2009年04月25日

「上嘉鉄魂」第66号より

■ 福岡輝一郎氏  町固定資産税審議委員に

 固定資産税新議員は固定資産(土地・家屋・機械等)の適正評価を決める機関、固定資産は年数の経過と共に評価が軽減されるので評価の見直しを審議することを主目的とする機関

 町長が選任し、議会の議決が必要。

 任期は3年、喜界町では各中学校から1名選任される。おめでとうございます。

 しっかり頑張ってください。


■ 生島常範氏 町財政改革推進委員に任命

 我が喜界町では他市町村と合併しないで自立の道を選択したので現行の行政改革大綱の見直しを行わざるを得なくなっています。

 民間人で組織する喜界町財政改革推進委員(15名)に上嘉鉄から生島常範氏が選任されました。

 主な仕事は、

 役場内で検討された行政改革案を審議することですが、事務事業の見直し、組織機構改革見直しなど、大きな問題ばかりです。


 無駄を省きながら、住民サービスの充実を目ざしていますが、皆が少しずつ我慢しなければならなくなります。

 今までの考えを変えて、身の丈に合った「自立できる喜界町」にしなければなりません。

 会議は毎月1回のペースで行われ、来年1月に町長に答申します。集落の皆さん、出郷者の皆さんもお気軽にご意見をお寄せください。

                     (生島 常範)

■ 新装となった天理教上界分教会


 上嘉鉄の天理教上界分教会は、初代西岡時仙翁(西岡秀道氏の曾祖父)が大正9年11月に開基。この度新築改装となった。

 二代目西岡又七会長が昭和30年ころ改築して以来である。

 新築された教会は従前の建物より一回り大きく、棟梁福岡輝一郎氏の技術の粋を結集した建築、その上近代的設備を要所に整えた快適な教会だ。

 去る10月1日、信者多数見守るなかで大教会長様を初め役員の方々によって親神様、教祖、御霊の御鎮座祭を執り行い、めでたくお鎮まり遊ばされた。



平成15年 11月「上嘉鉄魂」第66号 掲載


 
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2009年03月06日

ガソリン税から見えてきたこと・・・生島 小梅

 第二中学校の生島小梅さんが、税に関する作文を書いて、

 財団法人 日本税務協会会長賞を受賞しました。おめでとうございます。

 小梅さんは、「上嘉鉄魂」の編集委員の生島常範氏の娘さんです。

 この作文は、選択社会科の授業で社会科の佐藤先生と学んだ税の学習を通して書かれた作品です。「税に関する優秀作品集」という冊子の一番目に掲載されています。

 母校第二中学校の子どもたちは、頑張っています。しっかりした考えを持っていて感心します。

 次に紹介します。



   ガソリン税から見えてきたこと  

喜界町立 第二中学校
3年 生島 小梅
 「ガソリン暫定税率、存続か廃止か」

今年2月、国会で大きな話題になっていた。しかし、その時は意味が分からず、興味もなかった。

 むしろ、高速道路がなく、信号も一つしかない私たちの離島生活にはあまり関係のない話だと思っていた。

 ところが、3年生になり、選択社会科の授業でガソリン税について学習するうちに、私は身の回りの生活の仕組みについて広く考えるようになっていった。

 まず、「受益者負担」という原則。道路は車を利用する人が主に使うわけだから、ガソリンに税をかけ、その車を利用する人から集めたお金で道路を作ろうという考えには賛成だ。

 そういう意味では、集落の道路や公民館の草刈り等の奉仕作業が頭に浮かぶ。自分たちが使う地域の施設だから財政に頼らず、自分たちの力で美しくしていこうというのも「受益者負担」と同じことだと思った。

 そしてガソリン税は、「道路特定財源」といい、使い途が道路整備だけに限定されている。

 税の目的や使い道がはっきりしていることは、納税者の立場からすれば、納税しやすいように思える。

 しかし、今年3月、母と買い物をした帰りに聞いた話が気になる。継ぎ接ぎになっている道路や工事中の標識が立ち並ぶ路線をたくさん見つけた。

 その理由を尋ねると、「年度末は予算消化のための道路工事が多いらしい」

と母は教えてくれた。私は、無性に腹が立った。これこそ税金の無駄遣いではないのか。テレビのニュースで報道される無駄な道路整備事業を思いおこさずにはいられない。

 夏休み、先生に誘われて町議会の傍聴に行った。興味本位でついて行ったのだが、議会の真剣で鋭いやりとりに思わず息を飲んだ。

 町道の認定一つでも、工事期限の延長や区間について細かに議員が問いただしていた。
また、私たちが食べる給食加工業務の歳出が削減された理由についても答弁が行われていた。

 このような緊張感の中で私たちの税金の使い道が決められていると思うと、以前までの「税金の無駄遣い」という疑いは消え、むしろ頼もしい安心感が芽生えてきた。

 さらに、ガソリン税には、道路整備をますます促進するために「暫定税率」が上乗せされている。賛否両論ある中、私の意見としては、上乗せ分の税金を道路だけでなく。離島交通の補助にも使えるようにすべきだと思う。

 私の住んでいる喜界島では、ガソリン平均価格が全国平均よりも30円以上高い。その上、部活の遠征、眼科や産婦人科などの通院で船や飛行機を利用することも多い。

 税に思いやりの精神が生かされているならば、暫定税率を離島交通の補助にも役立ててほしい。

 このように、ガソリン税の学習を通して、今まで思いもしなかった身の回りの生活の仕組が見えてきた。今後も将来の納税者として、この学習で得た観察力をさらに磨きたい。




姉妹サイト『ウモーリよ!「結い」の島・喜界島』にガソリンに関する記事あり。

http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/112176305.html

   http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/114836786.html

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2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



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編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
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2009年03月01日

友岡 藤市郎氏が南日本新聞社賞

 南日本新春俳句大会(鹿児島県俳人協会主催・南日本新聞社後援)が1月6日、鹿児島市黎明館であり、県内外から136人が参加、新春雑詠2句ずつ投句の規定。

 上東出身・友岡藤市郎氏の次の作品が互選の部で見事上位入賞(4位)を果たした。

■筬(おさ)ひとつ音確かめて織始

  (この作品が入賞作品)
  (1月7日付 南日本新聞) この作品は、田舎の紬織を思い出して詠んでみたとのこと。おめでとうございます。ますますのご精進・ご活躍をお祈りいたします。

 同氏は俳句に挑戦してボケ防止に努めているとのこと。

【俳句】
友岡 藤市郎作

・膝上の猫の温もり冬に入る

・甘蔗(きび)刈るや曲がり揃えて括りけり

・台地にも風の道あり櫓大根

・熱燗(あつかん)やふるさ訛り泣き上戸

・梅咲くや新種を買い土を買い

・ざわざわと甘蔗の葉音や開戦日

・ふるさとや一家総出の甘蔗刈る

・盆栽の一の枝二の枝天の梅

・新糖の香り届きし宅急便


平成20年2月 「上嘉鉄魂」第117号 掲載


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2009年02月28日

今年の初敬老は八名

 第89回 上嘉鉄敬老会

 去る1月3日、上嘉鉄小体育館には敬老者を祝うため多くの集落民が参加、89回目を迎える伝統行事が盛大に開催されました。

 今年の初敬老者は8名。内3名が出席されました。主催者、来賓の挨拶に続き、祝舞、祝唄や初敬老者の家族による歌や踊りの披露の他、3集落の婦人会・子ども会を中心にした出し物でお祝いに華を添えました。

 余興最後は、「筋肉隆々の色っぽい」青年団による歌と踊りの大熱演に最前列の初敬老者も目を背けながらハンカチで涙(笑いすぎ?)を拭いていました。

 初敬老者を代表して藤村昭輝さん(上中)が「主催者、来賓の皆さんからお祝いを戴き、ありがとうございます。今日から先輩の敬老者の皆さんの仲間入りができて、とても嬉しいです。

 私たちのために歌や踊りでお祝いして頂いた集落の皆さん、青年団のみなさんに感謝申し上げます。」

と謝辞を述べました。

 敬老者名簿によると、数え70歳以上の方は合計で182名、上東65名、上中55名、上西62名。

 男性の最高齢者は藤岡實基さん(99歳・上中)、女性は上中の原口ウツさんと上西の生ウメさんのお二人が共に101歳。

 敬老者の皆さん、これからもお元気でお過ごしください。

(生島)


平成21年3月 「上嘉鉄魂」第128号 掲載



ラベル:上嘉鉄敬老会
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2009年02月27日

新春に語る・・・榮 哲治




 新年あけまして、おめでとうございます。

昨年の町議選では、集落の皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。

 お陰様で、初当選を果たすことができました。選挙期間中に皆様に訴えてきましたキャッチフレーズ

「集落の元気が喜界町の発展」

のさらなる実現と共に、お年寄りが安心して暮らせる島づくりに4年間一生懸命頑張って参りたいと思っています。

 ご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

「現在喜界町で一番元気のある集落は上嘉鉄である」

と言っても過言ではないと思います。町主催のスポーツ大会でも参加数の多さはもちろん、成績の面でも大変すばらしい結果を残しております。

 また、文化面でも子どもから高齢者まで幅広い層での青年団による盆踊りも負けない「喜界島の夏の風物詩」となっております。

 また、最近は青年団の有志によるボランティア活動が活発です。シツル崎灯台を中心に清掃活動を続けている「やらそう会」や通勤で湾頭原を利用する人々による道路まで生い茂った雑木、雑草の伐採作業等は、

 その参加人数や作業規模、内容といい圧巻です。短時間でとてもきれいに仕上げています。

 他の集落より「上嘉鉄は何をしてもよくまとまるなあ」

と耳にします。その事について私は先人達がつくり上げた「ハティトゥ魂」の教えを守ってきたからだと思います。

「ハティトゥ魂」の理念は、3つの柱より成り立っています。

1 負けないこと。

2 団結すること。

3 よく働くこと。

 の3つです。

 子ども達の教育面や大人の社会生活でもこれを実践すれば間違いなく大成すると思います。

 更に、上嘉鉄の良さである「後輩は先輩を敬い、先輩は後輩に慕われるよう学びながら後輩を育てる」

 この古き良き伝統でこれからも若者たちをしっかり育てていきたいものです。

 最後に、今年1年間、牛歩のごとく、たとえ遅くとも確実に1歩、1歩目の前の問題から目を背けず、力を合わせて集落の発展、もっと元気のあるハティトゥになるよう頑張って参りましょう。
              喜界町議会議員  榮 哲治(上 東)


