2009年03月19日

尚徳王の喜界島平定(1466)

 『しまぬゆ 1 1609年 奄美・琉球侵略』を読むと

島の歴史にくわしくなりますよ。P91に琉球の尚徳王が喜界島を攻めたときのことが詳しく書かれています。

 尚徳王には兄二人がいたらしい。その兄たちを差し置いて三男の尚徳が王位を継いだのは21歳のときだそうです。


 兄二人は、謀反人、護佐丸の娘の子であったため、敬遠され王位にはつけなかったらしい。

 尚徳王は、1441年の生まれ、喜界島に攻めたのが21歳の若さです。

王位継承に疑問をもつものもいるなか、その者たちに自分の実力を見せつけてやるために尚徳自ら、喜界島平定(1466)に出掛けています。

 船50余艇、2000あまりの兵を乗せて喜界島に向かったそうです。

 喜界島の攻防は、『中山世譜』に詳しく書かれています。

 2月25日  那覇港を出発

 2月28日  喜界島至



 当時の船で3日間かかったことになります。

 喜界島の抵抗は激しかったらしい。矢石飛ぶこと雨の如く一歩も進むころができなかった。尚徳王は大いに怒り軍兵を励まし攻撃させたが、多数の死傷者を出したと書かれています。 


 尚徳王は、3月5日、奇襲作戦にでます。島の背後にまわるように炬火(きょか)を手に持たせて、軍を分けるように見せかけた。

 喜界島の兵士は、あわてて島の背後にまわったらしい。その隙を見て尚徳王の軍勢は、一気に上陸し、火を放って家を焼き、気勢をあげたらしい。

   


ラベル:尚徳王
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2009年03月18日

八月踊りで子どもたちと交流




 3月19日、地区上嘉鉄センターで上嘉鉄小学校の6年生9名と上嘉鉄八月踊り唄保存会(高橋サダ会長)が八月踊りで交流しました。

 一月に小学校で行われた6年生の「すんがりがー」の発表を見た一部の会員が2月の練習会で「素晴らしかった!子どもたちだけで歌い、踊り、しかも意味の説明まで堂々とできた」と感想があった。

 誰からともなく「是非、一緒に」の声があがった。早速担任の原田ゆかり教諭に連絡をとると

「実は子どもたちももう出番はないの?と私に聞くほど得意にしていました。」と快諾の返事を頂いた。

 卒業式の3日前に行われた交流会には、9名の児童の保護者も数名参加のほか、ハンスウ喜界島交流会主催「春のハンスウ交流」で来島中の3名の留学生も加わり、総数は60名に盛り上がった。

 食事のあと、児童一人一人とオーストリア、香港、台湾からの特別ゲストが日本語と自国語で自己紹介。

 その後児童達による「すんがりがー」の発表と続いた。

 児童たちは一節ずつ歌ったあと、意味の説明を一人一人が行い、最後は全員で太鼓に合わせて歌詞を見ないで歌いながら踊ってくれた。

 地域のウジーオバーたちも大喜びで拍手喝采!「わちゃーかむ、こっと、かちじゃそう」(私たちよりずっと上手)の声も。

 そして、児童たちと一緒に二重三重の輪を作って皆で八月踊り、最後は六調、天草等で最高潮に盛り上がった。

 海外からの留学生も最初は戸惑っていたものの、そのうち自由に踊れる島の踊りに興味を持ち、

「とても楽しい、止まらなくなった」(香港の女性)

 子どもたちも「いろいろな踊りを勉強できて良かった」「とても楽しかった」などの感想を発表してくれ、会員からの「島の踊り、唄の後継者がいて本島に嬉しい。今年のウンミで一緒に踊ろう」「また子どもたちと交流したい」などと笑顔で話していた。

 中学生になっても引き続き足元の島の文化を学びながら学校の勉強に、その他の活動に頑張ってください。

生島 常範


平成13年4月1日 「上嘉鉄魂」 第35号 掲載

ラベル:八月踊り 香港
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2009年03月12日

上嘉鉄のヤンガー

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上嘉鉄小学校の県道の上にある上嘉鉄では、湧水量No1の湧水地です。

夏場ともなれば、親子連れが、網をもってグッピーを取っている姿が見られます。

 小さな淡水のエビも生息しています。

 私の職場の同僚は、淡水魚が好きでよく休日には、子どもさんを連れて、小動物を捕獲しては、水槽で飼って楽しんでいます。

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ラベル:ヤンガー
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キカイジマ・キカイガジマについて U

・吾妻鏡(1188年3月5日)

 宇都宮信房、先月の頃、鎮西より書状を進ず、貴賀井島へ渡ることを申し上げた。去年、例の島の形勢を窺った結果、海路の次第これを絵図にして献上した。

 かの島へ渡ることは、難儀との諸人の話によって思いとどまっていたが。この絵図をご覧になって後、あながち人力を披露させる程でもないとのことで、再び追補を企てた云々。

 信房はこの大功によって賞を加えられた。

・吾妻鏡(1188年5月17日)

 遠島の一族家臣が、貴賀井島に渡り合戦を遂げ、かの島を降伏させたとの連絡があった。その功績によって信房に勲功を施す云々とあります。

・源頼朝下文「鎌倉遺文」(1192年)

 宇都宮信房に地頭を命じた文書

前地頭の貞種は、この度貴賀島に渡らず、又奥州追討の時も参会しなかった。この両度の過失によって、その職を停止し、代わって信房をその任に補する。
 
南界記


      平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載

ラベル:吾妻鏡 貴賀島
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2009年03月11日

第10回 さわやか銀行杯において

(上嘉鉄東チーム3位入賞)
 主題の銀行杯は9月9日総合グラウンドで8時30分より開催されました。

 試合に先だって前日のコート作りがグランド使用中で出来なく当日の早朝6時より小雨降る中、役員の方々で行った。

 予定通り実施出来るか気がかりでしたが早々に参加した方々の加勢を戴いて、ようやく開会の8時30分に間に合いほっとしました。

 参加チームは40チーム、8ブロックに分かれてリーグ戦で行った。上嘉鉄からは上東2チーム、上中1チーム、上西2チーム計5チーム出場でした。

 
 入賞した上東チームは、1回戦で荒木チームに勝ち、2回戦で志戸桶東チームに勝ち、3回戦で中間チームに勝ちました。




 4回戦ではかつて郡体出場の経験を持ち、さらに年金友の会で優勝を果たし、鹿児島行きがすでに決定している強豪の嘉鈍Aチームにも勝ちブロック優勝を勝ち取った。


 勝・失点、勝率で優勝は赤連チーム、2位塩道チーム、3位上東チームで塩道とは1点差でした。

 試合に臨んで強豪の嘉鈍チームをどのような戦法で打倒するかと作戦を練った。しかも相手は先攻でベテランの1番が1ゲートを失敗し、こちら2番手が1ゲート先に通過し、2ゲートを陣取ることができた。

 3番手は3ゲートコーナーでダブルタッチを作らなかったので、この試合はうまくいくぞと思っていましたが、キャリアのあるベテランチーム、そう簡単には崩せなかったが結果は10対8の2点差で勝った。

 我がチームメイトはお互いに顔を見合わせ合って喜んだ。それを持続すべく次回の秋季大会では更に練習を重ねて頑張ろうと誓い合っています。

 それがお互いの健康づくりと親睦を深めていく一助となれば光栄です。

 私は係として二重の喜びを感じています。まずは天候の関係で実施できるかとの不安と準備が遅れて競技に支障を来すのではないかとの不安が重なりましたが皆さんのご協力でスムーズに運営ができたことを感謝しています。

 朝ご飯も満足に取れず、疲れての後始末でしたが、なぜか満足感に支配されて疲れを感じず晴れ晴れとしたさわやかな気分で家路につくことでした。

 上東Aチーム選手メンバーは次の通り。

 大友 勝一・富 豊西・澄田 菊江・住友 スミ子・澄 哲枝・大友 照子

         町ゲートボール協会 事務局長  大友 勝一


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

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シツル崎灯台のこと

 広報きかいの縮刷版をめくっていたら、昭和50年9月号の表紙を飾っているのが、

 我が上嘉鉄の「シツル崎灯台が完成」の記事でした。

灯台の写真の下の記事には、次のように書かれています。

 「上嘉鉄、苗間の高地には高さ10.5メートルの円形鉄筋コンクリート造り灯台が建てられ、地元漁船や近海を航行する船舶の道しるべとして光を放っている。

 シツル崎灯台は、湾・トンビ崎についで島では三ツ目。全自動式で無人灯台。自動的に夕方点灯、朝は消え、停電の時は備え付けのバッテリーが作動する近代的設備で第10管区海上保安部が建設、同名瀬海上保安部が管理しています。

