2009年04月01日

久々に参加した盆踊り

 この夏、久々にシマの盆踊りに参加する機会がありました。「はにく」から聞こえるシマ歌やサンシン・テーコーの音に胸の高鳴りを押さえられず、会場へ急ぎ、感動と感謝の思いで参加することでした。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして・・・・」という句もありますが、伝統的な行事に直接参加することによってシマの良さを肌で感じ取り、ふるさとを再発見する良い機会になりました。

 踊りの輪の中では、幼児からアジー・アンマーまで多くの人々が渾然一体となって、踊りそのものを楽しんでいる姿に大きな感動を覚えました。

 踊る人、見る人と参加の方法はそれぞれであったにしても、会場のみなさんの気分は最高潮に達していたのではないでしょうか。

 また、踊りの輪の中に加わっているのは、上嘉鉄のみなさんだけでなく喜界島全島から、さらには町内の事業所に勤務しておられる島外の方々もおおぜい参加しているとのことでした。

 これは、シマの盆踊りが「全島一番」として毎年大きな盛り上がりを見せている証拠であると思います。

 このような素晴らしい盆踊りを企画し、シマ全体を盛り上げている青年団の皆さん方に心から敬意を表します。

 そして、昼間の仕事で疲れている体に自らむち打ちながら、踊りの創作や会場の設営をやりとげた青年団に「よくやった、ご苦労様、ありがとう」と心からエールを送ります。

 さらに、青年団の活動を側面から支援しているのが、青年団OBをはじめ婦人会や帰省中の学生など全ての地域住民の皆さん方であるというところに大きな意義を見いだすとともに、何十年も続いている伝統の重さを改めて思い知ることでした。

 この盆踊りは、単に踊りを楽しむということだけでなく、潤いと活力に満ちた地域づくりや青少年の健全育成などに計り知れない効果をもたらしていると確信します。

 盆踊りの体験は、私の心の財産として蓄積されるとともに、明日からの仕事の大きなエネルギーとなります。

 シマの皆さんありがとうございました。

鹿児島 春岡 岩夫


平成12年9月「上嘉鉄魂」第28号 掲載


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2009年01月01日

上嘉鉄青年団主催「盆踊り」の由来





 以前から「恒例の盆踊りはいつから始まったのか」という疑問を持っていたが、八月から本腰を入れて多くの方にうかがってみたことをまとめてみることにしました。

 当時のことをよく記憶されている西野幸男氏によると本来喜界島には「盆踊り」などなく踊りと言えば「八月踊り」のことを指していた。

 終戦直後、西山順吉氏(上西・平成8年物故)が関西から帰郷後ヤマトで流行っている「盆踊り」を西集落でもやってみようと後輩の青年達に呼びかけたのがそもそもの始まり。

 当時は若者も多く、西、中、東に支部青年会があり、三支部連合の青年団もあった。25歳までの男女ほとんど全員が参加していたという。

 終戦直後の物もない貧しい暮らしの中、自らの楽しみを求め青年達は、立ち上がる。

 昭和23年、生島常吉氏が上西支部青年会長の時であった。どういう盆踊りであったかというと場所は現西公民館の炊事場のあたりに4本柱でやぐらを組み、電気のない時代だから明かりは「イカ釣りに使う石油灯」

 家々から古提灯を集めて4本柱からつり下げた。実際踊るのは盆の中日の夜だけであった。青年団員は男女とも浴衣姿になり、やぐらの上には音楽に長けた西山氏が得意のバイオリンの伴奏で

 「笹山音頭・鳴門巡礼前後編」「郡上節」「デカンショ節」そして「炭坑節」の4曲を弾き、唄者の西野幸男さん、澄安吉さん、生禎蔵さん、生田道三さん、栄長義さん、太時秀さん、太荘三さんの男性八名
が肉声で歌う。

 やぐら太鼓はなく適当に板などを叩いて調子をとっていた。「アーサテモ市場の皆様よ」と歌うと踊り手が「アドッコイサンジャ」と返しをしたという。

 生禎蔵さんによると踊りの練習も厳しく、「手をかざすときは顔もその方向を見るように」と教えられたという。

 娯楽もない時代、青年達が始めた「盆踊り」を集落民も大いに楽しんだ。公民館の並びの水道タンクや建物はなく現在より広かったものの西集落のみならず中、東からまた集落外(小野津、志戸桶からも)からも見物人は集まり、大盛況。中には現在の澄愛島宅のある崖の上から落ちる人も出たとか。

 当初、西集落で行われていた盆踊りが現在の「はにぃく」に場所を替えたいきさつなどについては次回ご紹介したいと思う。

                       (文責 生島)