  平成21年 3月 「上嘉鉄魂」第128号 掲載 

 ■郵送よりも、この記事を早く読まれるかたもいらっしゃると思います。3月2日(月)に発送の予定です。■



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2009年02月22日

姿を消した昔の女性の髪型



 戦争中は行政が国家主義政策をとった関係もあって、女性の髪型は規制の対象とされていました。

 現在のパーマネントは外国文化だとの理由で禁止されていた。

 下の図は終戦前までの女性(婦人)の髪型です。結い方は背後に髪の毛を全部束ねて、手に1回巻いてひねり、残りの髪の毛を毛の根本に巻き付け、手に巻いた髪で巻き付けた所をおおうようにします。

 そうして巻き付けた毛先をひっくり返して押さえて、最後にギィーハーで留める。

 ほつれにくくて、農作業等に便利だったと老婆は語る。今は、すっかり姿を消して拝見するのは難しい。


kamigata090222.JPG




平成14年8月「上嘉鉄魂」 第51号 掲載





ラベル:髪型
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母校の卒業式・・・盛山 末吉



 久しぶりに母校上小をはじめ、幼稚園、二中の卒業式、卒園式に出席する機会にめぐまれました。

 このたびは愚生の退職時の学校でもあり、また母校である上嘉鉄小学校の式について述べることといたします。

 いずれの学園も都市部の学校にみられるような荒れた卒業式風景は全くなく粛々と進行する母校の充実ぶりに感銘を覚えました。上小は児童数52名、一部複式の五学級で9名の先生方で運営されるミニ校となりました。

 お互いが男女別クラスで1学級四十余名ほどの頃とは夢のような錯覚を覚える現状です。これも少子高齢化現象でしょうか。時代の流れとはいえさびしさ一入です。
 

 いただきました卒業のしおりの表紙には卒業生6名の全身写真がプリントされ、教師の心くばり印刷技術の進歩に驚くばかりです。

 証書のいただき方をはじめ式全体がまことに厳粛に進行しました。これも先生方の日常の教育活動が細部にわたった、ぬくもりに満ちた指導の賜物であり、指導を素直に受けた児童諸君もりっぱだなと思うことでした。受賞態度も決して無理せず、自然の形でなされ、回れ右もこなす姿に感動いたしました。

 受賞時にはオーバーヘッドを使って一人一人の思い出の一駒が放映されとても印象的で児童達も永遠に忘れることのない思い出となったことでしょう。

 卒業生・在校生のお別れの言葉は少々長いようでしたが、とても有意義な内容でした。中でも方言大会開催のこともあり、一種独特のカテツ方言をりっぱな言語文化として捉え、このような大会を開催された見識に最敬礼です。(堂々と話せハティツ ユミタ)と言いたい。
 
 久しぶりに聞く「仰げば尊し」にぼくは目頭を熱くしました。僕ももう古いタイプの人間だなと心の中で諦めることでした。大きいばかりが能ではない(ヤセガマンか?)母校の児童数の減少傾向にあるこの姿にどう対応したらよいか校区民の大きな課題といえましょう。

 当日は雨天のため校庭が水浸し状態となっていた、町長さんもご列席のようであったのできっと行政側としての対策もご一考なされたことと思います。またぜひ改善して欲しいものです。

 最後に学校長の式辞の中から「@目標をもって常に努力する人になれAまわりの人から感謝される人になれ」名訓辞で結びといたします。
母校よ永遠なれ    (盛山末吉記)


平成16年5月 「上嘉鉄魂」第72号 掲載 


ラベル:盛山 末吉
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2009年02月19日

記念切手・・・盛山 末吉



 大好きだった磯釣りも歳には勝てず、磯を渡り歩くのがこわくなり、ついに釣りおさめとした。

 使い馴れたカーボン竿を見ると心躍る思いだけどただ眺めるだけとなってしまった。

「人は死んだら美しい綾ハビラとなって怪しく飛び回っている」このことを知ってから蝶採集もストップした。

 それまで採集した蝶は、きちんと標本箱に納め我が家の守り神として飾っている。

 ところで体力のいらない趣味はないだろうかと考えた末、あげくのはてが記念切手採集となってしまった。

 ファイルに並ぶ美しい切手に魅せられ、局のドアをくぐってもう何年だろうか。先日(31日)は、2002年ワールドカップ日本・韓国大会の記念切手を手にしました。

 戦時中の学生時代は蹴球とよび、喜界島出身の先輩達が蹴球部員として活躍していた。ファイルをめくると細道シリーズ記念切手は10集まで続き、懐かしい奥の細道の景色が展開され思い出の句が映えていた。

■ 荒海や佐渡によこたふ天河

■ 石山の石よりや白し 秋の風

■ さみだれをあつめて早し最上川


 天皇陛下ご即位記念切手、皇太子殿下ご成婚記念切手、日本ポルトガル友好450年記念切手等々珍しい切手が行儀良くファイルに納まっている。

 記念切手をいただくため訪れる局のカウンターには来客用の数多くの品々が並べられている。筆記用具、糊、老眼鏡、飴玉、さては高齢者向けだろうか自動血圧計もあり、加えて各種のパンフレットも整然と並べられ、なんら退屈することなく時間待ちができる仕組みになっている。

 ほんとにぬくもりにみちた精一杯の心遣いといえよう。

 このような心遣いもさることながら、局の方々の事務処理に見惚れている。鮮やかなスピーディーな指さばき、紙幣さばきは神業のようで、人は習熟次第では、このような手さばきが可能なのかと感嘆ひとしおです。

 テレビの簡単な操作ですら危なっかしい僕にとって局員さんの頭や手の回転振りに改めてびっくりしております。

 いらっしゃい・・・ありがとうの自然な挨拶もこれまた見事でカウンターを一段と明るく包んでいる。

 他の役所はどうだろうかといらないことを考えたりしながら今日も局をあとにすることにした。
盛山 末吉
平成13年7月「上嘉鉄魂」第38号 掲載



ラベル:記念切手
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2009年02月12日

ヤジー五つ子誕生・・・盛 直二郎

 上中 盛 直二郎さん夫婦子育てに大忙し

 去る1月27日、上中の盛直二郎さん宅の親山羊が五つ子を出産しました。

 午前9時頃、子山羊の泣き声がしたので、直二郎さんが山羊小屋へ行くとすでに4頭が生まれており、5頭目も出産間近。

 妻のスミさんを読んで夫婦で出産を手伝い、ストーブで小屋を暖め、お湯を沸かして子山羊の体を洗いました。

 この日から盛さんご夫婦の子育てが始まりました。お二人の子育ての様子を取材しました。

 山羊の乳首は二つなので、乳にありつけなかったり、親山羊に踏まれてしまったりして死んでしまうことがよくあるので、スミさんは1日2回、ほ乳瓶で粉ミルクを与えています。

 今ではすっかり慣れてスミさんが近づくとお乳の時間と分かり、近づいてきます。1頭ずつ「だめよー、あわてないで」等と普通語で声をかけながらゆっくりミルクを飲ませる様子は本当の母親です。




 産みの親も大助かりで安心して草を食べていました。直二郎さんは、「やんかーぬ いなさん なれん おーどー しらんばー」と小屋を大きく広げていました。

 口コミや新聞等でも紹介され、幼稚園児も見学にきたり、友人からの電話でも第一声は「やじーや 元気な?」と聞かれるほど親しまれています。

 また、先日は東京のテレビ局から電話取材があり、
「散歩にも連れていくのですか?」等と聞かれたとか。

 この日は、近所のおばさんが二人見学にきました。
「ほっほーよ だり! ふんとーじゃそー」「人間は児童手当がもらえるが、山羊はどうなるんだろう」等と子育ての心配までして帰っていきました。

 一ヶ月を迎える子山羊たちは、元気に育っており、直二郎さん夫婦は毎日、目を細めて子どもたちの成長を見守っています。

 「親山羊は五つ子を大事に育てている。子どもを捨てる人間は畜生以下」

 スミさんの言葉が心に残りました。

                        文責 生島


平成16年3月「上嘉鉄魂」第70号 掲載
ラベル:やじー五つ子
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2009年02月11日

上嘉鉄民芸保存会・・・サンシンクラブの子ども達

 「世界の奄美人大会」でソーバン踊り発表

 9月6日(日)名瀬市の奄美文化センターで行われた。奄美群島日本復帰50周年・奄美群島交流推進事業「世界の奄美人(アマミンチュ)大会」(奄美群島広域事務組合主催)の交流アトラクションで上嘉鉄民芸保存会サンシンクラブ(梅 龍飛部長)の20名が堂々とソーバン踊りと六調を発表した。

 この模様はインターネットライブで世界へ生中継された。

 上嘉鉄盆踊りでの発表を見た役場の方の推薦で「喜界島代表」として公費出演することが正式に決定したのは、本番のわずか2週間前のこと。

 「棒踊り、八月踊りと違って、喜界島にしかないから」

が主催者側の決定理由だった。

 大舞台で発表できる喜びよりも、名瀬に1泊旅行で遊びに行ける方が嬉しいというのが子ども達の本音だったが、直前まで5回の練習のかいあって大舞台では堂々と歌い、踊ることができた。

 特に、楽しそうに踊ることが出来なかった六調踊りも上手になり、フィナーレの六調保存会の皆さんの誘いに皆舞台に出て一緒に踊る我が子に涙する保護者もいたほど感動を与えてくれた。




 当日は名瀬市在住上嘉鉄郷友会の盛山弘一会長はじめ会員の方々も楽屋にかけつけ、子ども達に金一封贈呈。

 更に踊り終わった舞台では中山京子同会婦人部長より、梅部長に大きな花束の贈呈もあり皆驚きと喜びでいっぱいだった。

 盛山会長から歓迎会のお誘いもあったが、早朝の船旅と極度の緊張の為、疲れているうえに大人3名が引率として子ども達の面倒を見ていることから、申し訳ないが丁寧にお断りした。

