早いから部屋で待っているように」

と諭されました。

 いよいよ案内の方が見えて会場の新橋淀橋会館へと向かいました。

 そこには、50人あまりの方々が待っておられました。何十年振りにお会いする先輩の方々、又かわいい子どもさんだった方々が、働き盛りのお父さん、お母さんになられている方々、家族全員で見えている方々、親御さんとそっくりですぐ分かる方、同級生の方、

 私は、誰々の子どもです。誰々の兄弟ですと名乗る方、こちらで結婚なさって、相手を紹介しながら、抱き合う人、握手する人。

 方言で「ハゲー元気デンナ」「何十年振りカヤー」「ウレー孫ナ」とか会場一杯に方言が広がり、お互いに元気でお会いできた事を喜びあいました。




 1時から交流会が始まり、歓迎準備委員会の生田一夫会長並びに、東京上嘉鉄会の福永永廣会長の挨拶に続き、喜界上嘉鉄八月踊り唄保存会幹事の生島常範さんの経過説明などの後、東京の皆さんのお心づくしの沢山のご馳走をいただきながら東京上嘉鉄会の歓迎の踊りが続き、いよいよ八月踊りです。

 先輩の方々から、お子さんまで会場一杯に二重、三重の輪になり、何曲も踊りました。初めての方にもすぐなれて、その満足そうなお顔、ほんとうに幸せそのものでした。

 その後六調、天草と時間の経つのも忘れました。手を引っ張り踊らせる必要もなく、座っているのがもったいない感じで、全員が踊りに酔っている樣でした。

 司会の原口恵美都さんが、
「閉会の時間が近づきました」というと、皆さんがもう時間なのと、まだまだ踊り足りない様子でした。

 又島でお会いしましょう。元気でチバリヨーとガッチリと握手を交わし東京上嘉鉄会の方々とお元気でまたお会いできますことを祈りつつ、会場をあとにしました。

 喜界と違い、何時間もかかってこなければならない東京で会を持ち準備をする事は大変なことだったと思います。役員の方々はもちろん、会員のみなさん本当にありがとうございました。

 私たち一同は、唯々感謝するばかりです。5月6日は東京見物、翌7日空路無事喜界島へ到着しました。


 会員20名が東京へ行けたのも、自分の健康はもちろん、ご家族の理解があってこそです。本当に感謝しております。

 幹事の生島さん、添乗員の原田さん、旅行に馴れないおばさん達の面倒本当にご苦労様でした。東京へ行った方々とお会いする度に「東京へ行って良かったね」が挨拶がわりになっています。いい思い出ができました。



平成12年7月 「上嘉鉄魂」 第26号 掲載


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