 建設費は約1500万円で3つの建設会社が灯籠、灯器、灯屋をそれぞれ分担しての請負工事です。

 光度は1万3千500カンデラ、3秒毎に点滅する青いせん光は19海里沖から見えます。」




 この灯台建設になぜ記憶がなかったのか、考えていたら昭和50年の9月は、私は、大学1年で島を離れていたことになります。
 
 このシツル崎灯台は、上嘉鉄青年団「やらそう会」のメンバーが昨年暮れに、集落からも灯台がきれいに見えるように周りの木々を伐採したところです。

 上嘉鉄のシンボルとも言える存在のシツル崎灯台です。朝や日中でも薄暗いときは、点灯していて船舶の航行を見守っています。

 ちなみに、この昭和50年9月1日時点での喜界町の推計人口は、

男性:4994人

女性:6430人

合計:11424人 

です。世帯数は3745戸となっています。

 今現在が8000人くらいですから、当時は3500人くらい多かったことになります。






 
ラベル:シツル崎灯台
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2009年03月10日

キカイジマ・キカイガジマについて T

 (3月5日のシンポジュウムから)

 キカイジマ・キカイガジマについて古代・中世の文献には、その語呂から判断して喜界島よ想定される記録がかなり散見される。

 その中には現在の喜界島の事とは到底考えられない内容もかなりあり、戸惑うばかりである。

 古代・中世の京都人のキカイジマ感はどんな意味を持っていたか検証してみよう。文献に現れるキカイジマと想定されるのには

・日本記略(998年9月14日の条)南蛮賊徒(奄美人の海賊)追討を「貴駕島・きがじま」に命令した。これがキカイジマと想定され、キカイジマ記事の初見である。

※ この事件は前年奄美海賊が九州西側と南部(鹿児島・熊本・福岡)を襲撃し・略奪・放火・拉致した事件で通常南蛮襲撃事件と言い、小右記・日本記略に詳細に記録されている。

 ここでは略します。




・新猿楽記(11世紀半ば)の記事

 八郎真人は、商人の親方で商売の利益ばかり追求して妻子のことを顧みず自分ばかりを大切にし他人のことを考えない。

 必要とあれば東の浮因の地(東北・北海道)西は、「貴駕之島・キガノシマ」にも渡り、交易品売買品は、数え切れない。以下略。

・吾妻鏡(1187年9月22日)

 鎌倉時代の歴史書(1180年〜1267年)源頼朝は蔵人の職員信房に対して天野遠景と共に貴海島を追討せよとの厳命を与えて鎮西へ下向させた。

 昔からこの島に向かって帆船で渡航したものはない。しかし平家政権時代、薩摩の国の住人、阿多忠景が乱暴を働き政府に攻められて貴海島に逃亡した。これらの追討を筑後の守家貞に命じた。

 家貞は軍備を整え数度に渡り渡航したが遂に風波を凌げず、空しく帰ってきた云々。

 今度は源義経配下の一行が彼の島に隠れているとの噂があって追討を命じたのである。

                              南界記


平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載


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2009年03月09日

八月踊り V




おぼこりどぅ やゆる    ありがとうさまでした

かほうしゃらどぅ やゆる  果報なことでした

おぼこらし ぐれや     ご恩のお礼は

きゃしがむどぅそ      どのようにしてお返ししましょう


・おぼこり=語源は大誇りだが方言では恩を蒙った謝意・ありがとうの意味がある。上嘉鉄方言では、ウフクリ・ウフクンデータ。ホーラシヤと同源。


・どぅ=上代語の助詞「ぞ」の音韻変化。特に一つのことを強調する時に用いられる。

・かほう=果報、仏教語の因果応報の略。

・息災=災害を消滅させること。上嘉鉄方言では、「カフウ」という。

・キャシ=如何にの略、イカ→イキャの「い」が脱落。大島方面の方言に多く見られる。

 意味

 鎮守の神様より有り難うございました。お陰様で悪霊邪霊を祓い、みんな幸せいっぱいです。そのご恩返しは、どうすればいいでしょうか。

 自分たちが、幸せに今日生きているのは、産土神のお陰であると心底信じていたようで古代人らしい素朴さを感じます。

                         西島 常吉


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

  
ラベル:八月踊り
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2009年03月06日

ガソリン税から見えてきたこと・・・生島 小梅

 第二中学校の生島小梅さんが、税に関する作文を書いて、

 財団法人 日本税務協会会長賞を受賞しました。おめでとうございます。

 小梅さんは、「上嘉鉄魂」の編集委員の生島常範氏の娘さんです。

 この作文は、選択社会科の授業で社会科の佐藤先生と学んだ税の学習を通して書かれた作品です。「税に関する優秀作品集」という冊子の一番目に掲載されています。

 母校第二中学校の子どもたちは、頑張っています。しっかりした考えを持っていて感心します。

 次に紹介します。



   ガソリン税から見えてきたこと  

喜界町立 第二中学校
3年 生島 小梅
 「ガソリン暫定税率、存続か廃止か」

今年2月、国会で大きな話題になっていた。しかし、その時は意味が分からず、興味もなかった。

 むしろ、高速道路がなく、信号も一つしかない私たちの離島生活にはあまり関係のない話だと思っていた。

 ところが、3年生になり、選択社会科の授業でガソリン税について学習するうちに、私は身の回りの生活の仕組みについて広く考えるようになっていった。

 まず、「受益者負担」という原則。道路は車を利用する人が主に使うわけだから、ガソリンに税をかけ、その車を利用する人から集めたお金で道路を作ろうという考えには賛成だ。

 そういう意味では、集落の道路や公民館の草刈り等の奉仕作業が頭に浮かぶ。自分たちが使う地域の施設だから財政に頼らず、自分たちの力で美しくしていこうというのも「受益者負担」と同じことだと思った。

 そしてガソリン税は、「道路特定財源」といい、使い途が道路整備だけに限定されている。

 税の目的や使い道がはっきりしていることは、納税者の立場からすれば、納税しやすいように思える。

 しかし、今年3月、母と買い物をした帰りに聞いた話が気になる。継ぎ接ぎになっている道路や工事中の標識が立ち並ぶ路線をたくさん見つけた。

 その理由を尋ねると、「年度末は予算消化のための道路工事が多いらしい」

と母は教えてくれた。私は、無性に腹が立った。これこそ税金の無駄遣いではないのか。テレビのニュースで報道される無駄な道路整備事業を思いおこさずにはいられない。

 夏休み、先生に誘われて町議会の傍聴に行った。興味本位でついて行ったのだが、議会の真剣で鋭いやりとりに思わず息を飲んだ。

 町道の認定一つでも、工事期限の延長や区間について細かに議員が問いただしていた。
また、私たちが食べる給食加工業務の歳出が削減された理由についても答弁が行われていた。

 このような緊張感の中で私たちの税金の使い道が決められていると思うと、以前までの「税金の無駄遣い」という疑いは消え、むしろ頼もしい安心感が芽生えてきた。

 さらに、ガソリン税には、道路整備をますます促進するために「暫定税率」が上乗せされている。賛否両論ある中、私の意見としては、上乗せ分の税金を道路だけでなく。離島交通の補助にも使えるようにすべきだと思う。

 私の住んでいる喜界島では、ガソリン平均価格が全国平均よりも30円以上高い。その上、部活の遠征、眼科や産婦人科などの通院で船や飛行機を利用することも多い。

 税に思いやりの精神が生かされているならば、暫定税率を離島交通の補助にも役立ててほしい。

 このように、ガソリン税の学習を通して、今まで思いもしなかった身の回りの生活の仕組が見えてきた。今後も将来の納税者として、この学習で得た観察力をさらに磨きたい。




姉妹サイト『ウモーリよ!「結い」の島・喜界島』にガソリンに関する記事あり。

http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/112176305.html

   http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/114836786.html

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2009年03月05日

上嘉鉄美化隊倉庫設置について

 2009.02.14に共有地組合役員会がありました。その際に、美化隊の役員の方から次のような文書が出され、共有地管理組合に対して要望がありました。

 それは、今の上嘉鉄駐在所の後ろ(共有地)に、美化隊の倉庫を作るというものです。

 これは「農地・水・環境保全対策」事業の一環で平成19年度から行われているもので今年で三年目になるとのこと。

 1年に300万(上嘉鉄集落全体に)の予算があり5カ年計画だそうです。

 次に詳しい文書を掲載します。共有地に関わる問題ですので、上嘉鉄集落民全員が共通理解しておく必要があります。






上嘉鉄美化隊倉庫について
 
 国の農地・農業用水等の資源の適切な保全管理について

@ 高齢化や混住化等により困難になってきていること。

A ゆとりや安らぎといった国民の価値観の変化への対応が必要なこと。

B 我が国、農業全体の在り方を環境保全を重視したものに転換していくこと

等が求められていることから、地域ぐるみでの効果の高い共同活動と農業者ぐるみでの先進的な営農活動を支援する「農地・水・環境保全対策」を平成19年度から実施しています。


