2010年05月12日

2010年の初敬老の挨拶です。

  初敬老代表あいさつ
       平成22年12月1月3日

                    前島 ミエ子(上東)

 初敬老を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。本日は私たちのために心温まる敬老会を催していただきまして誠にありがとうございます。

 私たちは昭和16年、ちょうど太平洋戦争勃発の年に生まれました。戦時中の事はよく覚えておりませんが、終戦後の奄美群島は米軍支配下となり、これまで使用していた日本の紙幣が使えなくなってB円に切り替えしていた事だけが今でも記憶にあります。

 昭和28年12月25日、奄美群島は祖国日本へ復帰することができました。その当時私たちは小学5年生でした。小学生から一般の大人まで、大勢の校区民が第二中学校の校庭に集まって

「奄美群島、日本復帰バンザイ」

と叫びながらお互いに喜びを分かち合い、その後集落内を提灯行列したことを今でも鮮明に覚えております。

 その当時の暮らしは貧しく、裸足の通学でしたが、私たちが中学生の頃には制服や運動靴を履いて通学できるようになりました。

 今思えばこれも先輩方の献身的な努力のお陰だと心から感謝申し上げます。昭和32年、私たちは第二中学校を卒業致しました。その当時は上嘉鉄だけでも19名の同窓生がいましたが、現在地元に残っているのは6名だけになりました。

 その同窓生も本日それぞれの都合により出席しておりませんが、私たちが元気で頑張って来られたのも先輩方や集落の皆様方の温かいご指導のお陰だと心から感謝申し上げます。

 今日から私たちも敬老者の仲間入りをすることになりました。どうぞ変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたが、本日はご来賓の皆様、区長様、青年団。3集落の壮年団、婦人会そして集落の皆様、誠にありがとうございました。簡単ではございますが、お礼の言葉とさせていただきます。

  <今日の本の紹介>

喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
ラベル:前島ミエ子
posted by hathitu at 20:05| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

お礼の言葉・・・西岡為安



 皆さん、明けましておめでとうございます。

 ふつつか者で誠に恐縮ではございますが、一言お礼のご挨拶をのべさせていただきます。
  
 私たち、昭和7年生まれの70年間は、まことに波乱に満ちた70年だったと思います。

 昭和14年、尋常高等小学校に入学。翌年は学校名が国民学校となり昭和16年、太平洋戦争が勃発し同時に軍国主義教育を教え込まれました。

 戦局は厳しくなり昭和19年、喜界島初空襲。その後は毎日のように空襲が激しくなり、住民は防空壕暮らしを余儀なくされました。

 学校、人家もほとんど焼失し、昭和20年終戦となっても、衣食住が欠乏。住民は餓死寸前のありさまでした。

 昭和22年、本土から切り離さされ、信託統治時代(アメリカユー)のさなか、昭和23年新制中学校が創設され、昭和7年生が小学校高等科2年最後の卒業生となりました。

 多くの方々が沖縄へ出稼ぎに行き、昭和28年12月本土へ復帰後、人々は本土へ出稼ぎ移住するようになりました。

 喜界島の農業も馬から耕耘機へ、35年には大型製糖工場も創業。今ではトラクター、ハーベスターの時代となっています。

 こうして目まぐるしく変わる世相に昭和7年生がここまで辿り着けたのは、皆様方のご協力のお陰であり、大先輩の方々のご指導とご鞭撻の賜物だと深く感謝いたしております。

 本日は、心温まるお祝い、励ましのお言葉を頂戴しまして誠にありがとうございました。

 終わりになりましたが、本日のこの会を催すにあたりご苦労くださいました集落役員、青年団、婦人会、壮年団の皆さん、ほんとにありがとうございました。

 取り止めのない事を申し上げましたが、以上でお礼の言葉とさせて戴きます。ありがとうございました。
      初敬老者 代表 西岡 為安


平成13年2月「上嘉鉄魂」第33号 掲載


 


ラベル:西岡為安 出稼ぎ
posted by hathitu at 19:48| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

初敬老を迎えるに当たり・・・初敬老者一同

 明けましておめでとうございます。

 私たちは終戦の(昭和20年)の3月に上嘉鉄国民学校高等科を卒業しました。

 その頃は、連日の空襲で卒業証書授与を挙行するゆとりさえなく、式もしないまま社会人となりました。(昭和50年になり、ようやく変則的に上嘉鉄小学校体育館で30年ぶりに卒業式をやっていただきました。)