 名瀬在住のシマッチュの皆さん、ありがとうございました。名瀬市内では喜界会も数年前から活動休止状態にある中、上嘉鉄郷友会だけが、年2回の行事を通して郷友の親睦を図っていると聞いた。

 本当に頼もしい限りである。益々のご発展をお祈りします。

生島 常範記


平成15年10月「上嘉鉄魂」第65号 掲載
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2009年02月05日

人生80年時代を生きる・・・村上国信

 新年明けまして おめでとうございます。

 皆様には、平成16年の新春を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

 今年は、奄美が日本に復帰して50年になる記念すべき年であります。終戦が昭和20年8月15日で、日本復帰したのが昭和28年12月25日ですから、その8年余りはアメリカ統治下にあったわけで、その間の苦労は筆舌に尽くせないものがありました。

 昭和20年代の焦土と化した喜界島には衣食住、全てが皆無と言ってよいほど何もなかった時代を私たちは生き抜いてきたのです。

 衣と住は、空襲でやられて焼け野が原、食の方は農業ができず、芋さえも植えることができず島民みんなが飢えにあえいでいた時代でした。

 私たち高齢者は、戦前、戦中、戦後の激動の中の貧しく苦しい時代を生き抜き、そして未だかってない豊かな今日を築いてきた経験を持っています。

 このことは、高齢者の自信であり、誇りでもあります。戦後の焼け野が原で衣食住すべてが困窮した時代から、現在のような平和でこのような素晴らしい住みよい喜界島になろうと誰が予想したでしょうか。

 現在日本は世界一の長寿国で、男子の平均寿命が78.32歳、女性が85.23歳ですから、まさに「人生80年時代」の到来です。

 将来の見通しが、必ずしも明るくない経済状況の中で、高齢者への期待は大きく、私たちはこれに応える責務があり、また生きがいのためにも社会活動に積極的に参加していただきたいものです。

 人生80年代を迎えて、どう生きるか?と言うことは、私たちひとり一人が出来るだけ介護保険の世話にならないために、常に健康に留意しながら生活することだと思います。
 
 どうぞ、何時までもお元気で生涯現役でありますようお祈り申し上げまして年頭のご挨拶とさせていただきます。

              町老連・上西老人会長 村上 国信


           平成16年1月「上嘉鉄魂」第68号 掲載




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2009年02月04日

大島中学校時代の思い出・・・桐野茂昭

 それは、小生が中学3年の3学期の事です。遭難に会い、3学期の始業式に遅れた時でした。帰校するにはどうしても便船を待つしかない。離島という不便さと苦しみをいやというほど味あわされた時代だった。

 約1週間後に古仁屋行きの木甫丸(もっぽまる)に乗せてもらった。当時、名瀬と古仁屋間は19里と言われ大きな山を5つも越えなければならない。ズックなどはない。

 下駄履きだが当時の石ころ道ではすぐに減ったり割れたりで、最後は全員裸足で歩いた。担い棒の前後に風呂敷包みとトランクを下げての長陸行だった。

 県道は遠いので急峻で人間が一人しか通れないクンキリ(大島方言で近道のこと)をハブと闘いながらあえぎあえぎ登って行った。

 手持ちの弁当や菓子類も底をついた。ここで空腹と疲労が全身を襲った。住用村摺勝を通過時は草木も眠る丑満時(夜中の2〜3時)だった。

 東城国民学校の校長をされていた先山出身の大原吉与先生のことが頭をよぎった。早速校長住宅に行き壊れかけた雨戸をたたいて先生を起こし恥を忍んで事情を説明したら

「ハンスーがあるから洗って蒸しなさい」

と願ってもないありがたいお言葉をいただき天にも昇る気がした。大きなソービ(竹籠)山盛りの芋を7〜8名でみるみるうちに全部平らげ満腹感一杯になり、お礼を述べ、夜明け前に又歩き出した。

 翌日1週間ぶりに出校したが、一体何が待っていただろうか。始業式に遅れたとだけの理由で職員室の板間に約2時間正座させられ教頭や担任教師たちから入れ代わり立ち代わり、いやというほど厳しい説教を浴びる始末。

 最後に決断をするときがきた。
「君たちは退学を選ぶか、それとも1ヶ月全校の便所汲みをするか二者択一だ」
と皆、驚き、隣同士顔を見合わせひそひそ話だ。

 退校処分は一躍悪名を轟かすことになる。一生の恥だ。しぶしぶながら後者に落ち着いた。以後は1ヶ月間、毎日放課後は暗くなるまで二人一組で大きなタンゴを悪臭を嗅ぎながら担いだ。

 中には軽蔑気味に視線をやる生徒もいたが仕方がない。もし、大島中学校が男女共学なら女生徒たちがどんな目で見たであろうかと想像すると多感な思春期の恥さらしで、冷や汗三斗の思いがした。




 
いよいよ中間試験が間近だ。他の級友たちは早々帰宅して試験に備えていたが、便所汲み取り連は、時間的余裕がないので晩は、必死になって机に向かった。

 試験の結果は信じられないほどに、全員自己最高の順位を得て、これは不思議がられたことだった。

 なぜか、

 「人間は追い詰められ崖っぷちに立たされると、菊丸での遭難同様に人間はいざとなれば異常な力を発揮するものだ」

と後になって解ったことです。即ち時間を無駄にせず有効に活用することこそ最も重要なことだと身をもって悟ったことでした。

 罰当番が解禁になりウシーしたが次の試験では、便所汲み取り連は、全員一様に順位が下降したことは想像に難くない。

 以上は青春時代の波乱に満ちた吾が人生の一駒を思い浮かべながら筆を執った。
(桐野他)


平成16年7月「上嘉鉄魂」第74号 掲載

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九死に一生を得た 遭難の思い出 61号の続き

九死に一生を得た 遭難の思い出




 奄美関連の本70冊を紹介しています。朝日新聞社名瀬通信局長時代に奄美を満喫したことも紹介しています。奄美を知るならこの一冊




ラベル:大島中学校
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テーチィバナシ・・・南界記

 チィノウ ハダハダ イヌチェー ナガナガ

 着物は、柔らの畳語 生命(寿命)は 長く長く 

「ハダハダ」の意味は、不可解だが、強いて国語に当てはめると国語の「柔ら・やわら」=固くない・やわらかい様の転で丈夫でない意味の畳語では?

 その場その場の意味にも解されると思う。方言の「ラ」は「ダ」に変化する傾向がある。あとの生命は長くという語句から考えると着物の寿命は短く、人命は長くと言う意味になる。

 沖縄にも同様の諺があって、伊波全集には「ハラハラ」とあって、古くなった着物が手に触れただけで破れる状態と解釈している。「ハダハダ」と「ハラハラ」の違いはあるものの同一諺だ。

 伊波全集によると、子どもに着物を新調して着せ始めるときに母親が
「チィノウ ハラハラ イヌチェー ナガナガ」と唱えごとをしながら着けさせたという。

 喜界島でも同様な呪文を唱えながら母親が子どもにつけさせたであろうと考えさせられる。

 この諺には、次のような思想が隠されていると推量される。着物の寿命など少しも気にしないで、「お前の身体は自由にいくらでも伸び伸びとあばれ活動して丈夫な身体に成長して欲しい。衣服等に左右されて小さくなるな」

 との願いが込められている。実際は、あばれて着物を破って帰って来れば叱られ、現実と理想の矛盾も感じられはするが、然し、どんなにすばらしい高価な衣服でも身体には変えられないことを十分に知っていたと思う。

 衣服に不自由しながらも健康第一の考えには誠の心理を言い当てた諺にただ敬服するばかりである。

 着物は、人体を保護するものであり、人間が着物を保護するものではないという人命尊重の思想を感じる。

 国及び地方公共団体の制度にしても同様なことが当てはまる。法律・制度は人民の幸せを守るべきためのものであり。不要になり、当てはまらないものはどんどん改正し、廃止して国民の安全と幸せを守るように改廃すべきだ。

 今、日本国内では憲法改正問題が論議されていますが、制定後60年を経過した日本国憲法という衣装は、制定当時は世界に誇る平和・人権憲法としてすばらしい国際的評価を受けていた日本国憲法であったがテロ事件が発生する現在の国際情勢の変化に十分に対応して日本国及び日本国民を安全に保護できるだろうか皆で論議する必要があると思う。

                     南界記


平成17年2月「上嘉鉄魂」第81号 掲載



   伊波全集の一つですが、古本は高いですね。




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2009年02月03日

福永永嘉先生の足跡・・・喜界島上嘉鉄

 福永永嘉先生は、1892年(明治25年)福 嘉永・イシの長男として上嘉鉄で出生。小学校高等科卒業とほぼ同時に鹿児島師範学校の講習科で学び明治45年に教職につき、初任地は瀬戸内町の阿鉄小学校(現由井小学校)。

 その集落で珍しいソウバン(京盤)踊りを見学し、その踊りの勇壮さとリズムのすばらしさに胸をうたれ魅せられ、早速それを習得した。(遺族の談話による)

 大正3年に帰島早町小を経て、大正5年上嘉鉄小学校勤務を命じられた先生は、学校勤務の合間や余暇を利用して、特に夜間、奉仕活動として青年団活動を通して地域文化発展のため貢献されています。

 先生が故人となられた今では記録資料がなくただ風聞によって、その一部しか紹介できないのは残念である。

1 先生はシマ唄、民俗文化等に造詣が深く、特に初任地で習得したソウバン(京盤)踊りを上東青年会に教えました。それが今日では上東のソウバン踊りとして有名になっています。

 ソウバン踊りの意義については、判明しないが考えるに桝は穀物を計る道具のため、この桝が五穀豊穣によって絶え間なく使用されますようにとの願いをこめて、踊り手から踊り手へと元気よく忙しく威勢のよい踊りで、豊作を念願する意義があると思います。

2 大正の中頃までは小字名でミヤミンハナーの北側は、梅雨時期になるとマチィチャからの水が溢れ水浸しになり、人馬の通行に不便をきたしていたのを憂えた先生はコンクリート製の橋を自費で建設し、人馬の通行を助け、農業の振興を図った。