 この事業により、喜界町の上嘉鉄地区に「上嘉鉄美化隊」を組織されており、平成19年度から農道・排水路・環境美化・ライフラインの点検活動を行っています。

 今回、前述の主旨に基づき、集落美化活動・青年団活動・学童教育等における「奉仕」の活動力を次世代への定着した概念を育むためにも「拠点(倉庫)」の設置を考えております。

 倉庫設置においては、集落の共有地を活用させていただきたく、集落内共有地管理組合の皆様をはじめ、関係各位のご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 
 この倉庫につきましては、上嘉鉄美化隊において、所有する機材(自走式芝刈り機(H21.3)・道具・消耗品等の保管・管理を行います。

 また、事業終了年度後においては、全ての管理を上嘉鉄青年団に移管することを考察しております。

 【概略について】

設置者  上嘉鉄美化隊(平成19年度〜平成23年)

施行   無償奉仕作業(美化隊・青年団・やらそう会)

設置開始 平成20年度から

設置場所 上嘉鉄集落内
     (上嘉鉄地区振興センター隣接の駐在所裏集落共有地)

設置面積 18坪

設置費用 平成20年度予算

     材料費   ¥500,000

     プレカット手数料 ¥80,000 



上嘉鉄青年団の活動(ウンミ・盆踊りなど)の拠点となってくれそうです。
3月いっぱいで完成の予定だそうで、楽しみですね。


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2009年03月04日

八月踊り U

をぅどぅらだな うりば     踊らないで居れば

しまや やまなりゅり      集落は山になる

でわきゃ ふりたてぃてぃ    さあ我々奮い立って

をぅどぅてぃ とよも      踊って轟かそう

・やま=やまは国語の山の意味もあるが方言の山は荒れ放題になる、藪の意味もあり、ここでは荒れ放題、悪霊邪霊が我が物顔で横行して人民に災難不幸を与えると考えていた。

 この俗信は奄美独特ではない古代貴族の文献に間々見える。

・とよむ=上代語の響む(とよむ)辺りに響き渡る多くの人が大声をあげて騒ぐ。この語は韻文にのみで普通には使われていない。

 昔は使用していたと思われる。

・をぅどぅらだな=踊らないこと。ここでは豊年祭りをしなければの意味。だな=為(た)+否定の「な」〜〜〜しない意味。




 意味 

 神祭りをしなければ、ここではウンミをしなければ集落・また各人に不幸・災難・災害が起こる。(昔の人は病気・死亡などの原因は悪霊邪霊の仕業であると考えたようだ)

 さあ我々全員喜び勇んで、太鼓を叩いて大声を張りあげて唄い踊って、悪霊邪霊を祓い、産土神を喜ばしお慰めして、神のお加護を受け、かつ、ご恩に感謝し報いましょう。


※ この歌詞で八月ウンミに対する当時の集落民の姿勢を伺うことができる。

 そのために昔は幼児から大人にいたるまで悔やみでない限り集落民全員がウンミには参加することが義務であると考え集落あげての大きな行事だ。
西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」 第101号 掲載



ラベル:西島 常吉
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八月踊り

 八月踊りのシーズンになりました。(10月9日、八月ウンミ)八月踊りの詩歌に次のような歌詞がある。

しまぬ いべがなし    集落の鎮守の神様

しままもてぃ たぼり   集落を守ってください

なぬか ななゆるや    七日七夜

ゆわてぃうえしろ     祝って上げましょう

・しま=国語の「島」の意味もあるが方言の「しま」はもっと幅が広く集落・郷里・出身地の意味がある。

・いべ=「威部」の字を当ててある。沖縄から移入された語であろう。沖縄の地名に散見された奄美では馴染みが薄い。

 意味は神・神の社。聖なるところ。聖所。鎮守の杜・神の宿るところの意味。いべかなしの替わりに「うぶすなかみ」とも唱えている地域もある。

 いべは国語の忌瓮(いんべ)と関係がある語かもと思われるが詳細は不詳。

・うぶすなかみ=上代語、国語の「うぶ」=生むと同源。産土神。生まれた土地の守り神。近世以降は氏神・鎮守の神と同意義(古語辞典)

・かなし=奄美方言の「かなし・がなし」は意味範囲が非常に広い。語源は上代語の愛し(かなし)赤子から最愛の妻・夫に対する愛称、神、王、太陽神などに対する敬称にも用いられる。

 意味集落の氏神様よ集落を守ってください。七日七夜祝ってあげましょう。

 この詩歌によって奄美の八月ウンミの目的がはっきりしている。単なる豊年祭祭りだけに限らず、集落全体の平和・安全・五穀豊穣・無病・息災を感謝・祈願する行事・古代人の心情が現れているように思われる。
                       西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」第101号 掲載 



ラベル:西島常吉
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埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡 U

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 上の図は、「埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡」で紹介した前島国秋氏が提供した石器で、「凹石・くぼみいし」と言います。

 食料加工用具、大きさは大小さまざまだが大体こぶし大より大きく堅い石が用いられる。

 形は扁球形、隅丸長方形で磨製石器が多く中央に浅い「くぼみ」がある。敲石や石棒とのセットで使用される。(喜界町民俗資料室保管展示)

 堅菓類や穀物を打ち割り、粉砕する台石との説がある。喜界島では最近まで宝貝などを割る台石に使用していた。

 また、凹石は火をおこす道具、火鑚杵(ひきりきね)の上端を押さえた道具とした説もあるが、喜界島では、専門家による火起こしに使用した形跡は見当たらないという。




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上の図は、上嘉鉄遺跡出土の「敲き石・たたきいし」別名石槌とも言う。食料加工用具です。(所在不明)

 手に握ってハンマーとして使用した石器、形、大きさ、さまざまあり、凹石、石皿などのセットで用いられる。

 石斧が使用不可能となったものの転用もある。形は握りやすい棒状。扁平球状が多い。後世の杵の前身です。(ハンタ遺跡調査報告書)

                 西島 常吉



平成15年10月 「上嘉鉄魂」第65号 掲載 



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2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



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編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
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八月踊り撮影終了・・・喜界町

 平成18年度〜19年度にかけて「きかい長寿、子宝推進事業」の一貫で島内全集落の八月踊りを記録保存していますが、上嘉鉄集落も昨年11月に収録が終了いたしました。

 事業の説明は区長会にて行われ、それを受けて昨年8月30日、上東公民館において事業の撮影班代表の北島公一さんを招いて3区長、青年団役員、ゆらおう会役員協議しました。

 北島氏は他集落での収録の現状や問題点、更には撮影する上での要望事項などを説明。後世に残す貴重な資料作成のための協力を要請しました。


 協議の結果、ゆらおう会を中心に撮影を行うことと、DVD完成後の販売も同会が担当することになりました。

 その翌週から毎週水曜日の晩を練習日と決め、約2ヶ月余り練習を積み、10月3日には、先ず歌の収録を行いました。

 3年前に百歳で他界した栄ヨシさんに90歳の頃教えていただいた「さっかちやま」もやっと復活することができ計15曲を収録しました。

 録音作業は10時半までたっぷり3時間、実際に目の前で輪になって踊ってもらいながらの録音でした。

 音声と映像を別々に収録しそれらを編集するらしくマイク、パソコン等の機材やコードの中での録音作業は、大変緊張したようでした。

 集落のウンミ等では先頭の打ち出し役が歌い踊り出すと、それにつれて手足を動かすというのが普通ですが、収録となると八月踊りの所作を3名1組で正確に記録するため最初から最後まで動作を揃える練習を繰り返しました。

 「これまで何気なく踊っていたが、改めて踊りを見直す機会となり、良い勉強になった」とある若手会員は話していました。


 11月7日 午後1時、上西公民館で撮影が始まりました。緊張のためか、何度か取り直しもありましたが、2時間かけて八月踊り収録が終了。

 その後六調、天草、サーサーは特別に生唄と生演奏で収録し映像のチェックを終え、4時間に及ぶ撮影が完了しました。

 引き続き午後6時から地区センターで収録完了祝いがあり、ゆらおう会の盛 すみ会長が「長い間よく頑張って練習しました!これからも、しっかり伝統を継承していきましょう」と会員をねぎらいました。

