2009年04月05日

ふるさと U・・・秋田 秋貞

 これらの人ばかりでなく、私をはじめ島をはなれて島外に居住している人に共通する。その証に各地で郷友会を結成して互いの親睦と郷愁の念を一つにしている。

 かつて私の父は

「どこで暮らしてもよいが、生まれ島は忘れるな」

が口癖で私に対する生遺言でもある。父の一家は、明治33年父16歳の時、土地を処分し種子島に農業移民として島をはなれたという。

 父はどうしてか、自分の生い立ちや過去(47,8年)について一切私たち子どもに話さなかった。

 父が自分のことについて語るのは、上嘉鉄の駐在所に赴任して来る警察官が警察の先輩として表敬挨拶に来訪する時に語るのみであった。

 曰く「明治37、8年の日露戦争に従軍、乃木大将の部下として旅順攻略に参戦。その後35歳の警察官試験制限年齢で合格、種子島署に勤務しながら警察官採用の試験管として地方廻りををした。

 その後大阪府警に転勤、敏腕刑事として数々の表彰を受けた」

 これが誇らしげに語る父の姿であった。その父が8カ年で退職し48歳?で帰郷、親子ほどの年差(24歳年下)の母と結婚、農業を営んだ。(ちなみに父は二度も離婚していた)島をはなれて32,3年振りに裸一貫、帰郷している。

 農業するなら自ら好んで移住した種子島に帰ればよいのに何故だろうか。つまり父の心の行きつくところは、ふるさと生まれ島だったのだ。

 人生の喜怒哀楽の中に、ふるさとが見える。私もいつか島に帰りたいと思っている。子どもは往々にして親と同じ道を歩むのかもしれない。

 折々の村祭りの六月灯、八月ウンミ、九月ウンミの太鼓の音や唄が脳裏に浮かんで来る。

 私は嬉しさにつけ悲しさにつけ、ふるさとを偲んで小学校唱歌の「ふるさと」を口ずさんでいる。そしてわがふるさとの弥栄を祈っている。島からは、「上嘉鉄魂」が毎月ふるさとの新しい香りを運んできてくれる。

 ふらさとを愛する編集委員の有志に感謝を表したい。

 上嘉鉄魂の発案者であり、八月踊り唄保存会の世話人の生島常範君という情熱的で頼もしい青年がいる。わがふるさと上嘉鉄の星である。誇りである有り難う。

「つつがなしや友がき、雨に風につけても思いいずるふるさと」

 これが私の心の行きつくところである。島人(しまんちゅ)のご健康とふるさとの弥栄を祈る。

                沖縄県宜野湾市赤道 在住 秋田 秋貞



奄美方言―八つの島の五つの言葉七つの呼名 カナ文字での書き方
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2009年04月05日

ふるさと U・・・秋田 秋貞

 これらの人ばかりでなく、私をはじめ島をはなれて島外に居住している人に共通する。その証に各地で郷友会を結成して互いの親睦と郷愁の念を一つにしている。

 かつて私の父は

「どこで暮らしてもよいが、生まれ島は忘れるな」

が口癖で私に対する生遺言でもある。父の一家は、明治33年父16歳の時、土地を処分し種子島に農業移民として島をはなれたという。

 父はどうしてか、自分の生い立ちや過去(47,8年)について一切私たち子どもに話さなかった。

 父が自分のことについて語るのは、上嘉鉄の駐在所に赴任して来る警察官が警察の先輩として表敬挨拶に来訪する時に語るのみであった。

 曰く「明治37、8年の日露戦争に従軍、乃木大将の部下として旅順攻略に参戦。その後35歳の警察官試験制限年齢で合格、種子島署に勤務しながら警察官採用の試験管として地方廻りををした。

 その後大阪府警に転勤、敏腕刑事として数々の表彰を受けた」

 これが誇らしげに語る父の姿であった。その父が8カ年で退職し48歳?で帰郷、親子ほどの年差(24歳年下)の母と結婚、農業を営んだ。(ちなみに父は二度も離婚していた)島をはなれて32,3年振りに裸一貫、帰郷している。

 農業するなら自ら好んで移住した種子島に帰ればよいのに何故だろうか。つまり父の心の行きつくところは、ふるさと生まれ島だったのだ。

 人生の喜怒哀楽の中に、ふるさとが見える。私もいつか島に帰りたいと思っている。子どもは往々にして親と同じ道を歩むのかもしれない。

 折々の村祭りの六月灯、八月ウンミ、九月ウンミの太鼓の音や唄が脳裏に浮かんで来る。

 私は嬉しさにつけ悲しさにつけ、ふるさとを偲んで小学校唱歌の「ふるさと」を口ずさんでいる。そしてわがふるさとの弥栄を祈っている。島からは、「上嘉鉄魂」が毎月ふるさとの新しい香りを運んできてくれる。

 ふらさとを愛する編集委員の有志に感謝を表したい。

 上嘉鉄魂の発案者であり、八月踊り唄保存会の世話人の生島常範君という情熱的で頼もしい青年がいる。わがふるさと上嘉鉄の星である。誇りである有り難う。

「つつがなしや友がき、雨に風につけても思いいずるふるさと」

 これが私の心の行きつくところである。島人(しまんちゅ)のご健康とふるさとの弥栄を祈る。

                沖縄県宜野湾市赤道 在住 秋田 秋貞



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