2009年03月02日

フトゥムッチィを食べる

 3月節句に蓬を使用するのは古くからの全国的風習で、民俗辞典によれば奈良・平安貴族は蓬を部屋に置いて、その独特の芳香を楽しんだ記録があります。

 また万葉集にも歌われており独特の芳香が霊草と言われ、魔除けに通じると信じ家の軒先に差して悪霊の侵入を防いだ。

 祖先の花生けにしたり、もぐさに加工してお灸にも使用される。

 昔話集に「昔、鬼に追われて食い殺されそうになった人間が蓬が生えている茂みの中に隠れたら、強烈な蓬の香りに人間の香は打ち消され分からなくなり、鬼はその儘立ち去り、人間は漸く助かった」

とそれ以来、蓬で団子を作り食べるようになったと。

 昔(小学生の頃)食べたフトゥムチィの味は懐かしく鮮明に焼き付いて忘れない。今はスーパーに行けば何時でもいくらでも自由に購入でき、季節感を失った。

 然し、昔、母が手で一生懸命に捏ねて作った餅ほどに味と香りがしないのは、豊富に出回ったせいで味覚が麻痺したか?

 飽食の罪か?有り余ることは物の有りがたさを、その価値を失わせるようだ。

                          南界記


平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載


posted by hathitu at 06:16| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

むかしの人の「貝と生活」・・・村上 国信

村上 国信
 <上嘉鉄小学校児童と貝について・・・>

1 ホラガイ「フジツガイ科」(方言名=ブラー)

 昔の合図は、殆どホラガイ(ブラー)で行っていました。特に喜界島ではホラガイを合図として使っていました。

 @ 集合の合図
 A 人がいなくなった時に探してくださいとの合図
 B 本土では今でも修験者が修行で山に登るときにホラガイが使われています。

2 タカラガイ科(スビー)

 @ ハナマルユキタカラガイ(クルスビー)

この貝は小魚や海老を捕る網の錘や投網の錘として使っていました。

A ハナビラタカラガイ(シルスビー)
  
  この貝は女児の「おはじき」として重宝がられていました。

B キイロタカラガイ(アジャースビー)

この貝も「おはじき」として使用されていましたが、量が少なく色が鮮やかなのでシ ルスビー1〜3個と交換した貴重な貝でした。
 
  昔は中国やニューギニアあたりでは貨幣として使われていました。

※ タカラガイ科の中で特に大型のハチジョウタカラガイ(ミヨー)は、安産に効き目が あるとの俗信があり、この貝は「子安貝」とも言われています。(竹取物語)

※ 中山伝信録によると15世紀の初めスビーを沖縄から中国へ5万8千個、密輸したと いう記録がある。

  それは主に「キイロタカラガイ」(アジャスビー)である。その事から考えて、近世 の初期頃まで重要視されていた。私たちの先祖もせっせと貝拾いに励んでいたと推察さ れる。

3 ヤコウガイ「リュウキュウサザエ科」(ヤクゲー)

この貝は砕いたら光沢のある薄い板状になり、漆細工の装飾に今も利用されている。

4 イモガイ科(ティンブー)

  この貝は「コマ」=(クゥルー)遊びに使われていました。イモガイの種類はたくさ んあり、どのイモガイも良く回りますが近くでよく採れる「マダライモガイ」で回し方 を競争をして遊んでいました。

5 ミミガイ(ミミガイ科)(インニュミーガヤー)

この貝は「アワビ」の一種で細長いので「ハッタイ粉」=(インニュミ)をすくって 食べるのに用いた。現在の匙の代用。

6 イタヤガイ(方言では?)

この貝は味噌汁等の汁ものを注ぐ杓子として利用されていました。

7 ゴホウラ「スイショウガイ科」(あまりとれないので方言の名前はないようです)

この貝は大昔の人たちがお酒落用の腕輪として使われていました。大昔の遺跡などか ら腕輪を填めた人体がでたという話をよく聞きます。

8 ハマグリ「マルスダレガイ科」(コウヤクカヤー)

この貝は、お医者さんが塗り薬(膏薬)を入れる容器にした。

9 スイジガイ「スイショウガイ科」(方言名?)