 DVD完成は今年夏頃で、島内全集落同時に発売開始となります。

生島 常範


平成20年2月「上嘉鉄魂」第117号 掲載

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2009年03月02日

短歌・・・美代 イシ

※ 才なきを省みずして短歌(うた)の門をたたかんとする身の恥ずかしき

※ 脳梗塞身に負うて三年(みつとせ)人生の卒業(おえる)まではせめて呆けまい

※ 吾ながらまさかまさかの脳梗塞神の与えし才月と諾(うべな)う

※ 右ひだり十八回上げて自らの手にて着替えしズボンに満足

※ 走馬灯廻しつつ書く年賀状イス吾の生きてる証(あかし)

※ 年明けてなお前向きに生きようと胸深く誓う車イスの吾

※ 若さ故暮らしの故に過去(かこ)ありき孫四人くれし嫁に感謝

※ 出来るかなやって見ろよと徐(おもむろ)にやって出来たと吾悦(えつ)に入る

※ 目も見えず耳聞こえずデーケアにひと日(ひ)越す汝に習慣(ならい)の握手

※ 戦(いくさ)終(お)え四方八方めぐる六十一年君住む黄泉(よみ)でゆるり語ろう

上中 美代 イシ


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載


ラベル:短歌 美代 イシ
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私の仕事はボランティア・・・富村 隆雄

尼崎 在住   富村 隆雄
 島を離れて数十年、今第2の故郷が尼崎でまだまだ元気で頑張っております。

 40年近く会社勤めを終えてから、定年後は市のシルバー人材センターで働いておりましたが、今はボランティアが仕事です。

 毎月4〜5回の駅前の啓発キャンペーンと清掃を約1時間します。また、近くの小学校の登下校の見守り防犯ボランティアをしております。

 登下校は約50分、下校時は約90分です。月曜日〜金曜日までで私用があるときは、休みます。

 申し込み時は月・水・金の昼からしておりましたが、数日やっているうちに、子どもたちがいろいろと話しかけてなついてくるので好きになり、今では方々の街角に立って人の流れや行動が分かるようになってきました。

 あいさつをする人、「ご苦労さん」と声をかけてくれる人、「お金いくらもらっているの?」と言われたりもします。

 ボランティアの人員は、その日によって異なりますが、おじいちゃん、おばあちゃん、PTAなど朝は、10人くらい、下校時は7人くらいでやっております。

 さて、そこで子どもたちに

「信号が赤だから待ってね」

と言っているその横から、大人達が平気で渡っていく、最近の大人は?と言いたくなる。小中校生の非行が叫ばれて久しいが、非行の手本を示しているのは、大人の私たちでは?と感じた。

 子どもたちの元気な明るく、素直に交通整理の指示に従っている姿に接すると、子どもたちからパワーを貰ったようで、また交通整理の仕事をやって良かった。明日もこの子どもたちのために頑張ろうと意欲が湧きます。

 なんの取り得もないわたしですが、私でも世の中の役にたっていると思えば、ますます意欲が沸き心が爽快になります。

 以前は、体調が悪く家でごろごろばかりしていたが、ボランティアをはじめてから体調も良くなり生きていることに感謝しています。

 世の中の役に立つ仕事を意欲的にすれば健康になることを悟った。ありがたいことだ。

 それに引きかえ心ない大人は平気で交通違反をし、世の中は自分のおもうままだと言わんばかりの傲慢な顔、「いくらお金を貰っているか?」まるで金のことしか頭にない金の亡者の鬼畜の顔を見るようで仕事の意欲を失い、血圧が上昇し、体調不良をきたします。

 言葉は恐ろしいものだ。人間の心を不愉快にもさせ、意欲をも持たせてくれるとつくづく感じた。

「さあ、今日も行こうボランティアへ、他人が何と言おうと。健康で続けられる間は続けよう」


平成20年2月「上嘉鉄魂」第117号 掲載


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フトゥムッチィを食べる

 3月節句に蓬を使用するのは古くからの全国的風習で、民俗辞典によれば奈良・平安貴族は蓬を部屋に置いて、その独特の芳香を楽しんだ記録があります。

 また万葉集にも歌われており独特の芳香が霊草と言われ、魔除けに通じると信じ家の軒先に差して悪霊の侵入を防いだ。

 祖先の花生けにしたり、もぐさに加工してお灸にも使用される。

 昔話集に「昔、鬼に追われて食い殺されそうになった人間が蓬が生えている茂みの中に隠れたら、強烈な蓬の香りに人間の香は打ち消され分からなくなり、鬼はその儘立ち去り、人間は漸く助かった」

とそれ以来、蓬で団子を作り食べるようになったと。

 昔(小学生の頃)食べたフトゥムチィの味は懐かしく鮮明に焼き付いて忘れない。今はスーパーに行けば何時でもいくらでも自由に購入でき、季節感を失った。

 然し、昔、母が手で一生懸命に捏ねて作った餅ほどに味と香りがしないのは、豊富に出回ったせいで味覚が麻痺したか?

 飽食の罪か?有り余ることは物の有りがたさを、その価値を失わせるようだ。

                          南界記


平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載


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禁煙について考えて見ましょう・・・富村 隆雄

 今や禁煙は世界的兆候から日本へ、そして都市から市町村までいくつもの喫煙禁止区域の設定を目指した条例を進めているところが多くなってきました。

 喫煙者にとってはさぞかし息苦しいことだと思います。

「どうしてかって」これは煙に巻かれているからか。

ではなぜ悪いのか考えてみよう。

1 ポイ捨ての問題

2 歩き煙草による安全面の危害

3 本人の健康

4 母子への影響

5 受動喫煙による健康等などが考えられます。

 さて、毎日煙草を吸うと一生でどれだけ焼いて捨てているか計算したことがないので、ついでにやってみましょう。

 現在の価格で1箱300円として

 1月に300円×30日=9000円

1年で108000円になります。

 50年吸うとして、約540万円になります。

 煙草を吸っている人をよく見かけます。車や自転車を乗りながら、そしてポイ捨て、喫煙は自分の健康問題だけではありません。

 地球環境や家族のことも考えて吸いたいものです。

 ついでに煙草についての民謡を2,3紹介してこの稿を閉じよう。

むつれくさ とぅりょうに  睦れ草をとって

むつれろに しりば     睦れようとすれば

えんぬねじ さらめ     縁がなくてだろう

むつれぐるさ        睦みにくい

わすれくさ とぅりょうに  忘れ草をとって

わすれろに しりば     忘れようとすれば

うまいまさり まさり    思いが勝って

わすれぐるしゃ       忘れられない

ゆなか みぬさみてぃ    夜中目が覚めて

にぶららぬ ゆるや     眠れない夜は

ちしり ひきゆしてぃ    煙管を引き寄せて

たばくぅみしょれ      煙草を召し上がれ

 奄美では煙草の別名を「思い草」「忘れ草」「睦れ草」等と称して男女の情を交わす手段であったり失恋や人生の憂さを晴らす手段として愛飲、嗜なんでいたことが伺えます。

 奄美でも日本でも江戸時代から喫煙、煙草栽培を厳しく禁じていたが、あまり守られなかったようだ。

 禁止の理由は

1 火災の可能性が大である。

2 本土では水田耕作地の減少、奄美では砂糖きび畑の減少ときび畑の手入れが疎かになる等が主な理由で、現在の健康上の理由は記録に見当たらない。
尼崎在住  富村 隆雄


   平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載

ラベル:禁煙 富村 隆雄
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2009年03月19日

尚徳王の喜界島平定(1466)

 『しまぬゆ 1 1609年 奄美・琉球侵略』を読むと

島の歴史にくわしくなりますよ。P91に琉球の尚徳王が喜界島を攻めたときのことが詳しく書かれています。

 尚徳王には兄二人がいたらしい。その兄たちを差し置いて三男の尚徳が王位を継いだのは21歳のときだそうです。


 兄二人は、謀反人、護佐丸の娘の子であったため、敬遠され王位にはつけなかったらしい。

 尚徳王は、1441年の生まれ、喜界島に攻めたのが21歳の若さです。

王位継承に疑問をもつものもいるなか、その者たちに自分の実力を見せつけてやるために尚徳自ら、喜界島平定(1466)に出掛けています。

 船50余艇、2000あまりの兵を乗せて喜界島に向かったそうです。

 喜界島の攻防は、『中山世譜』に詳しく書かれています。

 2月25日  那覇港を出発

 2月28日  喜界島至



 当時の船で3日間かかったことになります。

 喜界島の抵抗は激しかったらしい。矢石飛ぶこと雨の如く一歩も進むころができなかった。尚徳王は大いに怒り軍兵を励まし攻撃させたが、多数の死傷者を出したと書かれています。 