 通称「福永橋」という。建設年月日不詳(大正の中頃と思う)青年団は先生の業績に対し、先生宅に門柱を寄贈して感謝の意を表した。(昭和42年76歳没)
編集室

 今月より、人物伝コーナーを設けることにしました。特色ある故人の業績を中心にエピソードや微笑ましい話題などを掲載したいと思います。

 順序は資料が揃った方から、掲載いたします。ご遺族の方のご了解とご協力をお願いいたします。


平成12年10月「上嘉鉄魂」第29号 掲載
いいもの王国



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2009年02月02日

おめでとう「叶くん・前泊さん」・・・盛山末吉

 日本本土復帰記念第23回大島地区中学校英語暗唱・弁論大会が12月14日名瀬市立名瀬中学校体育館で開催され、郡内14市町村の代表30人が登壇して日頃の学習成果や主張を堂々と発表した。

 その中で喜界代表第二中学校3年生、叶拓斗君(浦原出身)が並み居る中から弁論の部で優秀賞を受賞しました。

 叶くんおめでとう。第二中学校おめでとう。叶君の横顔を知るよしもないが、この優秀賞の快挙は二中のみならず、上嘉鉄小校区民・町民の誇りであり栄誉であります。

 ほんとにおめでとう。この快挙のかげには本人の努力はもとより指導教師の並々ならぬご指導の賜物であり、同じ道を歩んだ者として心から敬意を表します。ご苦労さまでした。

 また少年の主張全国大会が11月12日東京の青年会館で開催され、九州代表として我が第二中学校の3年生、前泊佑香さん(手久津久)が出場。

 堂々たる発表で最高の内閣総理大臣賞を受賞した。総理大臣賞は鹿児島県からはじめての壮挙とか、本当におめでとう。

 聞くところによると、前泊さんはスポーツも万能選手だという。これから高校・大学とあなたの力を存分に伸ばしてください。

 大島地区大会といい、少年の主張全国大会といい最高の栄誉を勝ち取った第二中学校ほんとにおめでとう。校区民の喜びこれに勝るものはありません。

 本来ならばPTA・校区民あげて祝賀会が至当だとさえ考えます。かねて、道行く老骨にも常に挨拶を送る二中生です。

 この快挙をバネに第二中学校がますます活力に満ちあふれ、さらに飛躍するよう願ってやみません。おめでとうございます。

                        盛山 末吉


平成13年2月「上嘉鉄魂」第33号 掲載

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「輝く奄美の島唄」を読んで・・・盛山末吉

島唄コンサート・・・盛山末吉

シマ唄の教え(続き)・・・盛山 末吉







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新聞の切り抜き・・・盛山 末吉

 なにかしないと退屈するのが年寄りだろうか。

 ぼくは退屈しのぎの一つとして、新聞を読んでいる。朝刊だのに離島ゆえに夕刊になった新聞を夕方読むのがとても楽しみだ。

 老いたらユクッサリー(欲張り)じじいになってしまい、折り込みチラシまですべてユミクッシ(読破)している。

 世の中はカナ文字時代。日常化したサービス、スター、マナー、ボランティアからホスピス(介護施設)、ケア(介護)、ブレーン(頭脳)タイムマシン(空想上の乗り物)等々のカナ言葉も紙面をかざり、辞書を横において読みこなすのもなかなか手間がいる。

 さらにもっと大事なことは世の中の動きが把握できることである。小渕さんが亡くなって森内閣が誕生したことや、九州サミットのことや悲しい少年非行問題や、我が子殺人事件など驚くような事件も冷静に受け止め、孫たちへのムニッキ(教訓)の資料として、ていねいに読み取っている。

 シマ唄に

 天の群星は ゆみばゆみなりゅり

       親の教訓(ユシグツ)は ゆみやならぬ

 と歌い、お天とうさまに輝くたくさんの星は数えられないことはなかろうが、親の教訓は尊くひかり輝きとても数えられるものではない。

 と昔ウヤフジは親のムニッキを讃えている。ぼくは現職時代から新聞記事の切り抜きをしている。

 ぼくの視点にかなった記事だけであるが、切り貼りするのもとても楽しい。
しかも、後日読み直してみるのもドウモウ防止の一助になるような気がする。

 最近の記事では、「ナビーの恋」が楽しい、沖縄芝居の第一人者平良とみ(71)沖縄民謡の大御所登川誠仁(69)の二人を主人公にした唄や踊りもふんだんに盛り込んだ映画「ナビーの恋」は去年末、沖縄で大ヒット、本土上陸後もその勢いは東京では異例の再上映が行われている。

 「おじいちゃんとおばあちゃんがかわいい」「人間で生きる力は恋なんですね」「泣けました」と若者たちがフィバーしている。(6.20南日本新聞)

 やがて喜界島でも上映されるが旅行中のため見られないのが残念だ。喜び驚き悲しみ等を与える新聞、今日もぼくは紙面にしがみつきどれを切り抜こうかと紙面と首ったけである。
盛山 末吉


平成12年10月「上嘉鉄魂」第29号 掲載

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シマ唄の教え(続き)・・・盛山 末吉






ラベル:盛山末吉 新聞
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保食神社宮司・・・前岡 義一

前岡 義一
 20世紀も余すところわずかとなり寒さも増した折柄、皆様方お健やかにお過ごしのことと大慶に存じます。

 この度私は東京の神社本庁により保食神社の宮司に正式に任命され就任致し、代表役員になりました。

 拙劣な者ではありますが誠心誠意、神前にご奉務し、又皆様に御奉仕できる事は私の最大の喜びであります。

 保食神社について申し上げます。保食神社は伊勢の皇太神宮と同じく豊受姫命が御祭神です。鹿児島県神社庁大島支部管内16神社の中で二番目に格式の高い4級神社です。

 (名瀬の高千穂神社は1級神社、住吉神社は4級、残り13社は7級神社)我が保食神社は社格に高いとても重要な神社です。

 2000年最後の大晦日の夜から元旦の朝にかけてまた、元旦、二日、3日と朝から夕方まで宮司が社殿にて皆様方の初詣をお待ち致しております。

 初日の出(午前7時14分)を拝んだ帰りの方々もどうぞ初詣をなさってください。御神酒とお守り袋も用意できました。

 御守り袋は交通安全と開運厄払の二種、各千円です。

 交通安全祈願、家内安全祈願、厄除け祓い、商売繁昌祈願、初宮詣、学業成就、入学、合格祈願、旅行安全祈願、結婚奉告祭、病気平癒祈願、家新築清祓、仕事始祈願、還暦、古希祈願、成人祝、敬老祝祈願、その他諸祈願祭、清祓なども御奉仕執り行います。

 厄年は男25、42,61歳。女19,23,33,49歳各前厄、本厄、後厄があります。

 古来より厄除祓は、大事だとされています。ご希望の方は宮司までご連絡ください。どうかお元気で新しい2001年をお迎えください。
 
 神様のご加護がありますように。


         平成13年1月「上嘉鉄魂」第32号 掲載

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 喜界町上嘉鉄の保食神社

喜界町手久津久・・・花尾神社

高千穂神社・・・喜界町塩道

高千穂神社・・・喜界町湾






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上嘉鉄魂の先生・・・桐野茂昭

 約60年前の話です。信じられないと思われる方もおられるでしょうが実際にあった話です。

 私の小学校時代、上嘉鉄出身で鹿児島師範学校を卒業され上小に赴任なされた若いバリバリの先生のことです。

 先生は毛筆と声楽が達者でした。声楽は本格派で八月ウンミで奉納相撲のあと、集落民の突然の要請により独唱された流行歌の「支那の夜」

 ビブラートをきかした声量たっぷりの歌いぶりに聴衆から拍手喝采の嵐でした。おかげで私どももこの歌を覚えました。

 また先生が怒ると大変、吠えることライオンの如く、聞かない児童は教室の窓から投げられる羽目になり正に戦々恐々だと担任された児童たちは話していました。

 私たちの心に焼き付いたのはなんと言っても彼の走りっぷりでした。学生時代はサッカーの選手でダッシュ、スピード、持久力、体のきれ、いずれも真似のできないすばらしいフォームで後年、私の走りも先生の影響を受けたことは申すまでもありません。

 さて、町村合併以前は町の運動会は湾のミヤト(現第一ホテル付近)で開催されました。全面緑鮮やかな芝生の美しい広場でした。

 当日馬で応援にいく人もいたが大方は徒歩ででかけた。白米のウバイ弁当が食べられるとあって大いに喜んだものだ。

 プログラムの中に教職員リレーがあり、勿論我が上小教員も出場しました。第一走者は、3番の位置、第2走者も順位は不変。

 例の先生は、アンカーで締めくくる作戦だったのでしょう。然し、第3走者がリレーゾーンに入るや否や、その先生を押し退けて自分がバトンを受け取り、ぐんぐん飛ばした。
 
 見物人は呆気にとられるばかりでした。ほんとに「走ること馬の如し」とはこの事でした。

 前を走る二人の走者をさっと追い抜きトップへ躍り出た。先の第3走者は自分がアンカーだと思いこんで待っていたのにバトンを渡さず、そのまま先生が2周してテープを切った。

 4人でリレーすべきものを3人で走ること自体、現在では明らかに規則違反で失格ものですが、当時の大会本部ではこの競技に対して如何なる判定をしたか、その結末は聞かなかったが、とにかく上小の先生方が一番になったんだという誇らしい気持ちになって子ども心で喜んだのも事実でした。

 我が上嘉鉄魂には、協力性、団結力、努力する根性、積極性、勤勉、感謝、善悪の判断等の美徳が内蔵されていると考えられます。

 その魂の表現の仕方は別として、先生のとった行為は「何がなんでも勝つんだ」という気概の表れであり、若さによるものと善意に解釈してみたらと思うことです。

 歯を食いしばって頑張る気持ちも上嘉鉄魂の一部とみることはできないものか。先生は魂の塊だったのではないかとの独り判断で多少のご批判も予想されますが、エピソードの一つとして、あえて昔話を紹介した次第。

 近年我が校区は町民体育祭、高齢者スポーツ大会の輝かしい3年連続優勝、その他駅伝や他のスポーツ大会での好成績、小、中、高生らの活動は目を見張るばかりで欣喜雀躍の至りです。

 今後も文武両道で上嘉鉄魂を思う存分発揮されますよう祈るばかりです。
上東 桐野 茂昭


平成13年12月「上嘉鉄魂」第43号 掲載



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2009年04月25日

「上嘉鉄魂」第66号より

■ 福岡輝一郎氏  町固定資産税審議委員に

 固定資産税新議員は固定資産(土地・家屋・機械等)の適正評価を決める機関、固定資産は年数の経過と共に評価が軽減されるので評価の見直しを審議することを主目的とする機関

