2008年12月31日

お礼(喜界町上嘉鉄青年団長、広 清太団長の挨拶)平成12年9月




    上嘉鉄青年団長   広 清太

 初秋の頃、皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 先日の上嘉鉄盆踊りにおきましては、集落の皆様より励ましのお言葉とご支援ご協力を賜り、青年団一同、心より感謝申し上げます。

 皆様もご承知の通り上嘉鉄盆踊りは、我々青年団の最大のイベントであり、企画から準備運営まですべて青年団で行います。
 
 なにぶん若者で運営しているためご迷惑を掛けたり至らない点があったと思いますが。集落の皆様のご理解とご協力により上嘉鉄盆踊りが盛会のうちに終了することができました。

 我々青年団は、この盆踊りの目的は集落の先輩方の築きあげてきた伝統を守り、上嘉鉄集落の益々の発展に少しでも関わっていくことは勿論のことと思いますが、最大の目的は、青年団が楽しみ、祭りを盛り上げ、喜びを感じることと思っています。

 そうすることによって中高生の後輩が、

「青年団っておもしろそうだな」

「大人になったら青年団で頑張ろう」

 と思ってもらえれば、先輩方から受け継いだ上嘉鉄青年団の歴史は永遠に続いていくものと思います。

 盆踊りの運営や集落の行事に関わっていく中で集落の方から

「青年団チバリヨウ」

「ダンナーヌ ウランバ ナランドー」

と温かい声をかけていただいてもらい、我々も嬉しくなって大変励みになります。

 今後も上嘉鉄集落の発展のために少しでも関わっていけるよう頑張っていきますので先輩方のご指導ご協力をよろしくお願いします。



         平成12年9月 「上嘉鉄魂」第28号 掲載

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吉田先生の「与生を生きる」を読んで




 養護学校とは全く縁がない存在だとぼくは、常々思っていたが先生は、その秘境で多くの新鮮な実践を進め輝かしい業績を残したことに心から敬意を表します。
 
 これも先生のほんとにやさしい人徳の至らしめるところで、余生のあり方の根幹はすべて先生の崇高なボランティア精神のあらわれだと思うことでした。

 さらに奥様ゆかりさんの全面的な協力があったればこそ家計をあずかる主婦とし徹底した経済支援などでその内助の功、これまた大きなものだと思いました。

 鹿児島上嘉鉄会の結成。その初代会長としての先生の情熱と実践は
「言うは易く行うは難し」の通り先生のたゆまぬご努力を偲び先生の真摯な姿を想起することでした。

 また、鹿児島喜界会の副会長として奄美会に24回も出席しており形式的な役員でなく真心のこもった献身的ボランティア活動にこれまた頭が下がる思いでした。

 西陵テニスクラブの創設にあたって30代の青年のような活躍ぶりであり用地の折衝、そして鍬を振るい草を払い客土としてテニスコートに仕上げるなど人のため、がんばり抜く気骨は敬服の至りであります。

 退職後は、回りに目を向けず、ゆったりと自分に与えられた余生をのんびりとマイペースで送るのが並の生き方であろうが、先生の生き方は誠に意義深く凡人の真似のできないことだと言えましょう。

 特老松寿園でのボランティア、本当に身体の不自由なお年よりたちに愛の手をさしのべる姿は考えただけでもほほえましいものがあります。

 食事の介助も本人の残存機能面の回復といった視点に立った接し方であり実に理にかなっており介助ベテランの域だと思いました。

 また、廊下の壁の

   春過ぎて夏来にけらし白たえの

               衣ほすてふ天の香具山


 きっと若い学生時代を想起し感無量でしたためたに違いありません。

 シルバークラブで英語を楽しむ姿は英語音痴のぼくには真似のできないことだ。

 歓迎スピーチ。謝恩スピーチ等語学が完全に身についている姿であろう。しかし、それでも和英辞典を常にポケットにという態度は若い学徒が見習うべき姿だといえましょう。

 ホームスティ、並の奥様ではできないことだ。限られた年金生活でその経費はきっと家計に響いたことだと思う。

 歓迎パーティ・カラオケパーティ・タンゴのダンス等幅広い高尚な趣味はただ驚くばかりであります。

 テニスクラブの球友とのアメリカ旅行、余生の生き方ここにありと本当に羨ましい限りである。

 38組の同窓会の模様や現在の若者の生き方等の講演等示唆に富んだ結びであった。幅広い先生の豊かな人間性に改めて敬意を表しお礼といたします。

 ありがとうございました。

                  (盛山 末吉)



      平成15年 7月 「上嘉鉄魂」第62号  掲載

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喜界島(喜界町)上嘉鉄魂からのお知らせ

 便利になりました。ご利用ください。

■右サイドバーの上段にサイト内検索エンジンを設定しました。

 例えば、「上嘉鉄魂 第1号」と入力して検索をすると、新しいウインドウの

 一番先頭に、「上嘉鉄魂 第1号 発刊のことば」がヒットします。

どうぞご利用ください。


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2008年12月30日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の年中行事





 私たち上嘉鉄集落の昔からある主な行事を(現在消滅しているものもあります)を拾い上げてみました。

◎ 現在あり  ○ 消滅寸前  × 消滅

★注 1月行事は新暦です。2月以降は旧暦です。


 行事名称           実施日

◎元旦            1月1日

◎仕事初め祝い        1月2日

◎網祝い、敬老会       1月3日

◎7日雑炊          1月7日

×15日正月         1月15日

×20日正月(シク)     1月20日

○サンガサンチ        3月3日

×ソウイ           4月初の戌ツチノエの日

×ハマリー          4月初の甲子キノエネの日

○グワトゥグンチ       5月5日

×ハネー(ハラタミ)     6月初の庚(カノエ)の日

◎ルンガンドウ        6月18日、19日

○七夕祝い          7月7日

◎迎え盆           7月13日

◎中盆 盆踊り        7月14日

◎ウクンジャク        7月15日

◎おそ盆           7月16日

×ミヤクチウンミ       7月最後の壬ミズノエの日

×八十八歳祝い        8月8日

○シチウンミ         8月8日の丁ヒノトの日

×ワーワーニンビ       シチウンミからシバサシまで

○シバサシー         シチウンミから5日目

×シバヌイ(シチナンカビ)  シチウンミから7日目

◎8月ウンミ         8月18日

◎9月ウンミ         9月19日

◎ウヤンコウ         9月ウンミ後壬戌ミズノウイヌの日

×タネトリィ         フユウンミの前日

×フユウンミ         ウヤンコウ後庚カノエの日

×カナヤマ祝い        11月8日

◎トシンバン         12月31日(新暦)

◎墓参り           毎月の1日、15日

○正月 5月 9月は神月として家々で月祭りが行われる。

   二十三夜    二十八夜

正月準備

  オオバリ作り 豚屠殺 家の内外大掃除 餅つき 

  砂運び 松竹取り



   平成11年3月「上嘉鉄魂」第10号 掲載
 
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海風・山風「八月踊り」




     鹿児島市 高槻書房  代表 寺尾 政一郎

 かしゅて しゃんてん たがためなりゅり

 やまと いしゅぎりの たみゅどぅなゆる

 (難儀苦労して働いて、だれのためになることだろうか。薩摩(やまと)のちょんまげのためにしかなりませんよ)