 尚徳王は、3月5日、奇襲作戦にでます。島の背後にまわるように炬火(きょか)を手に持たせて、軍を分けるように見せかけた。

 喜界島の兵士は、あわてて島の背後にまわったらしい。その隙を見て尚徳王の軍勢は、一気に上陸し、火を放って家を焼き、気勢をあげたらしい。

   


ラベル:尚徳王
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2009年03月18日

八月踊りで子どもたちと交流




 3月19日、地区上嘉鉄センターで上嘉鉄小学校の6年生9名と上嘉鉄八月踊り唄保存会(高橋サダ会長)が八月踊りで交流しました。

 一月に小学校で行われた6年生の「すんがりがー」の発表を見た一部の会員が2月の練習会で「素晴らしかった!子どもたちだけで歌い、踊り、しかも意味の説明まで堂々とできた」と感想があった。

 誰からともなく「是非、一緒に」の声があがった。早速担任の原田ゆかり教諭に連絡をとると

「実は子どもたちももう出番はないの?と私に聞くほど得意にしていました。」と快諾の返事を頂いた。

 卒業式の3日前に行われた交流会には、9名の児童の保護者も数名参加のほか、ハンスウ喜界島交流会主催「春のハンスウ交流」で来島中の3名の留学生も加わり、総数は60名に盛り上がった。

 食事のあと、児童一人一人とオーストリア、香港、台湾からの特別ゲストが日本語と自国語で自己紹介。

 その後児童達による「すんがりがー」の発表と続いた。

 児童たちは一節ずつ歌ったあと、意味の説明を一人一人が行い、最後は全員で太鼓に合わせて歌詞を見ないで歌いながら踊ってくれた。

 地域のウジーオバーたちも大喜びで拍手喝采!「わちゃーかむ、こっと、かちじゃそう」(私たちよりずっと上手)の声も。

 そして、児童たちと一緒に二重三重の輪を作って皆で八月踊り、最後は六調、天草等で最高潮に盛り上がった。

 海外からの留学生も最初は戸惑っていたものの、そのうち自由に踊れる島の踊りに興味を持ち、

「とても楽しい、止まらなくなった」(香港の女性)

 子どもたちも「いろいろな踊りを勉強できて良かった」「とても楽しかった」などの感想を発表してくれ、会員からの「島の踊り、唄の後継者がいて本島に嬉しい。今年のウンミで一緒に踊ろう」「また子どもたちと交流したい」などと笑顔で話していた。

 中学生になっても引き続き足元の島の文化を学びながら学校の勉強に、その他の活動に頑張ってください。

生島 常範


平成13年4月1日 「上嘉鉄魂」 第35号 掲載

ラベル:八月踊り 香港
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2009年03月12日

上嘉鉄のヤンガー

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上嘉鉄小学校の県道の上にある上嘉鉄では、湧水量No1の湧水地です。

夏場ともなれば、親子連れが、網をもってグッピーを取っている姿が見られます。

 小さな淡水のエビも生息しています。

 私の職場の同僚は、淡水魚が好きでよく休日には、子どもさんを連れて、小動物を捕獲しては、水槽で飼って楽しんでいます。

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ラベル:ヤンガー
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キカイジマ・キカイガジマについて U

・吾妻鏡(1188年3月5日)

 宇都宮信房、先月の頃、鎮西より書状を進ず、貴賀井島へ渡ることを申し上げた。去年、例の島の形勢を窺った結果、海路の次第これを絵図にして献上した。

 かの島へ渡ることは、難儀との諸人の話によって思いとどまっていたが。この絵図をご覧になって後、あながち人力を披露させる程でもないとのことで、再び追補を企てた云々。

 信房はこの大功によって賞を加えられた。

・吾妻鏡(1188年5月17日)

 遠島の一族家臣が、貴賀井島に渡り合戦を遂げ、かの島を降伏させたとの連絡があった。その功績によって信房に勲功を施す云々とあります。

・源頼朝下文「鎌倉遺文」(1192年)

 宇都宮信房に地頭を命じた文書

前地頭の貞種は、この度貴賀島に渡らず、又奥州追討の時も参会しなかった。この両度の過失によって、その職を停止し、代わって信房をその任に補する。
 
南界記


      平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載

ラベル:吾妻鏡 貴賀島
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2009年03月11日

第10回 さわやか銀行杯において

(上嘉鉄東チーム3位入賞)
 主題の銀行杯は9月9日総合グラウンドで8時30分より開催されました。

 試合に先だって前日のコート作りがグランド使用中で出来なく当日の早朝6時より小雨降る中、役員の方々で行った。

 予定通り実施出来るか気がかりでしたが早々に参加した方々の加勢を戴いて、ようやく開会の8時30分に間に合いほっとしました。

 参加チームは40チーム、8ブロックに分かれてリーグ戦で行った。上嘉鉄からは上東2チーム、上中1チーム、上西2チーム計5チーム出場でした。

 
 入賞した上東チームは、1回戦で荒木チームに勝ち、2回戦で志戸桶東チームに勝ち、3回戦で中間チームに勝ちました。




 4回戦ではかつて郡体出場の経験を持ち、さらに年金友の会で優勝を果たし、鹿児島行きがすでに決定している強豪の嘉鈍Aチームにも勝ちブロック優勝を勝ち取った。


 勝・失点、勝率で優勝は赤連チーム、2位塩道チーム、3位上東チームで塩道とは1点差でした。

 試合に臨んで強豪の嘉鈍チームをどのような戦法で打倒するかと作戦を練った。しかも相手は先攻でベテランの1番が1ゲートを失敗し、こちら2番手が1ゲート先に通過し、2ゲートを陣取ることができた。

 3番手は3ゲートコーナーでダブルタッチを作らなかったので、この試合はうまくいくぞと思っていましたが、キャリアのあるベテランチーム、そう簡単には崩せなかったが結果は10対8の2点差で勝った。

 我がチームメイトはお互いに顔を見合わせ合って喜んだ。それを持続すべく次回の秋季大会では更に練習を重ねて頑張ろうと誓い合っています。

 それがお互いの健康づくりと親睦を深めていく一助となれば光栄です。

 私は係として二重の喜びを感じています。まずは天候の関係で実施できるかとの不安と準備が遅れて競技に支障を来すのではないかとの不安が重なりましたが皆さんのご協力でスムーズに運営ができたことを感謝しています。

 朝ご飯も満足に取れず、疲れての後始末でしたが、なぜか満足感に支配されて疲れを感じず晴れ晴れとしたさわやかな気分で家路につくことでした。

 上東Aチーム選手メンバーは次の通り。

 大友 勝一・富 豊西・澄田 菊江・住友 スミ子・澄 哲枝・大友 照子

         町ゲートボール協会 事務局長  大友 勝一


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

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シツル崎灯台のこと

 広報きかいの縮刷版をめくっていたら、昭和50年9月号の表紙を飾っているのが、

 我が上嘉鉄の「シツル崎灯台が完成」の記事でした。

灯台の写真の下の記事には、次のように書かれています。

 「上嘉鉄、苗間の高地には高さ10.5メートルの円形鉄筋コンクリート造り灯台が建てられ、地元漁船や近海を航行する船舶の道しるべとして光を放っている。

 シツル崎灯台は、湾・トンビ崎についで島では三ツ目。全自動式で無人灯台。自動的に夕方点灯、朝は消え、停電の時は備え付けのバッテリーが作動する近代的設備で第10管区海上保安部が建設、同名瀬海上保安部が管理しています。

 建設費は約1500万円で3つの建設会社が灯籠、灯器、灯屋をそれぞれ分担しての請負工事です。

 光度は1万3千500カンデラ、3秒毎に点滅する青いせん光は19海里沖から見えます。」




 この灯台建設になぜ記憶がなかったのか、考えていたら昭和50年の9月は、私は、大学1年で島を離れていたことになります。
 
 このシツル崎灯台は、上嘉鉄青年団「やらそう会」のメンバーが昨年暮れに、集落からも灯台がきれいに見えるように周りの木々を伐採したところです。

 上嘉鉄のシンボルとも言える存在のシツル崎灯台です。朝や日中でも薄暗いときは、点灯していて船舶の航行を見守っています。

 ちなみに、この昭和50年9月1日時点での喜界町の推計人口は、

男性:4994人

女性:6430人

合計:11424人 

です。世帯数は3745戸となっています。

 今現在が8000人くらいですから、当時は3500人くらい多かったことになります。






 
ラベル:シツル崎灯台
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2009年03月10日

キカイジマ・キカイガジマについて T

 (3月5日のシンポジュウムから)