 町長が選任し、議会の議決が必要。

 任期は3年、喜界町では各中学校から1名選任される。おめでとうございます。

 しっかり頑張ってください。


■ 生島常範氏 町財政改革推進委員に任命

 我が喜界町では他市町村と合併しないで自立の道を選択したので現行の行政改革大綱の見直しを行わざるを得なくなっています。

 民間人で組織する喜界町財政改革推進委員(15名)に上嘉鉄から生島常範氏が選任されました。

 主な仕事は、

 役場内で検討された行政改革案を審議することですが、事務事業の見直し、組織機構改革見直しなど、大きな問題ばかりです。


 無駄を省きながら、住民サービスの充実を目ざしていますが、皆が少しずつ我慢しなければならなくなります。

 今までの考えを変えて、身の丈に合った「自立できる喜界町」にしなければなりません。

 会議は毎月1回のペースで行われ、来年1月に町長に答申します。集落の皆さん、出郷者の皆さんもお気軽にご意見をお寄せください。

                     (生島 常範)

■ 新装となった天理教上界分教会


 上嘉鉄の天理教上界分教会は、初代西岡時仙翁(西岡秀道氏の曾祖父)が大正9年11月に開基。この度新築改装となった。

 二代目西岡又七会長が昭和30年ころ改築して以来である。

 新築された教会は従前の建物より一回り大きく、棟梁福岡輝一郎氏の技術の粋を結集した建築、その上近代的設備を要所に整えた快適な教会だ。

 去る10月1日、信者多数見守るなかで大教会長様を初め役員の方々によって親神様、教祖、御霊の御鎮座祭を執り行い、めでたくお鎮まり遊ばされた。



平成15年 11月「上嘉鉄魂」第66号 掲載


 
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2009年03月06日

ガソリン税から見えてきたこと・・・生島 小梅

 第二中学校の生島小梅さんが、税に関する作文を書いて、

 財団法人 日本税務協会会長賞を受賞しました。おめでとうございます。

 小梅さんは、「上嘉鉄魂」の編集委員の生島常範氏の娘さんです。

 この作文は、選択社会科の授業で社会科の佐藤先生と学んだ税の学習を通して書かれた作品です。「税に関する優秀作品集」という冊子の一番目に掲載されています。

 母校第二中学校の子どもたちは、頑張っています。しっかりした考えを持っていて感心します。

 次に紹介します。



   ガソリン税から見えてきたこと  

喜界町立 第二中学校
3年 生島 小梅
 「ガソリン暫定税率、存続か廃止か」

今年2月、国会で大きな話題になっていた。しかし、その時は意味が分からず、興味もなかった。

 むしろ、高速道路がなく、信号も一つしかない私たちの離島生活にはあまり関係のない話だと思っていた。

 ところが、3年生になり、選択社会科の授業でガソリン税について学習するうちに、私は身の回りの生活の仕組みについて広く考えるようになっていった。

 まず、「受益者負担」という原則。道路は車を利用する人が主に使うわけだから、ガソリンに税をかけ、その車を利用する人から集めたお金で道路を作ろうという考えには賛成だ。

 そういう意味では、集落の道路や公民館の草刈り等の奉仕作業が頭に浮かぶ。自分たちが使う地域の施設だから財政に頼らず、自分たちの力で美しくしていこうというのも「受益者負担」と同じことだと思った。

 そしてガソリン税は、「道路特定財源」といい、使い途が道路整備だけに限定されている。

 税の目的や使い道がはっきりしていることは、納税者の立場からすれば、納税しやすいように思える。

 しかし、今年3月、母と買い物をした帰りに聞いた話が気になる。継ぎ接ぎになっている道路や工事中の標識が立ち並ぶ路線をたくさん見つけた。

 その理由を尋ねると、「年度末は予算消化のための道路工事が多いらしい」

と母は教えてくれた。私は、無性に腹が立った。これこそ税金の無駄遣いではないのか。テレビのニュースで報道される無駄な道路整備事業を思いおこさずにはいられない。

 夏休み、先生に誘われて町議会の傍聴に行った。興味本位でついて行ったのだが、議会の真剣で鋭いやりとりに思わず息を飲んだ。

 町道の認定一つでも、工事期限の延長や区間について細かに議員が問いただしていた。
また、私たちが食べる給食加工業務の歳出が削減された理由についても答弁が行われていた。

 このような緊張感の中で私たちの税金の使い道が決められていると思うと、以前までの「税金の無駄遣い」という疑いは消え、むしろ頼もしい安心感が芽生えてきた。

 さらに、ガソリン税には、道路整備をますます促進するために「暫定税率」が上乗せされている。賛否両論ある中、私の意見としては、上乗せ分の税金を道路だけでなく。離島交通の補助にも使えるようにすべきだと思う。

 私の住んでいる喜界島では、ガソリン平均価格が全国平均よりも30円以上高い。その上、部活の遠征、眼科や産婦人科などの通院で船や飛行機を利用することも多い。

 税に思いやりの精神が生かされているならば、暫定税率を離島交通の補助にも役立ててほしい。

 このように、ガソリン税の学習を通して、今まで思いもしなかった身の回りの生活の仕組が見えてきた。今後も将来の納税者として、この学習で得た観察力をさらに磨きたい。




姉妹サイト『ウモーリよ!「結い」の島・喜界島』にガソリンに関する記事あり。

http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/112176305.html

   http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/114836786.html

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2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



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編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
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2009年03月01日

友岡 藤市郎氏が南日本新聞社賞

 南日本新春俳句大会(鹿児島県俳人協会主催・南日本新聞社後援)が1月6日、鹿児島市黎明館であり、県内外から136人が参加、新春雑詠2句ずつ投句の規定。

 上東出身・友岡藤市郎氏の次の作品が互選の部で見事上位入賞(4位)を果たした。

■筬(おさ)ひとつ音確かめて織始

  (この作品が入賞作品)
  (1月7日付 南日本新聞) この作品は、田舎の紬織を思い出して詠んでみたとのこと。おめでとうございます。ますますのご精進・ご活躍をお祈りいたします。

 同氏は俳句に挑戦してボケ防止に努めているとのこと。

【俳句】
友岡 藤市郎作

・膝上の猫の温もり冬に入る

・甘蔗(きび)刈るや曲がり揃えて括りけり

・台地にも風の道あり櫓大根

・熱燗(あつかん)やふるさ訛り泣き上戸

・梅咲くや新種を買い土を買い

・ざわざわと甘蔗の葉音や開戦日

・ふるさとや一家総出の甘蔗刈る

・盆栽の一の枝二の枝天の梅

・新糖の香り届きし宅急便


平成20年2月 「上嘉鉄魂」第117号 掲載


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2009年02月28日

今年の初敬老は八名

 第89回 上嘉鉄敬老会

 去る1月3日、上嘉鉄小体育館には敬老者を祝うため多くの集落民が参加、89回目を迎える伝統行事が盛大に開催されました。

 今年の初敬老者は8名。内3名が出席されました。主催者、来賓の挨拶に続き、祝舞、祝唄や初敬老者の家族による歌や踊りの披露の他、3集落の婦人会・子ども会を中心にした出し物でお祝いに華を添えました。

 余興最後は、「筋肉隆々の色っぽい」青年団による歌と踊りの大熱演に最前列の初敬老者も目を背けながらハンカチで涙(笑いすぎ?)を拭いていました。

 初敬老者を代表して藤村昭輝さん(上中)が「主催者、来賓の皆さんからお祝いを戴き、ありがとうございます。今日から先輩の敬老者の皆さんの仲間入りができて、とても嬉しいです。

 私たちのために歌や踊りでお祝いして頂いた集落の皆さん、青年団のみなさんに感謝申し上げます。」

と謝辞を述べました。

 敬老者名簿によると、数え70歳以上の方は合計で182名、上東65名、上中55名、上西62名。

 男性の最高齢者は藤岡實基さん(99歳・上中)、女性は上中の原口ウツさんと上西の生ウメさんのお二人が共に101歳。

 敬老者の皆さん、これからもお元気でお過ごしください。

(生島)


平成21年3月 「上嘉鉄魂」第128号 掲載



ラベル:上嘉鉄敬老会
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2009年02月27日

新春に語る・・・榮 哲治




 新年あけまして、おめでとうございます。

昨年の町議選では、集落の皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。

 お陰様で、初当選を果たすことができました。選挙期間中に皆様に訴えてきましたキャッチフレーズ

「集落の元気が喜界町の発展」

のさらなる実現と共に、お年寄りが安心して暮らせる島づくりに4年間一生懸命頑張って参りたいと思っています。

 ご指導、ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

「現在喜界町で一番元気のある集落は上嘉鉄である」

と言っても過言ではないと思います。町主催のスポーツ大会でも参加数の多さはもちろん、成績の面でも大変すばらしい結果を残しております。

 また、文化面でも子どもから高齢者まで幅広い層での青年団による盆踊りも負けない「喜界島の夏の風物詩」となっております。

 また、最近は青年団の有志によるボランティア活動が活発です。シツル崎灯台を中心に清掃活動を続けている「やらそう会」や通勤で湾頭原を利用する人々による道路まで生い茂った雑木、雑草の伐採作業等は、

 その参加人数や作業規模、内容といい圧巻です。短時間でとてもきれいに仕上げています。

 他の集落より「上嘉鉄は何をしてもよくまとまるなあ」

と耳にします。その事について私は先人達がつくり上げた「ハティトゥ魂」の教えを守ってきたからだと思います。

「ハティトゥ魂」の理念は、3つの柱より成り立っています。

1 負けないこと。

2 団結すること。

3 よく働くこと。

 の3つです。

 子ども達の教育面や大人の社会生活でもこれを実践すれば間違いなく大成すると思います。

 更に、上嘉鉄の良さである「後輩は先輩を敬い、先輩は後輩に慕われるよう学びながら後輩を育てる」

 この古き良き伝統でこれからも若者たちをしっかり育てていきたいものです。

 最後に、今年1年間、牛歩のごとく、たとえ遅くとも確実に1歩、1歩目の前の問題から目を背けず、力を合わせて集落の発展、もっと元気のあるハティトゥになるよう頑張って参りましょう。
              喜界町議会議員  榮 哲治(上 東)