 昨年の11月4日に、秋祭り「八月踊り」が開かれると聞き、喜界島は上嘉鉄に出かけていった。

 村を挙げての祭りは、近親者に不幸がない限り、集落全員が参加するそうである。

 また、この祭りに参加しないと1年中不幸がつきまとうという言い伝えがあるそうだ。

        ◇           ◇

 3時から開かれた「八月踊り」は、女性は和服姿に身をつつみ、男性は背広姿で正装していた。

 広場の中央に備え付けてある土俵の周りを島唄を歌いながら(最近は歌を歌える人が少なくなり、テープに頼るそうだが上嘉鉄では生の歌声が聞けた)女性陣が踊る。

 男性はというと、奥さんが作ってくれたご馳走を前に黒糖焼酎で一杯やりながら踊りを見物する。

 1時間くらいたったころだろうか。村の代表の方々が土俵に上がり参加者全員を起立させ、山にある村の鎮守に参拝をし次は海に向かい同じく参拝をした。

 1年間の五穀豊穣と家内安全を祈っての祈願だ。

 参拝がすむと、また踊りが始まる。そして子ども青年たちの相撲と続き踊りも最高潮に達する。

 最後はやはり六調踊りである。酔いの回った男性陣も一緒に踊り、夜更けまで続く。

 解散は各々儀式的な挨拶もなく踊りで始まり踊りで終わる。踊ることで憂さを晴らし、踊ることで未来の夢を紡ぐ。

         ◇          ◇

 奄美群島は悲劇の島だった。琉球や薩摩藩から家畜同然のように、ただ生きることのみを許され、圧制を余儀なくされた。

 そして冒頭の唄が生まれた。自然の脅威、台風にも苦しめられた。そこから生まれた踊りと唄。島独特の民族芸能の中に奄美の歴史の一端を見るような気がした。

 いつまでも伝え、残してほしい伝統である。

  (平成14年2月20日 西日本新聞コラム欄より)


  平成14年4月「上嘉鉄魂」第47号 掲載


★関連記事 系図差し出し令についてのページへ★
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スポーツを通して学んだこと





 第二中学校立志式で 榮 哲治氏が講演!

 去る2月4日に行われた立志式で上体協駅伝監督を務めて昨年はチームを20年ぶりの優勝に導いた榮 哲治氏の講演内容をまとめました。

@ 何のために練習するのか?

 ◆ 言葉では表現できない感動を味わう為。感動は自分の体験から味わう感動と他人の行動から受ける感動がある。

 相田みつをさんは、「人間を動かすのは難しい理論ではなく感動が人間を動かし、出会いが人間を変えていく」と言った。

 私はスポーツを通して感動を体験した。もちろん文化活動、ボランティア・・・どの分野でも感動は体験できる!

 感動したことの無い人は、他人の行動から感動を受けることもできない。

 また感動には涙がつきもの。涙を流せない人間はつまらない。

A「良書」との出会いも大事

 ◆ 人との出逢いには限度があるが、良書との出逢いは無限だ。まずは興味のある分野からの読書を勧めたい。

B 上嘉鉄はなぜこんなにも強いのか?

 ◆ 最大の理由は、中高生の活躍にある。

C 精神面のトレーニングに専念

 ◆ 技術面は前泊勝利、富田常仁両コーチに任せて私は精神面のトレーニングに徹した。

 何のために苦しい練習をするのか?例えばインターバルで200mを40秒で走らないと区間賞は取れないというように明確な目標を掲げて苦しい練習を続ければ結果は自然についてくることを教えてきた。

D 一流の選手とは?

 ◆ 三流の選手は・・・挑戦しない。「俺には無理だ」と諦める。二流の選手は・・・2,3日は挑戦するが自分を追い込まないで諦める。

 一流の選手はできなくても何回も挑戦する。ある日壁を乗り越えることができるようになる。

 「余力を残さず、自分を追い込む」練習を積み重ねていくと「火事場の馬鹿力」が発揮できる。

 編集を終えて・・・

※「上嘉鉄魂で生きている代表的人物」といわれる榮さん。子ども達にとっても身近な存在であるため、皆、身を乗り出すように聞き入っていたとのことでした。

 ありがとうございました。
                  (生島編集)



平成14年5月 「上嘉鉄魂」第48号 掲載

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ラベル:榮 哲治
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夜明け前の墓参り




 昨年の高祖祭り(うやんこう)は、12月25日であった。私は5時30分に起きて、我が家を6時に出て墓地前で待機した。6時30分一斉に墓参りした。

 6時30分は、暗くて人の顔が見えない。ウヤフジは起きているだろうかと思いながら懐中電灯でそれぞれ水をかえ、御神酒や供え物をした。

 墓地内は親族一同でごった返し、線香と御神酒を持って挨拶に回る。

 夜明け前の墓参り、島の人々は信心深いのだろうかと考えた。

 年間で墓参りするのは、お盆と高祖祭りと正月くらいで、生け花は枯れ果てて、造花で間に合わせているのが大半であった。

 鹿児島は特別であるが3日に1回、お年寄りは墓参りが日課という人もいる。花代が月に2000〜3000円もかかるとかいいます。

 シマは、信心とは関係なく、昔からの習慣を固く守り続けているのである。・・・・これがカテツ魂かも知れないと思った。

 12月25日のウヤンコウはカテツと川嶺だけだったとか。

 平成14年は、12月20日が日めくり暦では、ウヤンコウになりそうです。日の出は冬至の頃で7時15分頃であるので、懐中電灯持参の墓参りになる。

 ウヤンコウの墓参り時間は、明るくなってからゆっくりとし、かねての墓参りを多くしたほうが、ご先祖様も喜ぶし、墓地前を通る人も気持ちが良いと思うのであった。皆さんは、どうお思いですか?

 (俳句)
  冬黄聞く  赤より映ゆる  嘉鉄墓地

  群れめじろ シークー香りて 舞いおりぬ

  お歳暮や 里の香詰めし ゆうパック

               鹿児島在住  友岡 藤市郎


     平成14年6月 「上嘉鉄魂」第4号 掲載

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鹿児島上嘉鉄会便り

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 降り続く雨の朝、信号待ちをしていると堀越しに咲き誇るアジサイの彩りが、しばし心を和ませてくれます。アジサイの花はやはりこの時期に似合うようです。

 こんな時、梅雨明け宣言をして10日ほどたったふるさとではもう、蝉時雨の頃でしょうか。

 ところで毎月、ふるさと定期便「ハティトゥ魂」を届けていただき誠にありがとうございます。

 こちらの方では、その都度会員に配布いたしまして皆さんに喜んでいただいております。異郷の地にある者にとって、ふるさとの便りは何にも優る「元気薬」であり、「ビタミン愛」入りの清涼飲料水のようなものです。

 おかげさまで、知人友人にふるさとの話題を広げ、楽しい思い出をさせていただいております。関係諸氏のご苦労に敬意と感謝の念でいっぱいです。

 こちら鹿児島上嘉鉄会では、5月21日、湯の郷指宿「なのはな館」で定期総会を行い、平成12年度の予算審議や行事計画等について協議しました。

 久しぶりに顔を合わせるしまぬゅちゅが、

「ハゲーハゲー」の連発で肩を叩き、お互いの健康を確かめ合いました。その姿は、ふるさとを持つ人の心を癒し、気持ちの和む麗しい光景でした。

 「ふるさとのなまり懐かしい停車場の・・・」

と、著名な詩人が歌ったように温かいふるさとを思う人情は昔も今も変わらないものです。

 当日は、雲一つない五月晴れのもとで昼食、歓談を交わした後、グランドゴルフ大会、温泉入浴でリフレッシュ。

 フィナーレは濱平西枝さんと徳山朝子さんのリードによる八月踊りまでまさに「気分上昇、思いはすっかりハニクのウンミ」すがすがしい心地で定期総会の日程を閉じました。

 梅雨明けの待ち遠しい鹿児島上嘉鉄会

                  会長 喜岡 進


平成12年8月「上嘉鉄魂」第27号 掲載



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私の戦争体験

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 戦時中、東のウフムリ海岸で

           輸送船が撃沈された

 戦争を知らない人が、7〜8割りとなり、戦争を覚えている年代は、昭和14年生まれでしょうか?

 昭和20年の春(3月〜5月頃と思う)朝9時頃、米軍機が東の空から急降下して、島影に隠れるようにウフムリ沖を沖縄へ食糧を輸送中の民間の輸送船めがけて猛烈な機銃を浴びせた。

 しかし輸送船は反撃することも出来ず見事に撃沈されたのを目の当たりにした。

 乗組員はほとんどが遺体となって波打ち際に打ち上げられ消防団員?がウフムリ海岸で火葬したとか聞いています。

 何人かは救助あれ、上嘉鉄小学校に収容保護されたが、責任者(船長)は後日、自決したと聞いている。

 その時私は、6歳で飛行機や爆音、爆撃の模様などはかすかに覚えているがすべて確かではない。

 尊い命を落とした犠牲者の霊を慰め、ニ度と悲劇な戦争を繰り返さないことを誓う意味からも本来なら現場に「○○丸慰霊碑」を建立すべきだったのではないか。

 すでに56年も経過すれば、時すでに遅しでしょうか?