 キカイジマ・キカイガジマについて古代・中世の文献には、その語呂から判断して喜界島よ想定される記録がかなり散見される。

 その中には現在の喜界島の事とは到底考えられない内容もかなりあり、戸惑うばかりである。

 古代・中世の京都人のキカイジマ感はどんな意味を持っていたか検証してみよう。文献に現れるキカイジマと想定されるのには

・日本記略(998年9月14日の条)南蛮賊徒(奄美人の海賊)追討を「貴駕島・きがじま」に命令した。これがキカイジマと想定され、キカイジマ記事の初見である。

※ この事件は前年奄美海賊が九州西側と南部(鹿児島・熊本・福岡)を襲撃し・略奪・放火・拉致した事件で通常南蛮襲撃事件と言い、小右記・日本記略に詳細に記録されている。

 ここでは略します。




・新猿楽記(11世紀半ば)の記事

 八郎真人は、商人の親方で商売の利益ばかり追求して妻子のことを顧みず自分ばかりを大切にし他人のことを考えない。

 必要とあれば東の浮因の地(東北・北海道)西は、「貴駕之島・キガノシマ」にも渡り、交易品売買品は、数え切れない。以下略。

・吾妻鏡(1187年9月22日)

 鎌倉時代の歴史書(1180年〜1267年)源頼朝は蔵人の職員信房に対して天野遠景と共に貴海島を追討せよとの厳命を与えて鎮西へ下向させた。

 昔からこの島に向かって帆船で渡航したものはない。しかし平家政権時代、薩摩の国の住人、阿多忠景が乱暴を働き政府に攻められて貴海島に逃亡した。これらの追討を筑後の守家貞に命じた。

 家貞は軍備を整え数度に渡り渡航したが遂に風波を凌げず、空しく帰ってきた云々。

 今度は源義経配下の一行が彼の島に隠れているとの噂があって追討を命じたのである。

                              南界記


平成17年6月「上嘉鉄魂」第85号 掲載


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2009年03月09日

八月踊り V




おぼこりどぅ やゆる    ありがとうさまでした

かほうしゃらどぅ やゆる  果報なことでした

おぼこらし ぐれや     ご恩のお礼は

きゃしがむどぅそ      どのようにしてお返ししましょう


・おぼこり=語源は大誇りだが方言では恩を蒙った謝意・ありがとうの意味がある。上嘉鉄方言では、ウフクリ・ウフクンデータ。ホーラシヤと同源。


・どぅ=上代語の助詞「ぞ」の音韻変化。特に一つのことを強調する時に用いられる。

・かほう=果報、仏教語の因果応報の略。

・息災=災害を消滅させること。上嘉鉄方言では、「カフウ」という。

・キャシ=如何にの略、イカ→イキャの「い」が脱落。大島方面の方言に多く見られる。

 意味

 鎮守の神様より有り難うございました。お陰様で悪霊邪霊を祓い、みんな幸せいっぱいです。そのご恩返しは、どうすればいいでしょうか。

 自分たちが、幸せに今日生きているのは、産土神のお陰であると心底信じていたようで古代人らしい素朴さを感じます。

                         西島 常吉


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載

  
ラベル:八月踊り
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2009年03月06日

ガソリン税から見えてきたこと・・・生島 小梅

 第二中学校の生島小梅さんが、税に関する作文を書いて、

 財団法人 日本税務協会会長賞を受賞しました。おめでとうございます。

 小梅さんは、「上嘉鉄魂」の編集委員の生島常範氏の娘さんです。

 この作文は、選択社会科の授業で社会科の佐藤先生と学んだ税の学習を通して書かれた作品です。「税に関する優秀作品集」という冊子の一番目に掲載されています。

 母校第二中学校の子どもたちは、頑張っています。しっかりした考えを持っていて感心します。

 次に紹介します。



   ガソリン税から見えてきたこと  

喜界町立 第二中学校
3年 生島 小梅
 「ガソリン暫定税率、存続か廃止か」

今年2月、国会で大きな話題になっていた。しかし、その時は意味が分からず、興味もなかった。

 むしろ、高速道路がなく、信号も一つしかない私たちの離島生活にはあまり関係のない話だと思っていた。

 ところが、3年生になり、選択社会科の授業でガソリン税について学習するうちに、私は身の回りの生活の仕組みについて広く考えるようになっていった。

 まず、「受益者負担」という原則。道路は車を利用する人が主に使うわけだから、ガソリンに税をかけ、その車を利用する人から集めたお金で道路を作ろうという考えには賛成だ。

 そういう意味では、集落の道路や公民館の草刈り等の奉仕作業が頭に浮かぶ。自分たちが使う地域の施設だから財政に頼らず、自分たちの力で美しくしていこうというのも「受益者負担」と同じことだと思った。

 そしてガソリン税は、「道路特定財源」といい、使い途が道路整備だけに限定されている。

 税の目的や使い道がはっきりしていることは、納税者の立場からすれば、納税しやすいように思える。

 しかし、今年3月、母と買い物をした帰りに聞いた話が気になる。継ぎ接ぎになっている道路や工事中の標識が立ち並ぶ路線をたくさん見つけた。

 その理由を尋ねると、「年度末は予算消化のための道路工事が多いらしい」

と母は教えてくれた。私は、無性に腹が立った。これこそ税金の無駄遣いではないのか。テレビのニュースで報道される無駄な道路整備事業を思いおこさずにはいられない。

 夏休み、先生に誘われて町議会の傍聴に行った。興味本位でついて行ったのだが、議会の真剣で鋭いやりとりに思わず息を飲んだ。

 町道の認定一つでも、工事期限の延長や区間について細かに議員が問いただしていた。
また、私たちが食べる給食加工業務の歳出が削減された理由についても答弁が行われていた。

 このような緊張感の中で私たちの税金の使い道が決められていると思うと、以前までの「税金の無駄遣い」という疑いは消え、むしろ頼もしい安心感が芽生えてきた。

 さらに、ガソリン税には、道路整備をますます促進するために「暫定税率」が上乗せされている。賛否両論ある中、私の意見としては、上乗せ分の税金を道路だけでなく。離島交通の補助にも使えるようにすべきだと思う。

 私の住んでいる喜界島では、ガソリン平均価格が全国平均よりも30円以上高い。その上、部活の遠征、眼科や産婦人科などの通院で船や飛行機を利用することも多い。

 税に思いやりの精神が生かされているならば、暫定税率を離島交通の補助にも役立ててほしい。

 このように、ガソリン税の学習を通して、今まで思いもしなかった身の回りの生活の仕組が見えてきた。今後も将来の納税者として、この学習で得た観察力をさらに磨きたい。




姉妹サイト『ウモーリよ!「結い」の島・喜界島』にガソリンに関する記事あり。

http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/112176305.html

   http://umooriyokikaijima.seesaa.net/article/114836786.html

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2009年03月05日

上嘉鉄美化隊倉庫設置について

 2009.02.14に共有地組合役員会がありました。その際に、美化隊の役員の方から次のような文書が出され、共有地管理組合に対して要望がありました。

 それは、今の上嘉鉄駐在所の後ろ(共有地)に、美化隊の倉庫を作るというものです。

 これは「農地・水・環境保全対策」事業の一環で平成19年度から行われているもので今年で三年目になるとのこと。

 1年に300万(上嘉鉄集落全体に)の予算があり5カ年計画だそうです。

 次に詳しい文書を掲載します。共有地に関わる問題ですので、上嘉鉄集落民全員が共通理解しておく必要があります。






上嘉鉄美化隊倉庫について
 
 国の農地・農業用水等の資源の適切な保全管理について

@ 高齢化や混住化等により困難になってきていること。

A ゆとりや安らぎといった国民の価値観の変化への対応が必要なこと。

B 我が国、農業全体の在り方を環境保全を重視したものに転換していくこと

等が求められていることから、地域ぐるみでの効果の高い共同活動と農業者ぐるみでの先進的な営農活動を支援する「農地・水・環境保全対策」を平成19年度から実施しています。


 この事業により、喜界町の上嘉鉄地区に「上嘉鉄美化隊」を組織されており、平成19年度から農道・排水路・環境美化・ライフラインの点検活動を行っています。

 今回、前述の主旨に基づき、集落美化活動・青年団活動・学童教育等における「奉仕」の活動力を次世代への定着した概念を育むためにも「拠点(倉庫)」の設置を考えております。

 倉庫設置においては、集落の共有地を活用させていただきたく、集落内共有地管理組合の皆様をはじめ、関係各位のご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 
 この倉庫につきましては、上嘉鉄美化隊において、所有する機材(自走式芝刈り機(H21.3)・道具・消耗品等の保管・管理を行います。