  平成21年 3月 「上嘉鉄魂」第128号 掲載 

 ■郵送よりも、この記事を早く読まれるかたもいらっしゃると思います。3月2日(月)に発送の予定です。■



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2009年02月22日

姿を消した昔の女性の髪型



 戦争中は行政が国家主義政策をとった関係もあって、女性の髪型は規制の対象とされていました。

 現在のパーマネントは外国文化だとの理由で禁止されていた。

 下の図は終戦前までの女性(婦人)の髪型です。結い方は背後に髪の毛を全部束ねて、手に1回巻いてひねり、残りの髪の毛を毛の根本に巻き付け、手に巻いた髪で巻き付けた所をおおうようにします。

 そうして巻き付けた毛先をひっくり返して押さえて、最後にギィーハーで留める。

 ほつれにくくて、農作業等に便利だったと老婆は語る。今は、すっかり姿を消して拝見するのは難しい。


kamigata090222.JPG




平成14年8月「上嘉鉄魂」 第51号 掲載





ラベル:髪型
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母校の卒業式・・・盛山 末吉



 久しぶりに母校上小をはじめ、幼稚園、二中の卒業式、卒園式に出席する機会にめぐまれました。

 このたびは愚生の退職時の学校でもあり、また母校である上嘉鉄小学校の式について述べることといたします。

 いずれの学園も都市部の学校にみられるような荒れた卒業式風景は全くなく粛々と進行する母校の充実ぶりに感銘を覚えました。上小は児童数52名、一部複式の五学級で9名の先生方で運営されるミニ校となりました。

 お互いが男女別クラスで1学級四十余名ほどの頃とは夢のような錯覚を覚える現状です。これも少子高齢化現象でしょうか。時代の流れとはいえさびしさ一入です。
 

 いただきました卒業のしおりの表紙には卒業生6名の全身写真がプリントされ、教師の心くばり印刷技術の進歩に驚くばかりです。

 証書のいただき方をはじめ式全体がまことに厳粛に進行しました。これも先生方の日常の教育活動が細部にわたった、ぬくもりに満ちた指導の賜物であり、指導を素直に受けた児童諸君もりっぱだなと思うことでした。受賞態度も決して無理せず、自然の形でなされ、回れ右もこなす姿に感動いたしました。

 受賞時にはオーバーヘッドを使って一人一人の思い出の一駒が放映されとても印象的で児童達も永遠に忘れることのない思い出となったことでしょう。

 卒業生・在校生のお別れの言葉は少々長いようでしたが、とても有意義な内容でした。中でも方言大会開催のこともあり、一種独特のカテツ方言をりっぱな言語文化として捉え、このような大会を開催された見識に最敬礼です。(堂々と話せハティツ ユミタ)と言いたい。
 
 久しぶりに聞く「仰げば尊し」にぼくは目頭を熱くしました。僕ももう古いタイプの人間だなと心の中で諦めることでした。大きいばかりが能ではない(ヤセガマンか?)母校の児童数の減少傾向にあるこの姿にどう対応したらよいか校区民の大きな課題といえましょう。

 当日は雨天のため校庭が水浸し状態となっていた、町長さんもご列席のようであったのできっと行政側としての対策もご一考なされたことと思います。またぜひ改善して欲しいものです。

 最後に学校長の式辞の中から「@目標をもって常に努力する人になれAまわりの人から感謝される人になれ」名訓辞で結びといたします。
母校よ永遠なれ    (盛山末吉記)


平成16年5月 「上嘉鉄魂」第72号 掲載 


ラベル:盛山 末吉
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2009年02月19日

記念切手・・・盛山 末吉



 大好きだった磯釣りも歳には勝てず、磯を渡り歩くのがこわくなり、ついに釣りおさめとした。

 使い馴れたカーボン竿を見ると心躍る思いだけどただ眺めるだけとなってしまった。

「人は死んだら美しい綾ハビラとなって怪しく飛び回っている」このことを知ってから蝶採集もストップした。

 それまで採集した蝶は、きちんと標本箱に納め我が家の守り神として飾っている。

 ところで体力のいらない趣味はないだろうかと考えた末、あげくのはてが記念切手採集となってしまった。

 ファイルに並ぶ美しい切手に魅せられ、局のドアをくぐってもう何年だろうか。先日(31日)は、2002年ワールドカップ日本・韓国大会の記念切手を手にしました。

 戦時中の学生時代は蹴球とよび、喜界島出身の先輩達が蹴球部員として活躍していた。ファイルをめくると細道シリーズ記念切手は10集まで続き、懐かしい奥の細道の景色が展開され思い出の句が映えていた。

■ 荒海や佐渡によこたふ天河

■ 石山の石よりや白し 秋の風

■ さみだれをあつめて早し最上川


 天皇陛下ご即位記念切手、皇太子殿下ご成婚記念切手、日本ポルトガル友好450年記念切手等々珍しい切手が行儀良くファイルに納まっている。

 記念切手をいただくため訪れる局のカウンターには来客用の数多くの品々が並べられている。筆記用具、糊、老眼鏡、飴玉、さては高齢者向けだろうか自動血圧計もあり、加えて各種のパンフレットも整然と並べられ、なんら退屈することなく時間待ちができる仕組みになっている。

 ほんとにぬくもりにみちた精一杯の心遣いといえよう。

 このような心遣いもさることながら、局の方々の事務処理に見惚れている。鮮やかなスピーディーな指さばき、紙幣さばきは神業のようで、人は習熟次第では、このような手さばきが可能なのかと感嘆ひとしおです。

 テレビの簡単な操作ですら危なっかしい僕にとって局員さんの頭や手の回転振りに改めてびっくりしております。

 いらっしゃい・・・ありがとうの自然な挨拶もこれまた見事でカウンターを一段と明るく包んでいる。

 他の役所はどうだろうかといらないことを考えたりしながら今日も局をあとにすることにした。
盛山 末吉
平成13年7月「上嘉鉄魂」第38号 掲載



ラベル:記念切手
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2009年02月12日

ヤジー五つ子誕生・・・盛 直二郎

 上中 盛 直二郎さん夫婦子育てに大忙し

 去る1月27日、上中の盛直二郎さん宅の親山羊が五つ子を出産しました。

 午前9時頃、子山羊の泣き声がしたので、直二郎さんが山羊小屋へ行くとすでに4頭が生まれており、5頭目も出産間近。

 妻のスミさんを読んで夫婦で出産を手伝い、ストーブで小屋を暖め、お湯を沸かして子山羊の体を洗いました。

 この日から盛さんご夫婦の子育てが始まりました。お二人の子育ての様子を取材しました。

 山羊の乳首は二つなので、乳にありつけなかったり、親山羊に踏まれてしまったりして死んでしまうことがよくあるので、スミさんは1日2回、ほ乳瓶で粉ミルクを与えています。

 今ではすっかり慣れてスミさんが近づくとお乳の時間と分かり、近づいてきます。1頭ずつ「だめよー、あわてないで」等と普通語で声をかけながらゆっくりミルクを飲ませる様子は本当の母親です。




 産みの親も大助かりで安心して草を食べていました。直二郎さんは、「やんかーぬ いなさん なれん おーどー しらんばー」と小屋を大きく広げていました。

 口コミや新聞等でも紹介され、幼稚園児も見学にきたり、友人からの電話でも第一声は「やじーや 元気な?」と聞かれるほど親しまれています。

 また、先日は東京のテレビ局から電話取材があり、
「散歩にも連れていくのですか?」等と聞かれたとか。

 この日は、近所のおばさんが二人見学にきました。
「ほっほーよ だり! ふんとーじゃそー」「人間は児童手当がもらえるが、山羊はどうなるんだろう」等と子育ての心配までして帰っていきました。

 一ヶ月を迎える子山羊たちは、元気に育っており、直二郎さん夫婦は毎日、目を細めて子どもたちの成長を見守っています。

 「親山羊は五つ子を大事に育てている。子どもを捨てる人間は畜生以下」

 スミさんの言葉が心に残りました。

                        文責 生島


平成16年3月「上嘉鉄魂」第70号 掲載
ラベル:やじー五つ子
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2009年02月11日

上嘉鉄民芸保存会・・・サンシンクラブの子ども達

 「世界の奄美人大会」でソーバン踊り発表

 9月6日(日)名瀬市の奄美文化センターで行われた。奄美群島日本復帰50周年・奄美群島交流推進事業「世界の奄美人(アマミンチュ)大会」(奄美群島広域事務組合主催)の交流アトラクションで上嘉鉄民芸保存会サンシンクラブ(梅 龍飛部長)の20名が堂々とソーバン踊りと六調を発表した。

 この模様はインターネットライブで世界へ生中継された。

 上嘉鉄盆踊りでの発表を見た役場の方の推薦で「喜界島代表」として公費出演することが正式に決定したのは、本番のわずか2週間前のこと。

 「棒踊り、八月踊りと違って、喜界島にしかないから」

が主催者側の決定理由だった。

 大舞台で発表できる喜びよりも、名瀬に1泊旅行で遊びに行ける方が嬉しいというのが子ども達の本音だったが、直前まで5回の練習のかいあって大舞台では堂々と歌い、踊ることができた。

 特に、楽しそうに踊ることが出来なかった六調踊りも上手になり、フィナーレの六調保存会の皆さんの誘いに皆舞台に出て一緒に踊る我が子に涙する保護者もいたほど感動を与えてくれた。




 当日は名瀬市在住上嘉鉄郷友会の盛山弘一会長はじめ会員の方々も楽屋にかけつけ、子ども達に金一封贈呈。

 更に踊り終わった舞台では中山京子同会婦人部長より、梅部長に大きな花束の贈呈もあり皆驚きと喜びでいっぱいだった。

 盛山会長から歓迎会のお誘いもあったが、早朝の船旅と極度の緊張の為、疲れているうえに大人3名が引率として子ども達の面倒を見ていることから、申し訳ないが丁寧にお断りした。

 名瀬在住のシマッチュの皆さん、ありがとうございました。名瀬市内では喜界会も数年前から活動休止状態にある中、上嘉鉄郷友会だけが、年2回の行事を通して郷友の親睦を図っていると聞いた。