 この悲惨な輸送船沈没の事実を記録した(船名、年月日、犠牲者名簿等)目撃談、思い出を記録保存して21世紀へ語り継ぎたいものである。

 70歳以上の先輩の記憶の再現を期待するものである。

              鹿児島在住 友岡 藤市郎      

 追記

  ちょうどその日は朝から良い天気であり、米軍機は太陽を背に東の空から急降下して爆撃した。そら豆や麦が生い茂っている時節で爆音とともに私と祖父は、目と耳を両手の指で押さえて畑(シアキ)の溝に伏せたことを覚えている。

 ※このことについては「福岡永彦氏著、昭和33年発行『太平洋戦争と喜界島』70ページ」にある程度詳しく記載されている。

                     (編集室)




 
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東京上嘉鉄会からのお便り

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 連日暑い日が続いておりますが、その後お変わりなくお過ごしのことと思います。

 毎月「上嘉鉄魂」をご送付賜り、ありがとうございます。仕事に追われ、お礼も出せず、失礼申し上げます。

 遠隔地にいる者としては「上嘉鉄魂」によって上嘉鉄集落の動向を知ることができまして、本当にうれしく思っております。厚くお礼申し上げます。

 さて、先月7月6日には新宿の「三平」におきまして、年1回の「東京上嘉鉄会」が開催されました。

 27名の参加者を得まして盛会に執り行うことができました。その総会におきまして3万円を「上嘉鉄魂編集者」へご寄付をすることが承認されましたのでご連絡申し上げます。

 少額ですが、お役に立てていただければと存じます。

 ご賛同頂いた出席者並びに関東上嘉鉄会の名簿を同封いたしました。
(名簿略)

 東京も暑い日が続いております。酷暑の折柄、十分ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

                 敬具
 関東上嘉鉄会 会長 福永 永廣

        幹事長 森田 悦史


平成14年9月 「上嘉鉄魂」第52号 掲載



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喜界町(喜界島)上嘉鉄の方言、「アヤカリ」について




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 アヤカリ=国語の肖る(あやか・る)と同じ。ある物に触れ、また感じて揺れ動く、変化する、感化されて似る、物に感じてそれと同じになる意味。

 上嘉鉄では次のような例がある。

☆ 敬老会当日の挨拶に長寿者への祝福の言葉と同時に

 「ドウカ アヤカラチィ タボウリ」

 と挨拶するのに対して

 「アヤカリヨウ ナガイチィ シリヨウ」

 と言って長寿者からお酒と餅を戴いて「肖る」作法が今もある。とても美しい光景だ。

☆ 一時代前まで子どもが生まれると赤子の健康と幸せを念願して命名には一族の中の(特に祖父母・父母)健康で社会的地位のある人に肖らせようとその人の片名・偏名(方言でハタナー)を付ける慣わしがあった。

 子どもが成長し物心が付いたとき片名を戴いた人の名に恥じない人間になるよう努力させ、果報を得させようとの念願をこめて命名する慣わしがあった。

 昔の命名には、その時代時代の慣習と信仰に基づくものがあったようだが、そのことについては別の機会に譲ります。

 同じような発想は本土の師匠と弟子の間にも見受けられる。師匠が弟子に自分の所持品を与える風習も自分に「肖らせる」意味合いからと思う。

 与えられた弟子は有り難く感謝して修業に励む努力をし、終生その恩を忘れず、生涯を通して麗しい純日本的師弟関係が生まれたと思う。

                 (文責 西島)



        平成15年2月「上嘉鉄魂」第57号 掲載



 
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2008年12月29日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の諺



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ユワサ ドゥ マサ

飢し  ぞ  甘い

飢(やわし)  甘い・美い・旨い(うま)

 空腹になると何でも美味しい意味。

ヤワシ=古語の飢の転。 ドゥ=古語の「ぞ」の転。

マサ=旨いこと「ウ」脱落、国語の形容詞の語尾の「い」は方言では、ほとんど「サ」に変化する。

 現在は飽食の時代といわれるほど欲しい食べ物が自由に入る時代だが終戦直後は食べるものがなく餓死寸前の時代があったことは想像すら出来ない。

 当時は味の善し悪しなど問題ではなく、お腹がいっぱいになりさえすればよい、そんな時は何を食べても美味しい。味の善し悪しよりまず満腹をということの意味と思う。

                  (西島)



     平成16年2月「上嘉鉄魂」第69号 掲載



ラベル:上嘉鉄の諺
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喜界島(喜界町)上嘉鉄の方言(アンベー)塩梅について

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■ アンベー=塩梅の転、

 方言では「ばい」の連母音は「ベー」の長音に変化する特色があります。

 原義は次の通り。

1 食べ物の味加減を整える。

2 食物の調味に用いる。塩と梅酢の分量。

3 物事のほどあい、加減(古語辞典)とある。

 方言では原義の他に「らしい」「ようだ」の推量と「身体の調子具合」の意味が含まれている。

 語例

 アンベー ワッサ ニンボウリ=身体の具合が悪く寝ている。

 ヤッキー ヤメエヤ サーホン アンベーカ=兄さんの病はどんな具合か

 ハリルン アンベー=晴れるらしい 晴れのようだ

 ヰカ アンベー=よい頃合、よい具合

  アンを脱落させることも多い。

 上嘉鉄方言では、原義の食事の味加減にはあまり耳にしない。昔はあったと思う。  以下略

                   (西島記)



       平成14年10月 「上嘉鉄魂」第53号 掲載


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喜界町上嘉鉄の行事(シチャミ)

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■ シチャミ=初浴の意味?

 喜界独特の言語・行事で最近は衰退してあまり見聞きしない。戦争中までは子どものいる家は、必ずやっていた。この行事は子どもの成長を祈願するための行事、

 旧暦8月最初の丁(ひのと)の日に、男女7歳以下までの子どもと8歳抜いて9歳の子どものいる家では新米でご飯を炊き(正しくは赤飯)握り飯を頭上におき、すすきの葉に清水を浸し、それで子どもに振りかけながら次のように称える。

 男子には、

 「ウフサ フデーリヨウ フデーテ ユカリッチュ ナリヨウ」

 女子には、
 
 「オードー フデーリヨウ フデーティ ユカリッチュ トゥジナティ カフウ ナリヨウ」
 

 と称える

 以上で儀式は終わる。

 この行事は平安朝の戴餅(いただきもち)の行事とよく似ている。平安朝のその行事は、公家の間で、正月1日〜3日間、幼児の前途を祝福し、寿詞(長命を祈願する言葉)を称えて幼児の頭上に餅を戴かせる儀式。

 原則として男児7歳、女子5歳までに行われた。(広辞苑による)

 上嘉鉄の場合すすきの葉を丸く束ね、泉の中から数個の小石を拾い、やかんに清水を組み入れ家に持ち帰る。

 途中の広場(ハニク)でお握りを食べる。持ち帰った小石はみかんの木の股に差し込んでやかんの清水をかけながら

「スクスク フデーリヨ  ウフサ ミー ナラシヨウ」

と称える。すすきは家の門口に置いて魔除けにする。

                (文責 西島)




        平成14年9月 「上嘉鉄魂」 第52号 掲載
 
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上嘉鉄の八月踊り唄

 前回に続き元唄(14曲ある)を紹介します。

2 【ヤングラサー】
 元唄は対になっている。まず上の句は、

 はちがとぅや なるり、

 きりむぬーや ねーらぬ(ハレ)

 うとぅじゃかたばねぃーや

 からちたぼーり(ヤイグラサ、ヤイグラサヌ ヤーレコーレ)

 八月になるというのに、(踊りのための)着物は無い。
「お姉さん貸してください」

 続いて下の句は、

  うとぅじゃかたばねぃーや

  からしぶしゃ あしゅが(ハレ)

  わぬむ いちめーなてぃ

  からしならぬ(ヤイグラサ、ヤイグラサヌ ヤーレンコーレ)