 そのころの学校教育の目標は、軍国主義時代でもあり、「忠君愛国」「長幼の序」「滅私奉公」「節約」「打ちてし止まん克つまでは」の合い言葉で自分の欲望を一切すて全体に奉仕する精神を徹底的に指導されました。

 それが当然と信じ、国のために一身を捧げようと男子は海軍に女子は挺身隊に志願し自宅待機中に終戦を迎えました。

 終戦と同時に戦争中の連日の空襲により衣食住の生活必需品を全て失い、その日、その日の生活にも不便と不足で事欠き学校を終えたばかりの私たちは、自分が好むと好まざるに関係なく衣食住を確保するために働かざるを得ませんでした。

 昭和30年後半頃より日本は高度経済成長を迎え「消費は美徳」という誤った価値観にとまどい更に二度の「オイルショック」と「省エネルギー」「バブル崩壊」「長引く不況」と目まぐるしい社会の変化に対応する暇もなくアッと言う間に70歳の古希を迎える年齢になりました。

 私たちがこのように70歳を元気で迎えることができましたのは近代の医学、栄養学の進歩によりますが、

  「人間は一人で生きられるものではありません」

 先輩、友人、知人、地域社会の多くの方々の温かい心のこもったご指導、ご鞭撻、物心両面のご支援の賜であります。本当にありがとうございました

 これからは、今まで70年の経験と知識を皆様方の意見を参考にしながら子や孫は勿論のこと世のため、社会に貢献したいと思いますのでよろしくお願いいたします。

               (文責 西島)


      平成11年1月「上嘉鉄魂」第8号 掲載

 



■たんぱくナビ おでんセット■


posted by hathitu at 07:41| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■2008年12月■ ■2009年1月■2009年2月■
RSSへのリンク新着情報をお知らせします。RSSをお持ちの方はぜひご登録ください。
■関連サイト、ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へもよろしく■
サイト内検索ご利用ください。気になる言葉を入力するとお探しの記事がヒットします。

2010年05月12日

2010年の初敬老の挨拶です。

  初敬老代表あいさつ
       平成22年12月1月3日

                    前島 ミエ子(上東)

 初敬老を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。本日は私たちのために心温まる敬老会を催していただきまして誠にありがとうございます。

 私たちは昭和16年、ちょうど太平洋戦争勃発の年に生まれました。戦時中の事はよく覚えておりませんが、終戦後の奄美群島は米軍支配下となり、これまで使用していた日本の紙幣が使えなくなってB円に切り替えしていた事だけが今でも記憶にあります。

 昭和28年12月25日、奄美群島は祖国日本へ復帰することができました。その当時私たちは小学5年生でした。小学生から一般の大人まで、大勢の校区民が第二中学校の校庭に集まって

「奄美群島、日本復帰バンザイ」

と叫びながらお互いに喜びを分かち合い、その後集落内を提灯行列したことを今でも鮮明に覚えております。

 その当時の暮らしは貧しく、裸足の通学でしたが、私たちが中学生の頃には制服や運動靴を履いて通学できるようになりました。

 今思えばこれも先輩方の献身的な努力のお陰だと心から感謝申し上げます。昭和32年、私たちは第二中学校を卒業致しました。その当時は上嘉鉄だけでも19名の同窓生がいましたが、現在地元に残っているのは6名だけになりました。

 その同窓生も本日それぞれの都合により出席しておりませんが、私たちが元気で頑張って来られたのも先輩方や集落の皆様方の温かいご指導のお陰だと心から感謝申し上げます。

 今日から私たちも敬老者の仲間入りをすることになりました。どうぞ変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたが、本日はご来賓の皆様、区長様、青年団。3集落の壮年団、婦人会そして集落の皆様、誠にありがとうございました。簡単ではございますが、お礼の言葉とさせていただきます。

  <今日の本の紹介>

喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
ラベル:前島ミエ子
posted by hathitu at 20:05| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