この貝は家の玄関に掛けて魔除けとして利用された。

10 シャコガイ「シャコガイ科」

この貝は大きく底が深いので、昔は鍋や食器に利用された。

※ 私たちの先祖は、貝の利用についていろいろな知恵があったようです。まだまだたくさんあったと思います。ご存じの方はご教示くださいまうようお願いいたします。
日本の貝(1)


日本の貝(2)






ラベル:村上国信
posted by hathitu at 17:08| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の方言(アンベー)塩梅について

★喜界島の関連ページです。見てください。★

    ■ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ■

       http://umooriyokikaijima.seesaa.net/


■ アンベー=塩梅の転、

 方言では「ばい」の連母音は「ベー」の長音に変化する特色があります。

 原義は次の通り。

1 食べ物の味加減を整える。

2 食物の調味に用いる。塩と梅酢の分量。

3 物事のほどあい、加減(古語辞典)とある。

 方言では原義の他に「らしい」「ようだ」の推量と「身体の調子具合」の意味が含まれている。

 語例

 アンベー ワッサ ニンボウリ=身体の具合が悪く寝ている。

 ヤッキー ヤメエヤ サーホン アンベーカ=兄さんの病はどんな具合か

 ハリルン アンベー=晴れるらしい 晴れのようだ

 ヰカ アンベー=よい頃合、よい具合

  アンを脱落させることも多い。

 上嘉鉄方言では、原義の食事の味加減にはあまり耳にしない。昔はあったと思う。  以下略

                   (西島記)



       平成14年10月 「上嘉鉄魂」第53号 掲載


posted by hathitu at 19:49| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上嘉鉄の夏の食事

 ヒチィウバイ=挽き(ひき)と椀飯(わうばん)の複合語、喜界島方言でご飯のことを「ウバイ」という。

「ウバイ」の語源は上代語で「椀飯(わうばん)」のことで「椀に盛った飯」の意味。更に中世になると「ご飯」というようになる。方言の「ウバイ」は「ワウバン」の転訛と思われる。

 ヒチィウバイは小麦または大麦を磨り臼(すりうす)で挽き潰したお湯の中に少しずつゆっくりいれる。

 小麦粉のお粥の感じ、畑地が多く、水田が少ない我が集落の大事な食事だった。昔は麦を大量に生産したが今は全く作らなくなった。

 ヒチィウバイは炊きたておかゆのような感じだが冷えるとやや固くなり、真夏の夏負けで食欲不振の時にユミスーと食べたあの味は忘れられない。それにお米を少々加えるとなお美味しい。

 ソウスの語源は古語の磨り臼(すりうす)スリウス→スウス→ス→ソウスと変化

ウトゥシイリ=落とし入れ

 幕末の奄美の記録(南島雑話)の食事の蘇鉄粥の項に「落とし入れ」の記録が数カ所に見える。

 ウトゥシイリはヒチィウバイに砂糖を入れて味付けしたおやつのこと。お盆の先祖のお供えには欠かせないおやつの一つ。




 沸騰したお湯の中に小麦粉と砂糖の粉末を徐々に上から落とし入れる、料理方法からでた言葉と思われる。

インニュミ=はったい粉のこと

 小麦粉をケーナビー(鍋の焼けた物、欠け鍋のこと)で炒って焦がし、ソウス(磨り臼 すりうす)で挽き潰し粉末にした物に砂糖を混ぜてそのまま食べる。

 語源は「イン=口に入れる」と「ニュミ=飲み込む」の複合語と考えられる。

 真夏の熱い昼下がり農作業に出かける前ガンマラーの固い葉ですくって食べる。そのうえ木陰の涼しい事も気分を爽快にさせてくれた。

                (文責 西島)

      ●協力者 生 禎蔵、盛 すみ子、安藤 梅本氏●


平成 13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載

★喜界島の関連ページです。見てください。★

    ■ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ■

       http://umooriyokikaijima.seesaa.net/
posted by hathitu at 08:43| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

昔の食生活を考える

 現在の私たちの食生活は99%島外からの移入に依存していますが,私たちの祖先は何を食べていたか,

 当時は自給自足の経済生活で(奄美の貨幣経済は明治になってから)昔の食生活を考えるのも興味あることではないかと考えます。

 昔の主食は,稲,粟,麦,里芋,黍,薩摩芋等であったと考えられる。これら主食の伝来等について考えてみました。

■ 稲について

 稲の原産地はインド東部を中心とする熱帯地域で今から4000年から5000年前に稲の栽培が始まったといわれています。

 日本への伝来は縄文時代から弥生時代に中国南部あるいは南方から,稲作技術を持った人々の渡来により始まり当初は北九州で栽培され次第に近畿,南九州へひろまったといわれています。

(今から3000年ほど前に中国ー朝鮮ー北九州が定説となっています)

          以下次号へ  (西島)



平成11年4月1日(木) 「上嘉鉄魂」第11号 掲載続きを読む
posted by hathitu at 13:15| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■2008年12月■ ■2009年1月■2009年2月■
RSSへのリンク新着情報をお知らせします。RSSをお持ちの方はぜひご登録ください。
■関連サイト、ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へもよろしく■
サイト内検索ご利用ください。気になる言葉を入力するとお探しの記事がヒットします。