「(姉の私も)貸してあげたいのだけれど、私も一枚しかないので貸すことができません」と唄っています。

 貧しかった昔の姉妹の会話が歌になっています。

   指導:上嘉鉄八月踊り唄保存会  校長 高橋 サダさん

             (文責 生島)



平成10年7月31日(金)「上嘉鉄魂」第4号

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ラベル:八月踊り唄
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上嘉鉄の夏の食事

 ヒチィウバイ=挽き(ひき)と椀飯(わうばん)の複合語、喜界島方言でご飯のことを「ウバイ」という。

「ウバイ」の語源は上代語で「椀飯(わうばん)」のことで「椀に盛った飯」の意味。更に中世になると「ご飯」というようになる。方言の「ウバイ」は「ワウバン」の転訛と思われる。

 ヒチィウバイは小麦または大麦を磨り臼(すりうす)で挽き潰したお湯の中に少しずつゆっくりいれる。

 小麦粉のお粥の感じ、畑地が多く、水田が少ない我が集落の大事な食事だった。昔は麦を大量に生産したが今は全く作らなくなった。

 ヒチィウバイは炊きたておかゆのような感じだが冷えるとやや固くなり、真夏の夏負けで食欲不振の時にユミスーと食べたあの味は忘れられない。それにお米を少々加えるとなお美味しい。

 ソウスの語源は古語の磨り臼(すりうす)スリウス→スウス→ス→ソウスと変化

ウトゥシイリ=落とし入れ

 幕末の奄美の記録(南島雑話)の食事の蘇鉄粥の項に「落とし入れ」の記録が数カ所に見える。

 ウトゥシイリはヒチィウバイに砂糖を入れて味付けしたおやつのこと。お盆の先祖のお供えには欠かせないおやつの一つ。




 沸騰したお湯の中に小麦粉と砂糖の粉末を徐々に上から落とし入れる、料理方法からでた言葉と思われる。

インニュミ=はったい粉のこと

 小麦粉をケーナビー(鍋の焼けた物、欠け鍋のこと)で炒って焦がし、ソウス(磨り臼 すりうす)で挽き潰し粉末にした物に砂糖を混ぜてそのまま食べる。

 語源は「イン=口に入れる」と「ニュミ=飲み込む」の複合語と考えられる。

 真夏の熱い昼下がり農作業に出かける前ガンマラーの固い葉ですくって食べる。そのうえ木陰の涼しい事も気分を爽快にさせてくれた。

                (文責 西島)

      ●協力者 生 禎蔵、盛 すみ子、安藤 梅本氏●


平成 13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載

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ヒラ・ハルについて

 琉球語で道の勾配を表すヒラ(坂)サカ(坂)トー(平坦地)には特色がある。

 急勾配の坂道があって、それを下から上に登るときは、ヒラ(山川ビラ)と呼び、同じ坂道でも上から下に降りるときは、サカと呼ぶ。

 その昔。山川ビラは急勾配であり素足で荷を負って登る苦しみを

 このひらのきつさ足骨(サブニ)のやむり

   特ちゅり玉子金 のり馬頼(た)んま


と歌っている。

 沖縄では小字のことをハルと言う。原はハルと読み、バル、ハラと変化する。ハルは一般的には畑・耕地のことであるが(喜界もその通りです)

 沖縄ではバル・バリという呼び方は小字名をさすことが多い。

 喜界の耕地名であるハル名はメーバル(前原)ウィーバル(上原)
ニシバル(西原)トゥバル(桃原)など多くあり、特に台地などの高い方をウィーバルという。

 兼久は砂を主とする沖積土壌の方言名であり、同様に海岸地帯の砂丘をなしている沖積地についてもカネクと呼ぶ。

 また、通俗的に馬走(は)らせの馬場であった。

 馬走(は)らち美(す)らさ 嘉鉄長兼久

 舟浮(う)きて  美らさ東(ひが)の港


と八月踊り唄に歌われている。

 ハルの中で最も有名なのが喜界島の湾桃原であろう。湾桃原は喜界一広い畑地で湾当原、湾遠原、湾頭原などの当て字を使っていた。

 琉球圏の中の喜界島も琉球語の本質からして広い台地を桃原と呼称すべきで湾桃原に統一してほしいものである。

                盛山 末吉



         平成13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載



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2008年12月28日

上嘉鉄ユミタ

 数年前、関西大学の某教授が上嘉鉄方言の調査に来島された時、小生が案内及び世話を努めた時のこと、

 老婆が次のように話をなされた。

 私が結婚してまもなく

 「ウーダク ヌ ヤーカチ ユミ ナレンカラ マ アッカイー

  シラン クトゥ ヌ ナリンニャ」


 と姑に言われたとの話を聞いて私は「ウーダク」の意味が分からなかった。

 友人に聞いたら資産家のことだと教えてくれた記憶がある。

 当初私は「ウーダク」は「大楽」が語源と思い、資産家に嫁にいけば、何もしないで楽して食べていける意味ではないかと思った。

 然し、姑の言葉を良く考えてみれば私の解釈は当たらない。

 姑の言葉の意味は次のようになる。

「ウーダクの家にきてから、馬が扱えないということが言えるものか」

 といい、姑は「馬ぐらいは女でも扱えるようになれ、でないとこの財産を維持することは不可能だよ」と言っている。

 私が当初考えていた「大楽」どころではない。姑の嫁に対する躾の厳しさが伺える。

 ウー=ウフの略で上代語の「大きい」意味

 ダク=上代語で抱く(うだく・むだく・いだく)

 財産をたくさん持っている「土地・畑を沢山抱いている」ことと解釈すれば姑の言葉の意味が通じる。

 資産家に嫁ぐことは若い娘の憧れでもあっただろうが、それ相当の覚悟も必要であった。

 昔の風潮を知る思いがする。財産を守り増やすためには親は嫁も子どもも甘やかさない一昔前の厳しさを感じた。

          (文責 西島)


      平成13年9月 「上嘉鉄魂」第40号 掲載

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颱風(暴風)

 颱風21号は、あまり大きくなく大きな被害は無いと思っていたが、翌日、野原に出てみたら農作物の塩害が大きく順調に成長していたのが無惨にも一面赤茶けている光景に胸が痛み驚いた。

 江戸時代の私たちの先祖は自給自足の経済生活で貨幣の使用を禁じられ、貿易、商業活動も禁じられていた。

 当時の祖先は颱風による農作物の被害に食料はどのようにして確保しただろうか。

 幕末(1805年)大島代官として赴任した本田孫九郎氏が代官在任中に書いた「大島私考」につぎのような記事がある。

 「1年の食に於けるや夏秋台風一度吹いて、土民困窮し、二度吹いて妻子が離散(身売り)する。三度吹いて飢饉、餓死者が出、廃村となる飢寒の苦しみから免れることは難しい」

 とあり。

 更に喜界島代官記には次のような記事もある。

 「文政9年(1826年)近頃、例を見ない大凶年、春から夏にかけて鹿児島からの引き合い米(年貢を納めて残りの砂糖を藩が全部買いあげて代わりに藩から米を支給する)

  船は僅か三隻、入梅になっても雨は一滴も降らず、餓死寸前に引き合い米積船三隻ようやく5月27日入船し、かろうじて餓死を免れた。

 文政以前に廃村になった集落が19あり、身売り人が多くその分の年貢800石あまりは免除してほしいとの申請をした」

 これらの記事は目もあてられない悲惨そのものだ。徳之島前禄帳や大島代官記にはもっと詳しい記録があるが省略する。

 火事の災害やその他の災害は、1戸乃至数戸で済み皆で助けあうこともできるが、台風の災害は全島あるいは奄美全域に及び互いに助け合う事も不可能、しかも集落全員が餓死に繋がった。

 昔の先祖たちは台風から家を守るためシバナから石を拾い集めて屋敷の回りに高い石垣を積み更にガンマラーを植え、畑の周辺には蘇鉄を植えて台風の被害から農作物を守った。

 それは男の生涯の仕事として長年に渡り子孫のために汗を流し築いた貴重な遺産だが、戦後はいろいろな理由により跡形もなく消えつつあり寂しい感じもし、またそれが世の中の進歩の証だと思ったりもする。