 また、事業終了年度後においては、全ての管理を上嘉鉄青年団に移管することを考察しております。

 【概略について】

設置者  上嘉鉄美化隊(平成19年度〜平成23年)

施行   無償奉仕作業(美化隊・青年団・やらそう会)

設置開始 平成20年度から

設置場所 上嘉鉄集落内
     (上嘉鉄地区振興センター隣接の駐在所裏集落共有地)

設置面積 18坪

設置費用 平成20年度予算

     材料費   ¥500,000

     プレカット手数料 ¥80,000 



上嘉鉄青年団の活動(ウンミ・盆踊りなど)の拠点となってくれそうです。
3月いっぱいで完成の予定だそうで、楽しみですね。


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2009年03月04日

八月踊り U

をぅどぅらだな うりば     踊らないで居れば

しまや やまなりゅり      集落は山になる

でわきゃ ふりたてぃてぃ    さあ我々奮い立って

をぅどぅてぃ とよも      踊って轟かそう

・やま=やまは国語の山の意味もあるが方言の山は荒れ放題になる、藪の意味もあり、ここでは荒れ放題、悪霊邪霊が我が物顔で横行して人民に災難不幸を与えると考えていた。

 この俗信は奄美独特ではない古代貴族の文献に間々見える。

・とよむ=上代語の響む(とよむ)辺りに響き渡る多くの人が大声をあげて騒ぐ。この語は韻文にのみで普通には使われていない。

 昔は使用していたと思われる。

・をぅどぅらだな=踊らないこと。ここでは豊年祭りをしなければの意味。だな=為(た)+否定の「な」〜〜〜しない意味。




 意味 

 神祭りをしなければ、ここではウンミをしなければ集落・また各人に不幸・災難・災害が起こる。(昔の人は病気・死亡などの原因は悪霊邪霊の仕業であると考えたようだ)

 さあ我々全員喜び勇んで、太鼓を叩いて大声を張りあげて唄い踊って、悪霊邪霊を祓い、産土神を喜ばしお慰めして、神のお加護を受け、かつ、ご恩に感謝し報いましょう。


※ この歌詞で八月ウンミに対する当時の集落民の姿勢を伺うことができる。

 そのために昔は幼児から大人にいたるまで悔やみでない限り集落民全員がウンミには参加することが義務であると考え集落あげての大きな行事だ。
西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」 第101号 掲載



ラベル:西島 常吉
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八月踊り

 八月踊りのシーズンになりました。(10月9日、八月ウンミ)八月踊りの詩歌に次のような歌詞がある。

しまぬ いべがなし    集落の鎮守の神様

しままもてぃ たぼり   集落を守ってください

なぬか ななゆるや    七日七夜

ゆわてぃうえしろ     祝って上げましょう

・しま=国語の「島」の意味もあるが方言の「しま」はもっと幅が広く集落・郷里・出身地の意味がある。

・いべ=「威部」の字を当ててある。沖縄から移入された語であろう。沖縄の地名に散見された奄美では馴染みが薄い。

 意味は神・神の社。聖なるところ。聖所。鎮守の杜・神の宿るところの意味。いべかなしの替わりに「うぶすなかみ」とも唱えている地域もある。

 いべは国語の忌瓮(いんべ)と関係がある語かもと思われるが詳細は不詳。

・うぶすなかみ=上代語、国語の「うぶ」=生むと同源。産土神。生まれた土地の守り神。近世以降は氏神・鎮守の神と同意義(古語辞典)

・かなし=奄美方言の「かなし・がなし」は意味範囲が非常に広い。語源は上代語の愛し(かなし)赤子から最愛の妻・夫に対する愛称、神、王、太陽神などに対する敬称にも用いられる。

 意味集落の氏神様よ集落を守ってください。七日七夜祝ってあげましょう。

 この詩歌によって奄美の八月ウンミの目的がはっきりしている。単なる豊年祭祭りだけに限らず、集落全体の平和・安全・五穀豊穣・無病・息災を感謝・祈願する行事・古代人の心情が現れているように思われる。
                       西島 常吉


平成18年10月 「上嘉鉄魂」第101号 掲載 



ラベル:西島常吉
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埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡 U

otu isi090303.JPG


 上の図は、「埋蔵文化が語る上嘉鉄遺跡」で紹介した前島国秋氏が提供した石器で、「凹石・くぼみいし」と言います。

 食料加工用具、大きさは大小さまざまだが大体こぶし大より大きく堅い石が用いられる。

 形は扁球形、隅丸長方形で磨製石器が多く中央に浅い「くぼみ」がある。敲石や石棒とのセットで使用される。(喜界町民俗資料室保管展示)

 堅菓類や穀物を打ち割り、粉砕する台石との説がある。喜界島では最近まで宝貝などを割る台石に使用していた。

 また、凹石は火をおこす道具、火鑚杵(ひきりきね)の上端を押さえた道具とした説もあるが、喜界島では、専門家による火起こしに使用した形跡は見当たらないという。




otuisi090303d.JPG
 


上の図は、上嘉鉄遺跡出土の「敲き石・たたきいし」別名石槌とも言う。食料加工用具です。(所在不明)

 手に握ってハンマーとして使用した石器、形、大きさ、さまざまあり、凹石、石皿などのセットで用いられる。

 石斧が使用不可能となったものの転用もある。形は握りやすい棒状。扁平球状が多い。後世の杵の前身です。(ハンタ遺跡調査報告書)

                 西島 常吉



平成15年10月 「上嘉鉄魂」第65号 掲載 



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2009年03月03日

原稿募集のお願い

 第二次大戦を終えて半世紀以上を経過し終戦前後の悲惨な生活を体験した年代も、日に日に疎くなっています。

 私たち編集部では戦争の悲惨さを風化させることなく後世に教え、再び戦争の過ちを起こさないために戦争の悲惨さを子孫にしっかり伝えるべく原稿を募集しています。

 戦争そのものは悪いけれどもそれに伴う生きるための気迫と言うか?知恵というか?何か良いこともあったはず。

 お陰で今日まで生き延びることができた貴重な体験をしたと思う。そのような貴重な経験を後世に残したい。

 現在の戦争を知らない世代に伝えたいことを字数、内容に制限はありません。ご自由に投稿ください。お願いいたします。

 平和で明るい社会を築くためにもまた、生存競争の激しい今日を生き抜くためにも必要かと思い企画しました。

 ご協力をお願いします。
(編集部)


平成15年12月 「上嘉鉄魂」第67号 掲載



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編集後記・・・「上嘉鉄魂」第120号

  平成20年 5月 「上嘉鉄魂」 第120号掲載より

 喜界島全体が若々しい緑一色に包まれて、庭のみかんの若芽、蕾をみると身も心も若くなったようで蜜柑の花の香りに誘われて外に出て浩然の気を養いたくなり、家に閉じこもっているのがもったいない。

「春がきた 春がきた どこに来た 山に来た 里に来た 野にもきた」小学校の方角から元気な子どもの歌声が聞こえてくるようだが現実は、児童数の減少でひっそりしている。


 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく寂しい感がする。これも世の中の成り行きとは言え余りにも淋しい。

 今年の全入園児は4人。数百人の児童生徒を擁していた在りし日の事を考えると想像も及ばない。

 校庭で無心に遊び回っている児童もまばらで何となく淋しい感がする。これも世の中の成りゆきとは言え余りにも淋しい。

 今年の入園児童4人、在りし日の事を考えると想像もつかない。

                           西島 常吉 


ラベル:編集後記
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八月踊り撮影終了・・・喜界町

 平成18年度〜19年度にかけて「きかい長寿、子宝推進事業」の一貫で島内全集落の八月踊りを記録保存していますが、上嘉鉄集落も昨年11月に収録が終了いたしました。

 事業の説明は区長会にて行われ、それを受けて昨年8月30日、上東公民館において事業の撮影班代表の北島公一さんを招いて3区長、青年団役員、ゆらおう会役員協議しました。

 北島氏は他集落での収録の現状や問題点、更には撮影する上での要望事項などを説明。後世に残す貴重な資料作成のための協力を要請しました。


 協議の結果、ゆらおう会を中心に撮影を行うことと、DVD完成後の販売も同会が担当することになりました。

 その翌週から毎週水曜日の晩を練習日と決め、約2ヶ月余り練習を積み、10月3日には、先ず歌の収録を行いました。

 3年前に百歳で他界した栄ヨシさんに90歳の頃教えていただいた「さっかちやま」もやっと復活することができ計15曲を収録しました。

 録音作業は10時半までたっぷり3時間、実際に目の前で輪になって踊ってもらいながらの録音でした。

 音声と映像を別々に収録しそれらを編集するらしくマイク、パソコン等の機材やコードの中での録音作業は、大変緊張したようでした。

 集落のウンミ等では先頭の打ち出し役が歌い踊り出すと、それにつれて手足を動かすというのが普通ですが、収録となると八月踊りの所作を3名1組で正確に記録するため最初から最後まで動作を揃える練習を繰り返しました。