2009年03月02日

フトゥムッチィを食べる

 3月節句に蓬を使用するのは古くからの全国的風習で、民俗辞典によれば奈良・平安貴族は蓬を部屋に置いて、その独特の芳香を楽しんだ記録があります。

 また万葉集にも歌われており独特の芳香が霊草と言われ、魔除けに通じると信じ家の軒先に差して悪霊の侵入を防いだ。

 祖先の花生けにしたり、もぐさに加工してお灸にも使用される。

 昔話集に「昔、鬼に追われて食い殺されそうになった人間が蓬が生えている茂みの中に隠れたら、強烈な蓬の香りに人間の香は打ち消され分からなくなり、鬼はその儘立ち去り、人間は漸く助かった」

とそれ以来、蓬で団子を作り食べるようになったと。

 昔(小学生の頃)食べたフトゥムチィの味は懐かしく鮮明に焼き付いて忘れない。今はスーパーに行けば何時でもいくらでも自由に購入でき、季節感を失った。

 然し、昔、母が手で一生懸命に捏ねて作った餅ほどに味と香りがしないのは、豊富に出回ったせいで味覚が麻痺したか?

 飽食の罪か?有り余ることは物の有りがたさを、その価値を失わせるようだ。

                          南界記


平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載


posted by hathitu at 06:16| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

むかしの人の「貝と生活」・・・村上 国信

村上 国信
 <上嘉鉄小学校児童と貝について・・・>

1 ホラガイ「フジツガイ科」(方言名=ブラー)

 昔の合図は、殆どホラガイ(ブラー)で行っていました。特に喜界島ではホラガイを合図として使っていました。

 @ 集合の合図
 A 人がいなくなった時に探してくださいとの合図
 B 本土では今でも修験者が修行で山に登るときにホラガイが使われています。

2 タカラガイ科(スビー)

 @ ハナマルユキタカラガイ(クルスビー)

この貝は小魚や海老を捕る網の錘や投網の錘として使っていました。

A ハナビラタカラガイ(シルスビー)
  
  この貝は女児の「おはじき」として重宝がられていました。

B キイロタカラガイ(アジャースビー)

この貝も「おはじき」として使用されていましたが、量が少なく色が鮮やかなのでシ ルスビー1〜3個と交換した貴重な貝でした。
 
  昔は中国やニューギニアあたりでは貨幣として使われていました。

※ タカラガイ科の中で特に大型のハチジョウタカラガイ(ミヨー)は、安産に効き目が あるとの俗信があり、この貝は「子安貝」とも言われています。(竹取物語)

※ 中山伝信録によると15世紀の初めスビーを沖縄から中国へ5万8千個、密輸したと いう記録がある。

  それは主に「キイロタカラガイ」(アジャスビー)である。その事から考えて、近世 の初期頃まで重要視されていた。私たちの先祖もせっせと貝拾いに励んでいたと推察さ れる。

3 ヤコウガイ「リュウキュウサザエ科」(ヤクゲー)

この貝は砕いたら光沢のある薄い板状になり、漆細工の装飾に今も利用されている。

4 イモガイ科(ティンブー)

  この貝は「コマ」=(クゥルー)遊びに使われていました。イモガイの種類はたくさ んあり、どのイモガイも良く回りますが近くでよく採れる「マダライモガイ」で回し方 を競争をして遊んでいました。

5 ミミガイ(ミミガイ科)(インニュミーガヤー)

この貝は「アワビ」の一種で細長いので「ハッタイ粉」=(インニュミ)をすくって 食べるのに用いた。現在の匙の代用。

6 イタヤガイ(方言では?)

この貝は味噌汁等の汁ものを注ぐ杓子として利用されていました。

7 ゴホウラ「スイショウガイ科」(あまりとれないので方言の名前はないようです)

この貝は大昔の人たちがお酒落用の腕輪として使われていました。大昔の遺跡などか ら腕輪を填めた人体がでたという話をよく聞きます。

8 ハマグリ「マルスダレガイ科」(コウヤクカヤー)

この貝は、お医者さんが塗り薬(膏薬)を入れる容器にした。

9 スイジガイ「スイショウガイ科」(方言名?)