                (文責 西島)


平成13年11月 「上嘉鉄魂」第42号 掲載

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中国の思い出

                 第二中学校1年 友岡 悠輔

 鹿児島県から、16市町村参加している「海外触れ合い事業〜中国交流コース」に喜界町も参加していた。
 
僕は、前から、この事業に参加しようと思っていた。それは、僕のクラスに、この事業に参加した友人が二人もいたからだ。浜上栄治君と栄智奈美さんだ。僕は、この二人から中国の話をいろいろ聞かされていた。しかし、一人で参加するのは、一寸不安なので、2年生の喜浦直希兄さんも誘って応募した。

 すると二人ともチームメンバーに選ばれた。その時分かったのが青年として大友勝仁兄さんも選ばれたということだ。このことを知ってとても気持ちが楽になった。というのは、勝仁兄さんは、英検準1級を持っていると聞いていたからだ。
 
 チーム構成は、チームリーダー1名、青年1名、高校生1名、中学生2名、小学生2名からなる7人だ。この7人で3〜4回チーム別事前研修をしたあと、鹿児島で班別研修をし、一泊して中国へ渡った。
 
 7月31日、この日は、上海雑伎団を見学した。これはかなり目に焼き付いた。ハラハラドキドキの連続だった。「舞台の上では、3分間、舞台の下では、3年間」という格言があるほどに、努力に努力を重ねて、あの舞台に臨んでいるのである。
 
 8月1日 蘇州市に移動。
 蘇州というところは、「天に極楽有れば、地に蘇州・杭州あり」とうたわれるほどの景勝地。市内を200本もの水路が走る。この日は、全体交流会、年代別交流会、交換パーティーをした。いずれも地元の中学生と話すことができた。驚いたことは、日本の中学生以上に英語が上手ということだった。
 
 8月2日、この日程緊張した日はなかった。ホームスティをする日だった。ホームスティ先の村は、農創村という。小さな村だった農創村では、主に米、搾油作物を生産している。村の人々は僕たちを温かく迎えてくれた。
 
 しかし、そこの生活は、日本の生活と大きく違っていた。まず、家に土足で入る、家は上嘉鉄の住宅のように長屋みたいな感じだった。僕が泊まったところは、「王柏根」さんのお家だった。外に出てみると、どちらが川上か、分からない川で、体を洗い、洗濯をし、食べ物を洗っていた。想いも寄らない光景だった。しかし、夕食はとてもおいしかった。 

 ホームスティ先の2階は、日本とごく似ていた。靴をぬいで上がり、板張りの部屋にベッドがあり、クーラー、テレビもついており、とても快適な寝心地だった。
 
 8月3日、とうとう中国を立つ日がやってきた。午前中は買い物をして、午後から乗船した。丸1日は船中ですごした。
 8月4日、川内港が見えたときは、ほっとした。川内港で解散式をして、鹿児島で1泊した。
 
 この研修で友だちをたくさん作ることができ、研修に参加してとても良かった。僕がこの研修に参加できたのは、学校、地域、家族の人々が協力してくれたからだ。このことを忘れずに頑張っていきたい。
 
 僕がこの文を通して、伝えることができたのは、ほんの少しのことだと思う。「百聞は一見にしかず」皆さんも、この事業に参加しよう。きっと心の変化があるはずです。


「上嘉鉄魂 平成14年10月 53号より 掲載」

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2008年12月31日

お礼(喜界町上嘉鉄青年団長、広 清太団長の挨拶)平成12年9月




    上嘉鉄青年団長   広 清太

 初秋の頃、皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 先日の上嘉鉄盆踊りにおきましては、集落の皆様より励ましのお言葉とご支援ご協力を賜り、青年団一同、心より感謝申し上げます。

 皆様もご承知の通り上嘉鉄盆踊りは、我々青年団の最大のイベントであり、企画から準備運営まですべて青年団で行います。
 
 なにぶん若者で運営しているためご迷惑を掛けたり至らない点があったと思いますが。集落の皆様のご理解とご協力により上嘉鉄盆踊りが盛会のうちに終了することができました。

 我々青年団は、この盆踊りの目的は集落の先輩方の築きあげてきた伝統を守り、上嘉鉄集落の益々の発展に少しでも関わっていくことは勿論のことと思いますが、最大の目的は、青年団が楽しみ、祭りを盛り上げ、喜びを感じることと思っています。

 そうすることによって中高生の後輩が、

「青年団っておもしろそうだな」

「大人になったら青年団で頑張ろう」

 と思ってもらえれば、先輩方から受け継いだ上嘉鉄青年団の歴史は永遠に続いていくものと思います。

 盆踊りの運営や集落の行事に関わっていく中で集落の方から

「青年団チバリヨウ」

「ダンナーヌ ウランバ ナランドー」

と温かい声をかけていただいてもらい、我々も嬉しくなって大変励みになります。

 今後も上嘉鉄集落の発展のために少しでも関わっていけるよう頑張っていきますので先輩方のご指導ご協力をよろしくお願いします。



         平成12年9月 「上嘉鉄魂」第28号 掲載

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吉田先生の「与生を生きる」を読んで




 養護学校とは全く縁がない存在だとぼくは、常々思っていたが先生は、その秘境で多くの新鮮な実践を進め輝かしい業績を残したことに心から敬意を表します。
 
 これも先生のほんとにやさしい人徳の至らしめるところで、余生のあり方の根幹はすべて先生の崇高なボランティア精神のあらわれだと思うことでした。

 さらに奥様ゆかりさんの全面的な協力があったればこそ家計をあずかる主婦とし徹底した経済支援などでその内助の功、これまた大きなものだと思いました。

 鹿児島上嘉鉄会の結成。その初代会長としての先生の情熱と実践は
「言うは易く行うは難し」の通り先生のたゆまぬご努力を偲び先生の真摯な姿を想起することでした。

 また、鹿児島喜界会の副会長として奄美会に24回も出席しており形式的な役員でなく真心のこもった献身的ボランティア活動にこれまた頭が下がる思いでした。

 西陵テニスクラブの創設にあたって30代の青年のような活躍ぶりであり用地の折衝、そして鍬を振るい草を払い客土としてテニスコートに仕上げるなど人のため、がんばり抜く気骨は敬服の至りであります。

 退職後は、回りに目を向けず、ゆったりと自分に与えられた余生をのんびりとマイペースで送るのが並の生き方であろうが、先生の生き方は誠に意義深く凡人の真似のできないことだと言えましょう。

 特老松寿園でのボランティア、本当に身体の不自由なお年よりたちに愛の手をさしのべる姿は考えただけでもほほえましいものがあります。

 食事の介助も本人の残存機能面の回復といった視点に立った接し方であり実に理にかなっており介助ベテランの域だと思いました。

 また、廊下の壁の

   春過ぎて夏来にけらし白たえの

               衣ほすてふ天の香具山


 きっと若い学生時代を想起し感無量でしたためたに違いありません。

 シルバークラブで英語を楽しむ姿は英語音痴のぼくには真似のできないことだ。

 歓迎スピーチ。謝恩スピーチ等語学が完全に身についている姿であろう。しかし、それでも和英辞典を常にポケットにという態度は若い学徒が見習うべき姿だといえましょう。

 ホームスティ、並の奥様ではできないことだ。限られた年金生活でその経費はきっと家計に響いたことだと思う。

 歓迎パーティ・カラオケパーティ・タンゴのダンス等幅広い高尚な趣味はただ驚くばかりであります。

 テニスクラブの球友とのアメリカ旅行、余生の生き方ここにありと本当に羨ましい限りである。

 38組の同窓会の模様や現在の若者の生き方等の講演等示唆に富んだ結びであった。幅広い先生の豊かな人間性に改めて敬意を表しお礼といたします。

 ありがとうございました。

                  (盛山 末吉)



      平成15年 7月 「上嘉鉄魂」第62号  掲載

  ここまでお読みくださり、ありがとうございます。喜界島に関するサイトです。

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ラベル:養護学校
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喜界島(喜界町)上嘉鉄魂からのお知らせ