お礼の言葉・・・西岡為安



 皆さん、明けましておめでとうございます。

 ふつつか者で誠に恐縮ではございますが、一言お礼のご挨拶をのべさせていただきます。
  
 私たち、昭和7年生まれの70年間は、まことに波乱に満ちた70年だったと思います。

 昭和14年、尋常高等小学校に入学。翌年は学校名が国民学校となり昭和16年、太平洋戦争が勃発し同時に軍国主義教育を教え込まれました。

 戦局は厳しくなり昭和19年、喜界島初空襲。その後は毎日のように空襲が激しくなり、住民は防空壕暮らしを余儀なくされました。

 学校、人家もほとんど焼失し、昭和20年終戦となっても、衣食住が欠乏。住民は餓死寸前のありさまでした。

 昭和22年、本土から切り離さされ、信託統治時代(アメリカユー)のさなか、昭和23年新制中学校が創設され、昭和7年生が小学校高等科2年最後の卒業生となりました。

 多くの方々が沖縄へ出稼ぎに行き、昭和28年12月本土へ復帰後、人々は本土へ出稼ぎ移住するようになりました。

 喜界島の農業も馬から耕耘機へ、35年には大型製糖工場も創業。今ではトラクター、ハーベスターの時代となっています。

 こうして目まぐるしく変わる世相に昭和7年生がここまで辿り着けたのは、皆様方のご協力のお陰であり、大先輩の方々のご指導とご鞭撻の賜物だと深く感謝いたしております。

 本日は、心温まるお祝い、励ましのお言葉を頂戴しまして誠にありがとうございました。

 終わりになりましたが、本日のこの会を催すにあたりご苦労くださいました集落役員、青年団、婦人会、壮年団の皆さん、ほんとにありがとうございました。

 取り止めのない事を申し上げましたが、以上でお礼の言葉とさせて戴きます。ありがとうございました。
      初敬老者 代表 西岡 為安


平成13年2月「上嘉鉄魂」第33号 掲載


 


ラベル:西岡為安 出稼ぎ
posted by hathitu at 19:48| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月07日

初敬老を迎えるに当たり・・・初敬老者一同

 明けましておめでとうございます。

 私たちは終戦の(昭和20年)の3月に上嘉鉄国民学校高等科を卒業しました。

 その頃は、連日の空襲で卒業証書授与を挙行するゆとりさえなく、式もしないまま社会人となりました。(昭和50年になり、ようやく変則的に上嘉鉄小学校体育館で30年ぶりに卒業式をやっていただきました。)

 そのころの学校教育の目標は、軍国主義時代でもあり、「忠君愛国」「長幼の序」「滅私奉公」「節約」「打ちてし止まん克つまでは」の合い言葉で自分の欲望を一切すて全体に奉仕する精神を徹底的に指導されました。

 それが当然と信じ、国のために一身を捧げようと男子は海軍に女子は挺身隊に志願し自宅待機中に終戦を迎えました。

 終戦と同時に戦争中の連日の空襲により衣食住の生活必需品を全て失い、その日、その日の生活にも不便と不足で事欠き学校を終えたばかりの私たちは、自分が好むと好まざるに関係なく衣食住を確保するために働かざるを得ませんでした。

 昭和30年後半頃より日本は高度経済成長を迎え「消費は美徳」という誤った価値観にとまどい更に二度の「オイルショック」と「省エネルギー」「バブル崩壊」「長引く不況」と目まぐるしい社会の変化に対応する暇もなくアッと言う間に70歳の古希を迎える年齢になりました。

 私たちがこのように70歳を元気で迎えることができましたのは近代の医学、栄養学の進歩によりますが、

  「人間は一人で生きられるものではありません」

 先輩、友人、知人、地域社会の多くの方々の温かい心のこもったご指導、ご鞭撻、物心両面のご支援の賜であります。本当にありがとうございました

 これからは、今まで70年の経験と知識を皆様方の意見を参考にしながら子や孫は勿論のこと世のため、社会に貢献したいと思いますのでよろしくお願いいたします。

               (文責 西島)


      平成11年1月「上嘉鉄魂」第8号 掲載

 



■たんぱくナビ おでんセット■


posted by hathitu at 07:41| Comment(0) | 初敬老者の挨拶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
喜界島上嘉鉄の集落誌「上嘉鉄魂」のTOPへ戻る
関連サイト・ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。