 「これまで何気なく踊っていたが、改めて踊りを見直す機会となり、良い勉強になった」とある若手会員は話していました。


 11月7日 午後1時、上西公民館で撮影が始まりました。緊張のためか、何度か取り直しもありましたが、2時間かけて八月踊り収録が終了。

 その後六調、天草、サーサーは特別に生唄と生演奏で収録し映像のチェックを終え、4時間に及ぶ撮影が完了しました。

 引き続き午後6時から地区センターで収録完了祝いがあり、ゆらおう会の盛 すみ会長が「長い間よく頑張って練習しました!これからも、しっかり伝統を継承していきましょう」と会員をねぎらいました。

 DVD完成は今年夏頃で、島内全集落同時に発売開始となります。

生島 常範


平成20年2月「上嘉鉄魂」第117号 掲載

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2009年03月02日

短歌・・・美代 イシ

※ 才なきを省みずして短歌(うた)の門をたたかんとする身の恥ずかしき

※ 脳梗塞身に負うて三年(みつとせ)人生の卒業(おえる)まではせめて呆けまい

※ 吾ながらまさかまさかの脳梗塞神の与えし才月と諾(うべな)う

※ 右ひだり十八回上げて自らの手にて着替えしズボンに満足

※ 走馬灯廻しつつ書く年賀状イス吾の生きてる証(あかし)

※ 年明けてなお前向きに生きようと胸深く誓う車イスの吾

※ 若さ故暮らしの故に過去(かこ)ありき孫四人くれし嫁に感謝

※ 出来るかなやって見ろよと徐(おもむろ)にやって出来たと吾悦(えつ)に入る

※ 目も見えず耳聞こえずデーケアにひと日(ひ)越す汝に習慣(ならい)の握手

※ 戦(いくさ)終(お)え四方八方めぐる六十一年君住む黄泉(よみ)でゆるり語ろう

上中 美代 イシ


平成18年10月「上嘉鉄魂」第101号 掲載


ラベル:短歌 美代 イシ
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私の仕事はボランティア・・・富村 隆雄

尼崎 在住   富村 隆雄
 島を離れて数十年、今第2の故郷が尼崎でまだまだ元気で頑張っております。

 40年近く会社勤めを終えてから、定年後は市のシルバー人材センターで働いておりましたが、今はボランティアが仕事です。

 毎月4〜5回の駅前の啓発キャンペーンと清掃を約1時間します。また、近くの小学校の登下校の見守り防犯ボランティアをしております。

 登下校は約50分、下校時は約90分です。月曜日〜金曜日までで私用があるときは、休みます。

 申し込み時は月・水・金の昼からしておりましたが、数日やっているうちに、子どもたちがいろいろと話しかけてなついてくるので好きになり、今では方々の街角に立って人の流れや行動が分かるようになってきました。

 あいさつをする人、「ご苦労さん」と声をかけてくれる人、「お金いくらもらっているの?」と言われたりもします。

 ボランティアの人員は、その日によって異なりますが、おじいちゃん、おばあちゃん、PTAなど朝は、10人くらい、下校時は7人くらいでやっております。

 さて、そこで子どもたちに

「信号が赤だから待ってね」

と言っているその横から、大人達が平気で渡っていく、最近の大人は?と言いたくなる。小中校生の非行が叫ばれて久しいが、非行の手本を示しているのは、大人の私たちでは?と感じた。

 子どもたちの元気な明るく、素直に交通整理の指示に従っている姿に接すると、子どもたちからパワーを貰ったようで、また交通整理の仕事をやって良かった。明日もこの子どもたちのために頑張ろうと意欲が湧きます。

 なんの取り得もないわたしですが、私でも世の中の役にたっていると思えば、ますます意欲が沸き心が爽快になります。

 以前は、体調が悪く家でごろごろばかりしていたが、ボランティアをはじめてから体調も良くなり生きていることに感謝しています。

 世の中の役に立つ仕事を意欲的にすれば健康になることを悟った。ありがたいことだ。

 それに引きかえ心ない大人は平気で交通違反をし、世の中は自分のおもうままだと言わんばかりの傲慢な顔、「いくらお金を貰っているか?」まるで金のことしか頭にない金の亡者の鬼畜の顔を見るようで仕事の意欲を失い、血圧が上昇し、体調不良をきたします。

 言葉は恐ろしいものだ。人間の心を不愉快にもさせ、意欲をも持たせてくれるとつくづく感じた。

「さあ、今日も行こうボランティアへ、他人が何と言おうと。健康で続けられる間は続けよう」


平成20年2月「上嘉鉄魂」第117号 掲載


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フトゥムッチィを食べる

 3月節句に蓬を使用するのは古くからの全国的風習で、民俗辞典によれば奈良・平安貴族は蓬を部屋に置いて、その独特の芳香を楽しんだ記録があります。

 また万葉集にも歌われており独特の芳香が霊草と言われ、魔除けに通じると信じ家の軒先に差して悪霊の侵入を防いだ。

 祖先の花生けにしたり、もぐさに加工してお灸にも使用される。

 昔話集に「昔、鬼に追われて食い殺されそうになった人間が蓬が生えている茂みの中に隠れたら、強烈な蓬の香りに人間の香は打ち消され分からなくなり、鬼はその儘立ち去り、人間は漸く助かった」

とそれ以来、蓬で団子を作り食べるようになったと。

 昔(小学生の頃)食べたフトゥムチィの味は懐かしく鮮明に焼き付いて忘れない。今はスーパーに行けば何時でもいくらでも自由に購入でき、季節感を失った。

 然し、昔、母が手で一生懸命に捏ねて作った餅ほどに味と香りがしないのは、豊富に出回ったせいで味覚が麻痺したか?

 飽食の罪か?有り余ることは物の有りがたさを、その価値を失わせるようだ。

                          南界記


平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載


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禁煙について考えて見ましょう・・・富村 隆雄

 今や禁煙は世界的兆候から日本へ、そして都市から市町村までいくつもの喫煙禁止区域の設定を目指した条例を進めているところが多くなってきました。

 喫煙者にとってはさぞかし息苦しいことだと思います。

「どうしてかって」これは煙に巻かれているからか。

ではなぜ悪いのか考えてみよう。

1 ポイ捨ての問題

2 歩き煙草による安全面の危害

3 本人の健康

4 母子への影響

5 受動喫煙による健康等などが考えられます。

 さて、毎日煙草を吸うと一生でどれだけ焼いて捨てているか計算したことがないので、ついでにやってみましょう。

 現在の価格で1箱300円として

 1月に300円×30日=9000円

1年で108000円になります。

 50年吸うとして、約540万円になります。

 煙草を吸っている人をよく見かけます。車や自転車を乗りながら、そしてポイ捨て、喫煙は自分の健康問題だけではありません。

 地球環境や家族のことも考えて吸いたいものです。

 ついでに煙草についての民謡を2,3紹介してこの稿を閉じよう。

むつれくさ とぅりょうに  睦れ草をとって

むつれろに しりば     睦れようとすれば

えんぬねじ さらめ     縁がなくてだろう

むつれぐるさ        睦みにくい

わすれくさ とぅりょうに  忘れ草をとって

わすれろに しりば     忘れようとすれば

うまいまさり まさり    思いが勝って

わすれぐるしゃ       忘れられない

ゆなか みぬさみてぃ    夜中目が覚めて

にぶららぬ ゆるや     眠れない夜は

ちしり ひきゆしてぃ    煙管を引き寄せて

たばくぅみしょれ      煙草を召し上がれ

 奄美では煙草の別名を「思い草」「忘れ草」「睦れ草」等と称して男女の情を交わす手段であったり失恋や人生の憂さを晴らす手段として愛飲、嗜なんでいたことが伺えます。

 奄美でも日本でも江戸時代から喫煙、煙草栽培を厳しく禁じていたが、あまり守られなかったようだ。

 禁止の理由は

1 火災の可能性が大である。

2 本土では水田耕作地の減少、奄美では砂糖きび畑の減少ときび畑の手入れが疎かになる等が主な理由で、現在の健康上の理由は記録に見当たらない。
尼崎在住  富村 隆雄


   平成20年5月「上嘉鉄魂」第120号 掲載

ラベル:禁煙 富村 隆雄
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