 便利になりました。ご利用ください。

■右サイドバーの上段にサイト内検索エンジンを設定しました。

 例えば、「上嘉鉄魂 第1号」と入力して検索をすると、新しいウインドウの

 一番先頭に、「上嘉鉄魂 第1号 発刊のことば」がヒットします。

どうぞご利用ください。


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2008年12月30日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の年中行事





 私たち上嘉鉄集落の昔からある主な行事を(現在消滅しているものもあります)を拾い上げてみました。

◎ 現在あり  ○ 消滅寸前  × 消滅

★注 1月行事は新暦です。2月以降は旧暦です。


 行事名称           実施日

◎元旦            1月1日

◎仕事初め祝い        1月2日

◎網祝い、敬老会       1月3日

◎7日雑炊          1月7日

×15日正月         1月15日

×20日正月(シク)     1月20日

○サンガサンチ        3月3日

×ソウイ           4月初の戌ツチノエの日

×ハマリー          4月初の甲子キノエネの日

○グワトゥグンチ       5月5日

×ハネー(ハラタミ)     6月初の庚(カノエ)の日

◎ルンガンドウ        6月18日、19日

○七夕祝い          7月7日

◎迎え盆           7月13日

◎中盆 盆踊り        7月14日

◎ウクンジャク        7月15日

◎おそ盆           7月16日

×ミヤクチウンミ       7月最後の壬ミズノエの日

×八十八歳祝い        8月8日

○シチウンミ         8月8日の丁ヒノトの日

×ワーワーニンビ       シチウンミからシバサシまで

○シバサシー         シチウンミから5日目

×シバヌイ(シチナンカビ)  シチウンミから7日目

◎8月ウンミ         8月18日

◎9月ウンミ         9月19日

◎ウヤンコウ         9月ウンミ後壬戌ミズノウイヌの日

×タネトリィ         フユウンミの前日

×フユウンミ         ウヤンコウ後庚カノエの日

×カナヤマ祝い        11月8日

◎トシンバン         12月31日(新暦)

◎墓参り           毎月の1日、15日

○正月 5月 9月は神月として家々で月祭りが行われる。

   二十三夜    二十八夜

正月準備

  オオバリ作り 豚屠殺 家の内外大掃除 餅つき 

  砂運び 松竹取り



   平成11年3月「上嘉鉄魂」第10号 掲載
 
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海風・山風「八月踊り」




     鹿児島市 高槻書房  代表 寺尾 政一郎

 かしゅて しゃんてん たがためなりゅり

 やまと いしゅぎりの たみゅどぅなゆる

 (難儀苦労して働いて、だれのためになることだろうか。薩摩(やまと)のちょんまげのためにしかなりませんよ)


 昨年の11月4日に、秋祭り「八月踊り」が開かれると聞き、喜界島は上嘉鉄に出かけていった。

 村を挙げての祭りは、近親者に不幸がない限り、集落全員が参加するそうである。

 また、この祭りに参加しないと1年中不幸がつきまとうという言い伝えがあるそうだ。

        ◇           ◇

 3時から開かれた「八月踊り」は、女性は和服姿に身をつつみ、男性は背広姿で正装していた。

 広場の中央に備え付けてある土俵の周りを島唄を歌いながら(最近は歌を歌える人が少なくなり、テープに頼るそうだが上嘉鉄では生の歌声が聞けた)女性陣が踊る。

 男性はというと、奥さんが作ってくれたご馳走を前に黒糖焼酎で一杯やりながら踊りを見物する。

 1時間くらいたったころだろうか。村の代表の方々が土俵に上がり参加者全員を起立させ、山にある村の鎮守に参拝をし次は海に向かい同じく参拝をした。

 1年間の五穀豊穣と家内安全を祈っての祈願だ。

 参拝がすむと、また踊りが始まる。そして子ども青年たちの相撲と続き踊りも最高潮に達する。

 最後はやはり六調踊りである。酔いの回った男性陣も一緒に踊り、夜更けまで続く。

 解散は各々儀式的な挨拶もなく踊りで始まり踊りで終わる。踊ることで憂さを晴らし、踊ることで未来の夢を紡ぐ。

         ◇          ◇

 奄美群島は悲劇の島だった。琉球や薩摩藩から家畜同然のように、ただ生きることのみを許され、圧制を余儀なくされた。

 そして冒頭の唄が生まれた。自然の脅威、台風にも苦しめられた。そこから生まれた踊りと唄。島独特の民族芸能の中に奄美の歴史の一端を見るような気がした。

 いつまでも伝え、残してほしい伝統である。

  (平成14年2月20日 西日本新聞コラム欄より)


  平成14年4月「上嘉鉄魂」第47号 掲載


★関連記事 系図差し出し令についてのページへ★
           ↓  
http://hathitudamashiee.seesaa.net/article/111658545.html
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スポーツを通して学んだこと





 第二中学校立志式で 榮 哲治氏が講演!

 去る2月4日に行われた立志式で上体協駅伝監督を務めて昨年はチームを20年ぶりの優勝に導いた榮 哲治氏の講演内容をまとめました。

@ 何のために練習するのか?

 ◆ 言葉では表現できない感動を味わう為。感動は自分の体験から味わう感動と他人の行動から受ける感動がある。

 相田みつをさんは、「人間を動かすのは難しい理論ではなく感動が人間を動かし、出会いが人間を変えていく」と言った。

 私はスポーツを通して感動を体験した。もちろん文化活動、ボランティア・・・どの分野でも感動は体験できる!

 感動したことの無い人は、他人の行動から感動を受けることもできない。

 また感動には涙がつきもの。涙を流せない人間はつまらない。

A「良書」との出会いも大事

 ◆ 人との出逢いには限度があるが、良書との出逢いは無限だ。まずは興味のある分野からの読書を勧めたい。

B 上嘉鉄はなぜこんなにも強いのか?

 ◆ 最大の理由は、中高生の活躍にある。

C 精神面のトレーニングに専念

 ◆ 技術面は前泊勝利、富田常仁両コーチに任せて私は精神面のトレーニングに徹した。

 何のために苦しい練習をするのか?例えばインターバルで200mを40秒で走らないと区間賞は取れないというように明確な目標を掲げて苦しい練習を続ければ結果は自然についてくることを教えてきた。

D 一流の選手とは?

 ◆ 三流の選手は・・・挑戦しない。「俺には無理だ」と諦める。二流の選手は・・・2,3日は挑戦するが自分を追い込まないで諦める。

 一流の選手はできなくても何回も挑戦する。ある日壁を乗り越えることができるようになる。

 「余力を残さず、自分を追い込む」練習を積み重ねていくと「火事場の馬鹿力」が発揮できる。

 編集を終えて・・・

※「上嘉鉄魂で生きている代表的人物」といわれる榮さん。子ども達にとっても身近な存在であるため、皆、身を乗り出すように聞き入っていたとのことでした。

 ありがとうございました。
                  (生島編集)



平成14年5月 「上嘉鉄魂」第48号 掲載

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ラベル:榮 哲治
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夜明け前の墓参り




 昨年の高祖祭り(うやんこう)は、12月25日であった。私は5時30分に起きて、我が家を6時に出て墓地前で待機した。6時30分一斉に墓参りした。

 6時30分は、暗くて人の顔が見えない。ウヤフジは起きているだろうかと思いながら懐中電灯でそれぞれ水をかえ、御神酒や供え物をした。

 墓地内は親族一同でごった返し、線香と御神酒を持って挨拶に回る。

 夜明け前の墓参り、島の人々は信心深いのだろうかと考えた。

 年間で墓参りするのは、お盆と高祖祭りと正月くらいで、生け花は枯れ果てて、造花で間に合わせているのが大半であった。

 鹿児島は特別であるが3日に1回、お年寄りは墓参りが日課という人もいる。花代が月に2000〜3000円もかかるとかいいます。

 シマは、信心とは関係なく、昔からの習慣を固く守り続けているのである。・・・・これがカテツ魂かも知れないと思った。

 12月25日のウヤンコウはカテツと川嶺だけだったとか。

 平成14年は、12月20日が日めくり暦では、ウヤンコウになりそうです。日の出は冬至の頃で7時15分頃であるので、懐中電灯持参の墓参りになる。

 ウヤンコウの墓参り時間は、明るくなってからゆっくりとし、かねての墓参りを多くしたほうが、ご先祖様も喜ぶし、墓地前を通る人も気持ちが良いと思うのであった。皆さんは、どうお思いですか?