     平成10年9月 「上嘉鉄魂」第5号 掲載

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2009年04月01日

久々に参加した盆踊り

 この夏、久々にシマの盆踊りに参加する機会がありました。「はにく」から聞こえるシマ歌やサンシン・テーコーの音に胸の高鳴りを押さえられず、会場へ急ぎ、感動と感謝の思いで参加することでした。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして・・・・」という句もありますが、伝統的な行事に直接参加することによってシマの良さを肌で感じ取り、ふるさとを再発見する良い機会になりました。

 踊りの輪の中では、幼児からアジー・アンマーまで多くの人々が渾然一体となって、踊りそのものを楽しんでいる姿に大きな感動を覚えました。

 踊る人、見る人と参加の方法はそれぞれであったにしても、会場のみなさんの気分は最高潮に達していたのではないでしょうか。

 また、踊りの輪の中に加わっているのは、上嘉鉄のみなさんだけでなく喜界島全島から、さらには町内の事業所に勤務しておられる島外の方々もおおぜい参加しているとのことでした。

 これは、シマの盆踊りが「全島一番」として毎年大きな盛り上がりを見せている証拠であると思います。

 このような素晴らしい盆踊りを企画し、シマ全体を盛り上げている青年団の皆さん方に心から敬意を表します。

 そして、昼間の仕事で疲れている体に自らむち打ちながら、踊りの創作や会場の設営をやりとげた青年団に「よくやった、ご苦労様、ありがとう」と心からエールを送ります。

 さらに、青年団の活動を側面から支援しているのが、青年団OBをはじめ婦人会や帰省中の学生など全ての地域住民の皆さん方であるというところに大きな意義を見いだすとともに、何十年も続いている伝統の重さを改めて思い知ることでした。

 この盆踊りは、単に踊りを楽しむということだけでなく、潤いと活力に満ちた地域づくりや青少年の健全育成などに計り知れない効果をもたらしていると確信します。

 盆踊りの体験は、私の心の財産として蓄積されるとともに、明日からの仕事の大きなエネルギーとなります。

 シマの皆さんありがとうございました。

鹿児島 春岡 岩夫


平成12年9月「上嘉鉄魂」第28号 掲載


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2009年01月01日

上嘉鉄青年団主催「盆踊り」の由来





 以前から「恒例の盆踊りはいつから始まったのか」という疑問を持っていたが、八月から本腰を入れて多くの方にうかがってみたことをまとめてみることにしました。

 当時のことをよく記憶されている西野幸男氏によると本来喜界島には「盆踊り」などなく踊りと言えば「八月踊り」のことを指していた。

 終戦直後、西山順吉氏(上西・平成8年物故)が関西から帰郷後ヤマトで流行っている「盆踊り」を西集落でもやってみようと後輩の青年達に呼びかけたのがそもそもの始まり。

 当時は若者も多く、西、中、東に支部青年会があり、三支部連合の青年団もあった。25歳までの男女ほとんど全員が参加していたという。

 終戦直後の物もない貧しい暮らしの中、自らの楽しみを求め青年達は、立ち上がる。

 昭和23年、生島常吉氏が上西支部青年会長の時であった。どういう盆踊りであったかというと場所は現西公民館の炊事場のあたりに4本柱でやぐらを組み、電気のない時代だから明かりは「イカ釣りに使う石油灯」

 家々から古提灯を集めて4本柱からつり下げた。実際踊るのは盆の中日の夜だけであった。青年団員は男女とも浴衣姿になり、やぐらの上には音楽に長けた西山氏が得意のバイオリンの伴奏で

 「笹山音頭・鳴門巡礼前後編」「郡上節」「デカンショ節」そして「炭坑節」の4曲を弾き、唄者の西野幸男さん、澄安吉さん、生禎蔵さん、生田道三さん、栄長義さん、太時秀さん、太荘三さんの男性八名
が肉声で歌う。

 やぐら太鼓はなく適当に板などを叩いて調子をとっていた。「アーサテモ市場の皆様よ」と歌うと踊り手が「アドッコイサンジャ」と返しをしたという。

 生禎蔵さんによると踊りの練習も厳しく、「手をかざすときは顔もその方向を見るように」と教えられたという。

 娯楽もない時代、青年達が始めた「盆踊り」を集落民も大いに楽しんだ。公民館の並びの水道タンクや建物はなく現在より広かったものの西集落のみならず中、東からまた集落外(小野津、志戸桶からも)からも見物人は集まり、大盛況。中には現在の澄愛島宅のある崖の上から落ちる人も出たとか。

 当初、西集落で行われていた盆踊りが現在の「はにぃく」に場所を替えたいきさつなどについては次回ご紹介したいと思う。

                       (文責 生島)


     平成10年9月 「上嘉鉄魂」第5号 掲載

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