この貝は家の玄関に掛けて魔除けとして利用された。

10 シャコガイ「シャコガイ科」

この貝は大きく底が深いので、昔は鍋や食器に利用された。

※ 私たちの先祖は、貝の利用についていろいろな知恵があったようです。まだまだたくさんあったと思います。ご存じの方はご教示くださいまうようお願いいたします。
日本の貝(1)


日本の貝(2)






ラベル:村上国信
posted by hathitu at 17:08| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の方言(アンベー)塩梅について

★喜界島の関連ページです。見てください。★

    ■ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ■

       http://umooriyokikaijima.seesaa.net/


■ アンベー=塩梅の転、

 方言では「ばい」の連母音は「ベー」の長音に変化する特色があります。

 原義は次の通り。

1 食べ物の味加減を整える。

2 食物の調味に用いる。塩と梅酢の分量。

3 物事のほどあい、加減(古語辞典)とある。

 方言では原義の他に「らしい」「ようだ」の推量と「身体の調子具合」の意味が含まれている。

 語例

 アンベー ワッサ ニンボウリ=身体の具合が悪く寝ている。

 ヤッキー ヤメエヤ サーホン アンベーカ=兄さんの病はどんな具合か

 ハリルン アンベー=晴れるらしい 晴れのようだ

 ヰカ アンベー=よい頃合、よい具合

  アンを脱落させることも多い。

 上嘉鉄方言では、原義の食事の味加減にはあまり耳にしない。昔はあったと思う。  以下略

                   (西島記)



       平成14年10月 「上嘉鉄魂」第53号 掲載


posted by hathitu at 19:49| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上嘉鉄の夏の食事

 ヒチィウバイ=挽き(ひき)と椀飯(わうばん)の複合語、喜界島方言でご飯のことを「ウバイ」という。

「ウバイ」の語源は上代語で「椀飯(わうばん)」のことで「椀に盛った飯」の意味。更に中世になると「ご飯」というようになる。方言の「ウバイ」は「ワウバン」の転訛と思われる。

 ヒチィウバイは小麦または大麦を磨り臼(すりうす)で挽き潰したお湯の中に少しずつゆっくりいれる。

 小麦粉のお粥の感じ、畑地が多く、水田が少ない我が集落の大事な食事だった。昔は麦を大量に生産したが今は全く作らなくなった。

 ヒチィウバイは炊きたておかゆのような感じだが冷えるとやや固くなり、真夏の夏負けで食欲不振の時にユミスーと食べたあの味は忘れられない。それにお米を少々加えるとなお美味しい。

 ソウスの語源は古語の磨り臼(すりうす)スリウス→スウス→ス→ソウスと変化

ウトゥシイリ=落とし入れ

 幕末の奄美の記録(南島雑話)の食事の蘇鉄粥の項に「落とし入れ」の記録が数カ所に見える。

 ウトゥシイリはヒチィウバイに砂糖を入れて味付けしたおやつのこと。お盆の先祖のお供えには欠かせないおやつの一つ。




 沸騰したお湯の中に小麦粉と砂糖の粉末を徐々に上から落とし入れる、料理方法からでた言葉と思われる。

インニュミ=はったい粉のこと

 小麦粉をケーナビー(鍋の焼けた物、欠け鍋のこと)で炒って焦がし、ソウス(磨り臼 すりうす)で挽き潰し粉末にした物に砂糖を混ぜてそのまま食べる。

 語源は「イン=口に入れる」と「ニュミ=飲み込む」の複合語と考えられる。

 真夏の熱い昼下がり農作業に出かける前ガンマラーの固い葉ですくって食べる。そのうえ木陰の涼しい事も気分を爽快にさせてくれた。

                (文責 西島)

      ●協力者 生 禎蔵、盛 すみ子、安藤 梅本氏●


平成 13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載

★喜界島の関連ページです。見てください。★

    ■ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ■

       http://umooriyokikaijima.seesaa.net/
posted by hathitu at 08:43| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

昔の食生活を考える

 現在の私たちの食生活は99%島外からの移入に依存していますが,私たちの祖先は何を食べていたか,

 当時は自給自足の経済生活で(奄美の貨幣経済は明治になってから)昔の食生活を考えるのも興味あることではないかと考えます。

 昔の主食は,稲,粟,麦,里芋,黍,薩摩芋等であったと考えられる。これら主食の伝来等について考えてみました。

■ 稲について

 稲の原産地はインド東部を中心とする熱帯地域で今から4000年から5000年前に稲の栽培が始まったといわれています。

 日本への伝来は縄文時代から弥生時代に中国南部あるいは南方から,稲作技術を持った人々の渡来により始まり当初は北九州で栽培され次第に近畿,南九州へひろまったといわれています。

(今から3000年ほど前に中国ー朝鮮ー北九州が定説となっています)

          以下次号へ  (西島)



平成11年4月1日(木) 「上嘉鉄魂」第11号 掲載続きを読む
posted by hathitu at 13:15| Comment(0) | 食生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
喜界島上嘉鉄の集落誌「上嘉鉄魂」のTOPへ戻る
関連サイト・ウモーリよ!「結い」の島・喜界島へ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。