 (俳句)
  冬黄聞く  赤より映ゆる  嘉鉄墓地

  群れめじろ シークー香りて 舞いおりぬ

  お歳暮や 里の香詰めし ゆうパック

               鹿児島在住  友岡 藤市郎


     平成14年6月 「上嘉鉄魂」第4号 掲載

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鹿児島上嘉鉄会便り

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 降り続く雨の朝、信号待ちをしていると堀越しに咲き誇るアジサイの彩りが、しばし心を和ませてくれます。アジサイの花はやはりこの時期に似合うようです。

 こんな時、梅雨明け宣言をして10日ほどたったふるさとではもう、蝉時雨の頃でしょうか。

 ところで毎月、ふるさと定期便「ハティトゥ魂」を届けていただき誠にありがとうございます。

 こちらの方では、その都度会員に配布いたしまして皆さんに喜んでいただいております。異郷の地にある者にとって、ふるさとの便りは何にも優る「元気薬」であり、「ビタミン愛」入りの清涼飲料水のようなものです。

 おかげさまで、知人友人にふるさとの話題を広げ、楽しい思い出をさせていただいております。関係諸氏のご苦労に敬意と感謝の念でいっぱいです。

 こちら鹿児島上嘉鉄会では、5月21日、湯の郷指宿「なのはな館」で定期総会を行い、平成12年度の予算審議や行事計画等について協議しました。

 久しぶりに顔を合わせるしまぬゅちゅが、

「ハゲーハゲー」の連発で肩を叩き、お互いの健康を確かめ合いました。その姿は、ふるさとを持つ人の心を癒し、気持ちの和む麗しい光景でした。

 「ふるさとのなまり懐かしい停車場の・・・」

と、著名な詩人が歌ったように温かいふるさとを思う人情は昔も今も変わらないものです。

 当日は、雲一つない五月晴れのもとで昼食、歓談を交わした後、グランドゴルフ大会、温泉入浴でリフレッシュ。

 フィナーレは濱平西枝さんと徳山朝子さんのリードによる八月踊りまでまさに「気分上昇、思いはすっかりハニクのウンミ」すがすがしい心地で定期総会の日程を閉じました。

 梅雨明けの待ち遠しい鹿児島上嘉鉄会

                  会長 喜岡 進


平成12年8月「上嘉鉄魂」第27号 掲載



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私の戦争体験

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 戦時中、東のウフムリ海岸で

           輸送船が撃沈された

 戦争を知らない人が、7〜8割りとなり、戦争を覚えている年代は、昭和14年生まれでしょうか?

 昭和20年の春(3月〜5月頃と思う)朝9時頃、米軍機が東の空から急降下して、島影に隠れるようにウフムリ沖を沖縄へ食糧を輸送中の民間の輸送船めがけて猛烈な機銃を浴びせた。

 しかし輸送船は反撃することも出来ず見事に撃沈されたのを目の当たりにした。

 乗組員はほとんどが遺体となって波打ち際に打ち上げられ消防団員?がウフムリ海岸で火葬したとか聞いています。

 何人かは救助あれ、上嘉鉄小学校に収容保護されたが、責任者(船長)は後日、自決したと聞いている。

 その時私は、6歳で飛行機や爆音、爆撃の模様などはかすかに覚えているがすべて確かではない。

 尊い命を落とした犠牲者の霊を慰め、ニ度と悲劇な戦争を繰り返さないことを誓う意味からも本来なら現場に「○○丸慰霊碑」を建立すべきだったのではないか。

 すでに56年も経過すれば、時すでに遅しでしょうか?

 この悲惨な輸送船沈没の事実を記録した(船名、年月日、犠牲者名簿等)目撃談、思い出を記録保存して21世紀へ語り継ぎたいものである。

 70歳以上の先輩の記憶の再現を期待するものである。

              鹿児島在住 友岡 藤市郎      

 追記

  ちょうどその日は朝から良い天気であり、米軍機は太陽を背に東の空から急降下して爆撃した。そら豆や麦が生い茂っている時節で爆音とともに私と祖父は、目と耳を両手の指で押さえて畑(シアキ)の溝に伏せたことを覚えている。

 ※このことについては「福岡永彦氏著、昭和33年発行『太平洋戦争と喜界島』70ページ」にある程度詳しく記載されている。

                     (編集室)




 
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東京上嘉鉄会からのお便り

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 連日暑い日が続いておりますが、その後お変わりなくお過ごしのことと思います。

 毎月「上嘉鉄魂」をご送付賜り、ありがとうございます。仕事に追われ、お礼も出せず、失礼申し上げます。

 遠隔地にいる者としては「上嘉鉄魂」によって上嘉鉄集落の動向を知ることができまして、本当にうれしく思っております。厚くお礼申し上げます。

 さて、先月7月6日には新宿の「三平」におきまして、年1回の「東京上嘉鉄会」が開催されました。

 27名の参加者を得まして盛会に執り行うことができました。その総会におきまして3万円を「上嘉鉄魂編集者」へご寄付をすることが承認されましたのでご連絡申し上げます。

 少額ですが、お役に立てていただければと存じます。

 ご賛同頂いた出席者並びに関東上嘉鉄会の名簿を同封いたしました。
(名簿略)

 東京も暑い日が続いております。酷暑の折柄、十分ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

                 敬具
 関東上嘉鉄会 会長 福永 永廣

        幹事長 森田 悦史


平成14年9月 「上嘉鉄魂」第52号 掲載



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喜界町(喜界島)上嘉鉄の方言、「アヤカリ」について




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 アヤカリ=国語の肖る(あやか・る)と同じ。ある物に触れ、また感じて揺れ動く、変化する、感化されて似る、物に感じてそれと同じになる意味。

 上嘉鉄では次のような例がある。

☆ 敬老会当日の挨拶に長寿者への祝福の言葉と同時に

 「ドウカ アヤカラチィ タボウリ」

 と挨拶するのに対して

 「アヤカリヨウ ナガイチィ シリヨウ」

 と言って長寿者からお酒と餅を戴いて「肖る」作法が今もある。とても美しい光景だ。

☆ 一時代前まで子どもが生まれると赤子の健康と幸せを念願して命名には一族の中の(特に祖父母・父母)健康で社会的地位のある人に肖らせようとその人の片名・偏名(方言でハタナー)を付ける慣わしがあった。

 子どもが成長し物心が付いたとき片名を戴いた人の名に恥じない人間になるよう努力させ、果報を得させようとの念願をこめて命名する慣わしがあった。

 昔の命名には、その時代時代の慣習と信仰に基づくものがあったようだが、そのことについては別の機会に譲ります。

 同じような発想は本土の師匠と弟子の間にも見受けられる。師匠が弟子に自分の所持品を与える風習も自分に「肖らせる」意味合いからと思う。

 与えられた弟子は有り難く感謝して修業に励む努力をし、終生その恩を忘れず、生涯を通して麗しい純日本的師弟関係が生まれたと思う。

                 (文責 西島)



        平成15年2月「上嘉鉄魂」第57号 掲載



 
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2008年12月29日

喜界島(喜界町)上嘉鉄の諺



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ユワサ ドゥ マサ

飢し  ぞ  甘い

飢(やわし)  甘い・美い・旨い(うま)

 空腹になると何でも美味しい意味。

ヤワシ=古語の飢の転。 ドゥ=古語の「ぞ」の転。

マサ=旨いこと「ウ」脱落、国語の形容詞の語尾の「い」は方言では、ほとんど「サ」に変化する。

 現在は飽食の時代といわれるほど欲しい食べ物が自由に入る時代だが終戦直後は食べるものがなく餓死寸前の時代があったことは想像すら出来ない。

 当時は味の善し悪しなど問題ではなく、お腹がいっぱいになりさえすればよい、そんな時は何を食べても美味しい。味の善し悪しよりまず満腹をということの意味と思う。

                  (西島)