 本当に頼もしい限りである。益々のご発展をお祈りします。

生島 常範記


平成15年10月「上嘉鉄魂」第65号 掲載
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2009年02月05日

人生80年時代を生きる・・・村上国信

 新年明けまして おめでとうございます。

 皆様には、平成16年の新春を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

 今年は、奄美が日本に復帰して50年になる記念すべき年であります。終戦が昭和20年8月15日で、日本復帰したのが昭和28年12月25日ですから、その8年余りはアメリカ統治下にあったわけで、その間の苦労は筆舌に尽くせないものがありました。

 昭和20年代の焦土と化した喜界島には衣食住、全てが皆無と言ってよいほど何もなかった時代を私たちは生き抜いてきたのです。

 衣と住は、空襲でやられて焼け野が原、食の方は農業ができず、芋さえも植えることができず島民みんなが飢えにあえいでいた時代でした。

 私たち高齢者は、戦前、戦中、戦後の激動の中の貧しく苦しい時代を生き抜き、そして未だかってない豊かな今日を築いてきた経験を持っています。

 このことは、高齢者の自信であり、誇りでもあります。戦後の焼け野が原で衣食住すべてが困窮した時代から、現在のような平和でこのような素晴らしい住みよい喜界島になろうと誰が予想したでしょうか。

 現在日本は世界一の長寿国で、男子の平均寿命が78.32歳、女性が85.23歳ですから、まさに「人生80年時代」の到来です。

 将来の見通しが、必ずしも明るくない経済状況の中で、高齢者への期待は大きく、私たちはこれに応える責務があり、また生きがいのためにも社会活動に積極的に参加していただきたいものです。

 人生80年代を迎えて、どう生きるか?と言うことは、私たちひとり一人が出来るだけ介護保険の世話にならないために、常に健康に留意しながら生活することだと思います。
 
 どうぞ、何時までもお元気で生涯現役でありますようお祈り申し上げまして年頭のご挨拶とさせていただきます。

              町老連・上西老人会長 村上 国信


           平成16年1月「上嘉鉄魂」第68号 掲載




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2009年02月04日

大島中学校時代の思い出・・・桐野茂昭

 それは、小生が中学3年の3学期の事です。遭難に会い、3学期の始業式に遅れた時でした。帰校するにはどうしても便船を待つしかない。離島という不便さと苦しみをいやというほど味あわされた時代だった。

 約1週間後に古仁屋行きの木甫丸(もっぽまる)に乗せてもらった。当時、名瀬と古仁屋間は19里と言われ大きな山を5つも越えなければならない。ズックなどはない。

 下駄履きだが当時の石ころ道ではすぐに減ったり割れたりで、最後は全員裸足で歩いた。担い棒の前後に風呂敷包みとトランクを下げての長陸行だった。

 県道は遠いので急峻で人間が一人しか通れないクンキリ(大島方言で近道のこと)をハブと闘いながらあえぎあえぎ登って行った。

 手持ちの弁当や菓子類も底をついた。ここで空腹と疲労が全身を襲った。住用村摺勝を通過時は草木も眠る丑満時(夜中の2〜3時)だった。

 東城国民学校の校長をされていた先山出身の大原吉与先生のことが頭をよぎった。早速校長住宅に行き壊れかけた雨戸をたたいて先生を起こし恥を忍んで事情を説明したら

「ハンスーがあるから洗って蒸しなさい」

と願ってもないありがたいお言葉をいただき天にも昇る気がした。大きなソービ(竹籠)山盛りの芋を7〜8名でみるみるうちに全部平らげ満腹感一杯になり、お礼を述べ、夜明け前に又歩き出した。

 翌日1週間ぶりに出校したが、一体何が待っていただろうか。始業式に遅れたとだけの理由で職員室の板間に約2時間正座させられ教頭や担任教師たちから入れ代わり立ち代わり、いやというほど厳しい説教を浴びる始末。

 最後に決断をするときがきた。
「君たちは退学を選ぶか、それとも1ヶ月全校の便所汲みをするか二者択一だ」
と皆、驚き、隣同士顔を見合わせひそひそ話だ。

 退校処分は一躍悪名を轟かすことになる。一生の恥だ。しぶしぶながら後者に落ち着いた。以後は1ヶ月間、毎日放課後は暗くなるまで二人一組で大きなタンゴを悪臭を嗅ぎながら担いだ。

 中には軽蔑気味に視線をやる生徒もいたが仕方がない。もし、大島中学校が男女共学なら女生徒たちがどんな目で見たであろうかと想像すると多感な思春期の恥さらしで、冷や汗三斗の思いがした。




 
いよいよ中間試験が間近だ。他の級友たちは早々帰宅して試験に備えていたが、便所汲み取り連は、時間的余裕がないので晩は、必死になって机に向かった。

 試験の結果は信じられないほどに、全員自己最高の順位を得て、これは不思議がられたことだった。

 なぜか、

 「人間は追い詰められ崖っぷちに立たされると、菊丸での遭難同様に人間はいざとなれば異常な力を発揮するものだ」

と後になって解ったことです。即ち時間を無駄にせず有効に活用することこそ最も重要なことだと身をもって悟ったことでした。

 罰当番が解禁になりウシーしたが次の試験では、便所汲み取り連は、全員一様に順位が下降したことは想像に難くない。

 以上は青春時代の波乱に満ちた吾が人生の一駒を思い浮かべながら筆を執った。
(桐野他)


平成16年7月「上嘉鉄魂」第74号 掲載

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九死に一生を得た 遭難の思い出 61号の続き

九死に一生を得た 遭難の思い出




 奄美関連の本70冊を紹介しています。朝日新聞社名瀬通信局長時代に奄美を満喫したことも紹介しています。奄美を知るならこの一冊




ラベル:大島中学校
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テーチィバナシ・・・南界記

 チィノウ ハダハダ イヌチェー ナガナガ

 着物は、柔らの畳語 生命(寿命)は 長く長く 

「ハダハダ」の意味は、不可解だが、強いて国語に当てはめると国語の「柔ら・やわら」=固くない・やわらかい様の転で丈夫でない意味の畳語では?

 その場その場の意味にも解されると思う。方言の「ラ」は「ダ」に変化する傾向がある。あとの生命は長くという語句から考えると着物の寿命は短く、人命は長くと言う意味になる。

 沖縄にも同様の諺があって、伊波全集には「ハラハラ」とあって、古くなった着物が手に触れただけで破れる状態と解釈している。「ハダハダ」と「ハラハラ」の違いはあるものの同一諺だ。

 伊波全集によると、子どもに着物を新調して着せ始めるときに母親が
「チィノウ ハラハラ イヌチェー ナガナガ」と唱えごとをしながら着けさせたという。

 喜界島でも同様な呪文を唱えながら母親が子どもにつけさせたであろうと考えさせられる。

 この諺には、次のような思想が隠されていると推量される。着物の寿命など少しも気にしないで、「お前の身体は自由にいくらでも伸び伸びとあばれ活動して丈夫な身体に成長して欲しい。衣服等に左右されて小さくなるな」

 との願いが込められている。実際は、あばれて着物を破って帰って来れば叱られ、現実と理想の矛盾も感じられはするが、然し、どんなにすばらしい高価な衣服でも身体には変えられないことを十分に知っていたと思う。

 衣服に不自由しながらも健康第一の考えには誠の心理を言い当てた諺にただ敬服するばかりである。

 着物は、人体を保護するものであり、人間が着物を保護するものではないという人命尊重の思想を感じる。

 国及び地方公共団体の制度にしても同様なことが当てはまる。法律・制度は人民の幸せを守るべきためのものであり。不要になり、当てはまらないものはどんどん改正し、廃止して国民の安全と幸せを守るように改廃すべきだ。

 今、日本国内では憲法改正問題が論議されていますが、制定後60年を経過した日本国憲法という衣装は、制定当時は世界に誇る平和・人権憲法としてすばらしい国際的評価を受けていた日本国憲法であったがテロ事件が発生する現在の国際情勢の変化に十分に対応して日本国及び日本国民を安全に保護できるだろうか皆で論議する必要があると思う。

                     南界記


平成17年2月「上嘉鉄魂」第81号 掲載



   伊波全集の一つですが、古本は高いですね。




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2009年02月03日

福永永嘉先生の足跡・・・喜界島上嘉鉄

 福永永嘉先生は、1892年(明治25年)福 嘉永・イシの長男として上嘉鉄で出生。小学校高等科卒業とほぼ同時に鹿児島師範学校の講習科で学び明治45年に教職につき、初任地は瀬戸内町の阿鉄小学校(現由井小学校)。

 その集落で珍しいソウバン(京盤)踊りを見学し、その踊りの勇壮さとリズムのすばらしさに胸をうたれ魅せられ、早速それを習得した。(遺族の談話による)

 大正3年に帰島早町小を経て、大正5年上嘉鉄小学校勤務を命じられた先生は、学校勤務の合間や余暇を利用して、特に夜間、奉仕活動として青年団活動を通して地域文化発展のため貢献されています。

 先生が故人となられた今では記録資料がなくただ風聞によって、その一部しか紹介できないのは残念である。

1 先生はシマ唄、民俗文化等に造詣が深く、特に初任地で習得したソウバン(京盤)踊りを上東青年会に教えました。それが今日では上東のソウバン踊りとして有名になっています。

 ソウバン踊りの意義については、判明しないが考えるに桝は穀物を計る道具のため、この桝が五穀豊穣によって絶え間なく使用されますようにとの願いをこめて、踊り手から踊り手へと元気よく忙しく威勢のよい踊りで、豊作を念願する意義があると思います。

2 大正の中頃までは小字名でミヤミンハナーの北側は、梅雨時期になるとマチィチャからの水が溢れ水浸しになり、人馬の通行に不便をきたしていたのを憂えた先生はコンクリート製の橋を自費で建設し、人馬の通行を助け、農業の振興を図った。

 通称「福永橋」という。建設年月日不詳(大正の中頃と思う)青年団は先生の業績に対し、先生宅に門柱を寄贈して感謝の意を表した。(昭和42年76歳没)
編集室

 今月より、人物伝コーナーを設けることにしました。特色ある故人の業績を中心にエピソードや微笑ましい話題などを掲載したいと思います。

 順序は資料が揃った方から、掲載いたします。ご遺族の方のご了解とご協力をお願いいたします。


平成12年10月「上嘉鉄魂」第29号 掲載
いいもの王国



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2009年02月02日

おめでとう「叶くん・前泊さん」・・・盛山末吉

 日本本土復帰記念第23回大島地区中学校英語暗唱・弁論大会が12月14日名瀬市立名瀬中学校体育館で開催され、郡内14市町村の代表30人が登壇して日頃の学習成果や主張を堂々と発表した。

 その中で喜界代表第二中学校3年生、叶拓斗君(浦原出身)が並み居る中から弁論の部で優秀賞を受賞しました。

 叶くんおめでとう。第二中学校おめでとう。叶君の横顔を知るよしもないが、この優秀賞の快挙は二中のみならず、上嘉鉄小校区民・町民の誇りであり栄誉であります。

 ほんとにおめでとう。この快挙のかげには本人の努力はもとより指導教師の並々ならぬご指導の賜物であり、同じ道を歩んだ者として心から敬意を表します。ご苦労さまでした。

 また少年の主張全国大会が11月12日東京の青年会館で開催され、九州代表として我が第二中学校の3年生、前泊佑香さん(手久津久)が出場。

 堂々たる発表で最高の内閣総理大臣賞を受賞した。総理大臣賞は鹿児島県からはじめての壮挙とか、本当におめでとう。

 聞くところによると、前泊さんはスポーツも万能選手だという。これから高校・大学とあなたの力を存分に伸ばしてください。

 大島地区大会といい、少年の主張全国大会といい最高の栄誉を勝ち取った第二中学校ほんとにおめでとう。校区民の喜びこれに勝るものはありません。

 本来ならばPTA・校区民あげて祝賀会が至当だとさえ考えます。かねて、道行く老骨にも常に挨拶を送る二中生です。

 この快挙をバネに第二中学校がますます活力に満ちあふれ、さらに飛躍するよう願ってやみません。おめでとうございます。

                        盛山 末吉


平成13年2月「上嘉鉄魂」第33号 掲載

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「輝く奄美の島唄」を読んで・・・盛山末吉

島唄コンサート・・・盛山末吉

シマ唄の教え(続き)・・・盛山 末吉







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新聞の切り抜き・・・盛山 末吉

 なにかしないと退屈するのが年寄りだろうか。

 ぼくは退屈しのぎの一つとして、新聞を読んでいる。朝刊だのに離島ゆえに夕刊になった新聞を夕方読むのがとても楽しみだ。

 老いたらユクッサリー(欲張り)じじいになってしまい、折り込みチラシまですべてユミクッシ(読破)している。

 世の中はカナ文字時代。日常化したサービス、スター、マナー、ボランティアからホスピス(介護施設)、ケア(介護)、ブレーン(頭脳)タイムマシン(空想上の乗り物)等々のカナ言葉も紙面をかざり、辞書を横において読みこなすのもなかなか手間がいる。

 さらにもっと大事なことは世の中の動きが把握できることである。小渕さんが亡くなって森内閣が誕生したことや、九州サミットのことや悲しい少年非行問題や、我が子殺人事件など驚くような事件も冷静に受け止め、孫たちへのムニッキ(教訓)の資料として、ていねいに読み取っている。

 シマ唄に

 天の群星は ゆみばゆみなりゅり

       親の教訓(ユシグツ)は ゆみやならぬ

 と歌い、お天とうさまに輝くたくさんの星は数えられないことはなかろうが、親の教訓は尊くひかり輝きとても数えられるものではない。

 と昔ウヤフジは親のムニッキを讃えている。ぼくは現職時代から新聞記事の切り抜きをしている。

 ぼくの視点にかなった記事だけであるが、切り貼りするのもとても楽しい。
しかも、後日読み直してみるのもドウモウ防止の一助になるような気がする。

 最近の記事では、「ナビーの恋」が楽しい、沖縄芝居の第一人者平良とみ(71)沖縄民謡の大御所登川誠仁(69)の二人を主人公にした唄や踊りもふんだんに盛り込んだ映画「ナビーの恋」は去年末、沖縄で大ヒット、本土上陸後もその勢いは東京では異例の再上映が行われている。

 「おじいちゃんとおばあちゃんがかわいい」「人間で生きる力は恋なんですね」「泣けました」と若者たちがフィバーしている。(6.20南日本新聞)

 やがて喜界島でも上映されるが旅行中のため見られないのが残念だ。喜び驚き悲しみ等を与える新聞、今日もぼくは紙面にしがみつきどれを切り抜こうかと紙面と首ったけである。
盛山 末吉


平成12年10月「上嘉鉄魂」第29号 掲載

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島唄コンサート・・・盛山末吉

シマ唄の教え(続き)・・・盛山 末吉






ラベル:盛山末吉 新聞
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保食神社宮司・・・前岡 義一

前岡 義一
 20世紀も余すところわずかとなり寒さも増した折柄、皆様方お健やかにお過ごしのことと大慶に存じます。

 この度私は東京の神社本庁により保食神社の宮司に正式に任命され就任致し、代表役員になりました。

 拙劣な者ではありますが誠心誠意、神前にご奉務し、又皆様に御奉仕できる事は私の最大の喜びであります。

 保食神社について申し上げます。保食神社は伊勢の皇太神宮と同じく豊受姫命が御祭神です。鹿児島県神社庁大島支部管内16神社の中で二番目に格式の高い4級神社です。

 (名瀬の高千穂神社は1級神社、住吉神社は4級、残り13社は7級神社)我が保食神社は社格に高いとても重要な神社です。

 2000年最後の大晦日の夜から元旦の朝にかけてまた、元旦、二日、3日と朝から夕方まで宮司が社殿にて皆様方の初詣をお待ち致しております。

 初日の出(午前7時14分)を拝んだ帰りの方々もどうぞ初詣をなさってください。御神酒とお守り袋も用意できました。

 御守り袋は交通安全と開運厄払の二種、各千円です。

 交通安全祈願、家内安全祈願、厄除け祓い、商売繁昌祈願、初宮詣、学業成就、入学、合格祈願、旅行安全祈願、結婚奉告祭、病気平癒祈願、家新築清祓、仕事始祈願、還暦、古希祈願、成人祝、敬老祝祈願、その他諸祈願祭、清祓なども御奉仕執り行います。

 厄年は男25、42,61歳。女19,23,33,49歳各前厄、本厄、後厄があります。

 古来より厄除祓は、大事だとされています。ご希望の方は宮司までご連絡ください。どうかお元気で新しい2001年をお迎えください。
 
 神様のご加護がありますように。


         平成13年1月「上嘉鉄魂」第32号 掲載

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 喜界町上嘉鉄の保食神社

喜界町手久津久・・・花尾神社

高千穂神社・・・喜界町塩道

高千穂神社・・・喜界町湾






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上嘉鉄魂の先生・・・桐野茂昭

 約60年前の話です。信じられないと思われる方もおられるでしょうが実際にあった話です。

 私の小学校時代、上嘉鉄出身で鹿児島師範学校を卒業され上小に赴任なされた若いバリバリの先生のことです。

 先生は毛筆と声楽が達者でした。声楽は本格派で八月ウンミで奉納相撲のあと、集落民の突然の要請により独唱された流行歌の「支那の夜」

 ビブラートをきかした声量たっぷりの歌いぶりに聴衆から拍手喝采の嵐でした。おかげで私どももこの歌を覚えました。

 また先生が怒ると大変、吠えることライオンの如く、聞かない児童は教室の窓から投げられる羽目になり正に戦々恐々だと担任された児童たちは話していました。

 私たちの心に焼き付いたのはなんと言っても彼の走りっぷりでした。学生時代はサッカーの選手でダッシュ、スピード、持久力、体のきれ、いずれも真似のできないすばらしいフォームで後年、私の走りも先生の影響を受けたことは申すまでもありません。

 さて、町村合併以前は町の運動会は湾のミヤト(現第一ホテル付近)で開催されました。全面緑鮮やかな芝生の美しい広場でした。

 当日馬で応援にいく人もいたが大方は徒歩ででかけた。白米のウバイ弁当が食べられるとあって大いに喜んだものだ。

 プログラムの中に教職員リレーがあり、勿論我が上小教員も出場しました。第一走者は、3番の位置、第2走者も順位は不変。

 例の先生は、アンカーで締めくくる作戦だったのでしょう。然し、第3走者がリレーゾーンに入るや否や、その先生を押し退けて自分がバトンを受け取り、ぐんぐん飛ばした。
 
 見物人は呆気にとられるばかりでした。ほんとに「走ること馬の如し」とはこの事でした。

 前を走る二人の走者をさっと追い抜きトップへ躍り出た。先の第3走者は自分がアンカーだと思いこんで待っていたのにバトンを渡さず、そのまま先生が2周してテープを切った。

 4人でリレーすべきものを3人で走ること自体、現在では明らかに規則違反で失格ものですが、当時の大会本部ではこの競技に対して如何なる判定をしたか、その結末は聞かなかったが、とにかく上小の先生方が一番になったんだという誇らしい気持ちになって子ども心で喜んだのも事実でした。

 我が上嘉鉄魂には、協力性、団結力、努力する根性、積極性、勤勉、感謝、善悪の判断等の美徳が内蔵されていると考えられます。

 その魂の表現の仕方は別として、先生のとった行為は「何がなんでも勝つんだ」という気概の表れであり、若さによるものと善意に解釈してみたらと思うことです。

 歯を食いしばって頑張る気持ちも上嘉鉄魂の一部とみることはできないものか。先生は魂の塊だったのではないかとの独り判断で多少のご批判も予想されますが、エピソードの一つとして、あえて昔話を紹介した次第。

 近年我が校区は町民体育祭、高齢者スポーツ大会の輝かしい3年連続優勝、その他駅伝や他のスポーツ大会での好成績、小、中、高生らの活動は目を見張るばかりで欣喜雀躍の至りです。

 今後も文武両道で上嘉鉄魂を思う存分発揮されますよう祈るばかりです。
上東 桐野 茂昭


平成13年12月「上嘉鉄魂」第43号 掲載



posted by hathitu at 06:26| Comment(0) | 上嘉鉄魂 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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