     平成16年2月「上嘉鉄魂」第69号 掲載



ラベル:上嘉鉄の諺
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喜界島(喜界町)上嘉鉄の方言(アンベー)塩梅について

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■ アンベー=塩梅の転、

 方言では「ばい」の連母音は「ベー」の長音に変化する特色があります。

 原義は次の通り。

1 食べ物の味加減を整える。

2 食物の調味に用いる。塩と梅酢の分量。

3 物事のほどあい、加減(古語辞典)とある。

 方言では原義の他に「らしい」「ようだ」の推量と「身体の調子具合」の意味が含まれている。

 語例

 アンベー ワッサ ニンボウリ=身体の具合が悪く寝ている。

 ヤッキー ヤメエヤ サーホン アンベーカ=兄さんの病はどんな具合か

 ハリルン アンベー=晴れるらしい 晴れのようだ

 ヰカ アンベー=よい頃合、よい具合

  アンを脱落させることも多い。

 上嘉鉄方言では、原義の食事の味加減にはあまり耳にしない。昔はあったと思う。  以下略

                   (西島記)



       平成14年10月 「上嘉鉄魂」第53号 掲載


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喜界町上嘉鉄の行事(シチャミ)

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■ シチャミ=初浴の意味?

 喜界独特の言語・行事で最近は衰退してあまり見聞きしない。戦争中までは子どものいる家は、必ずやっていた。この行事は子どもの成長を祈願するための行事、

 旧暦8月最初の丁(ひのと)の日に、男女7歳以下までの子どもと8歳抜いて9歳の子どものいる家では新米でご飯を炊き(正しくは赤飯)握り飯を頭上におき、すすきの葉に清水を浸し、それで子どもに振りかけながら次のように称える。

 男子には、

 「ウフサ フデーリヨウ フデーテ ユカリッチュ ナリヨウ」

 女子には、
 
 「オードー フデーリヨウ フデーティ ユカリッチュ トゥジナティ カフウ ナリヨウ」
 

 と称える

 以上で儀式は終わる。

 この行事は平安朝の戴餅(いただきもち)の行事とよく似ている。平安朝のその行事は、公家の間で、正月1日〜3日間、幼児の前途を祝福し、寿詞(長命を祈願する言葉)を称えて幼児の頭上に餅を戴かせる儀式。

 原則として男児7歳、女子5歳までに行われた。(広辞苑による)

 上嘉鉄の場合すすきの葉を丸く束ね、泉の中から数個の小石を拾い、やかんに清水を組み入れ家に持ち帰る。

 途中の広場(ハニク)でお握りを食べる。持ち帰った小石はみかんの木の股に差し込んでやかんの清水をかけながら

「スクスク フデーリヨ  ウフサ ミー ナラシヨウ」

と称える。すすきは家の門口に置いて魔除けにする。

                (文責 西島)




        平成14年9月 「上嘉鉄魂」 第52号 掲載
 
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上嘉鉄の八月踊り唄

 前回に続き元唄(14曲ある)を紹介します。

2 【ヤングラサー】
 元唄は対になっている。まず上の句は、

 はちがとぅや なるり、

 きりむぬーや ねーらぬ(ハレ)

 うとぅじゃかたばねぃーや

 からちたぼーり(ヤイグラサ、ヤイグラサヌ ヤーレコーレ)

 八月になるというのに、(踊りのための)着物は無い。
「お姉さん貸してください」

 続いて下の句は、

  うとぅじゃかたばねぃーや

  からしぶしゃ あしゅが(ハレ)

  わぬむ いちめーなてぃ

  からしならぬ(ヤイグラサ、ヤイグラサヌ ヤーレンコーレ)

「(姉の私も)貸してあげたいのだけれど、私も一枚しかないので貸すことができません」と唄っています。

 貧しかった昔の姉妹の会話が歌になっています。

   指導:上嘉鉄八月踊り唄保存会  校長 高橋 サダさん

             (文責 生島)



平成10年7月31日(金)「上嘉鉄魂」第4号

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上嘉鉄の夏の食事

 ヒチィウバイ=挽き(ひき)と椀飯(わうばん)の複合語、喜界島方言でご飯のことを「ウバイ」という。

「ウバイ」の語源は上代語で「椀飯(わうばん)」のことで「椀に盛った飯」の意味。更に中世になると「ご飯」というようになる。方言の「ウバイ」は「ワウバン」の転訛と思われる。

 ヒチィウバイは小麦または大麦を磨り臼(すりうす)で挽き潰したお湯の中に少しずつゆっくりいれる。

 小麦粉のお粥の感じ、畑地が多く、水田が少ない我が集落の大事な食事だった。昔は麦を大量に生産したが今は全く作らなくなった。

 ヒチィウバイは炊きたておかゆのような感じだが冷えるとやや固くなり、真夏の夏負けで食欲不振の時にユミスーと食べたあの味は忘れられない。それにお米を少々加えるとなお美味しい。

 ソウスの語源は古語の磨り臼(すりうす)スリウス→スウス→ス→ソウスと変化

ウトゥシイリ=落とし入れ

 幕末の奄美の記録(南島雑話)の食事の蘇鉄粥の項に「落とし入れ」の記録が数カ所に見える。

 ウトゥシイリはヒチィウバイに砂糖を入れて味付けしたおやつのこと。お盆の先祖のお供えには欠かせないおやつの一つ。




 沸騰したお湯の中に小麦粉と砂糖の粉末を徐々に上から落とし入れる、料理方法からでた言葉と思われる。

インニュミ=はったい粉のこと

 小麦粉をケーナビー(鍋の焼けた物、欠け鍋のこと)で炒って焦がし、ソウス(磨り臼 すりうす)で挽き潰し粉末にした物に砂糖を混ぜてそのまま食べる。

 語源は「イン=口に入れる」と「ニュミ=飲み込む」の複合語と考えられる。

 真夏の熱い昼下がり農作業に出かける前ガンマラーの固い葉ですくって食べる。そのうえ木陰の涼しい事も気分を爽快にさせてくれた。

                (文責 西島)

      ●協力者 生 禎蔵、盛 すみ子、安藤 梅本氏●


平成 13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載

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ヒラ・ハルについて

 琉球語で道の勾配を表すヒラ(坂)サカ(坂)トー(平坦地)には特色がある。

 急勾配の坂道があって、それを下から上に登るときは、ヒラ(山川ビラ)と呼び、同じ坂道でも上から下に降りるときは、サカと呼ぶ。

 その昔。山川ビラは急勾配であり素足で荷を負って登る苦しみを

 このひらのきつさ足骨(サブニ)のやむり

   特ちゅり玉子金 のり馬頼(た)んま


と歌っている。

 沖縄では小字のことをハルと言う。原はハルと読み、バル、ハラと変化する。ハルは一般的には畑・耕地のことであるが(喜界もその通りです)

 沖縄ではバル・バリという呼び方は小字名をさすことが多い。

 喜界の耕地名であるハル名はメーバル(前原)ウィーバル(上原)
ニシバル(西原)トゥバル(桃原)など多くあり、特に台地などの高い方をウィーバルという。

 兼久は砂を主とする沖積土壌の方言名であり、同様に海岸地帯の砂丘をなしている沖積地についてもカネクと呼ぶ。

 また、通俗的に馬走(は)らせの馬場であった。

 馬走(は)らち美(す)らさ 嘉鉄長兼久

 舟浮(う)きて  美らさ東(ひが)の港


と八月踊り唄に歌われている。

 ハルの中で最も有名なのが喜界島の湾桃原であろう。湾桃原は喜界一広い畑地で湾当原、湾遠原、湾頭原などの当て字を使っていた。

 琉球圏の中の喜界島も琉球語の本質からして広い台地を桃原と呼称すべきで湾桃原に統一してほしいものである。

                盛山 末吉



         平成13年8月 「上嘉鉄魂」第39号 掲載



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2008年12月28日

上嘉鉄ユミタ

 数年前、関西大学の某教授が上嘉鉄方言の調査に来島された時、小生が案内及び世話を努めた時のこと、

 老婆が次のように話をなされた。

 私が結婚してまもなく

 「ウーダク ヌ ヤーカチ ユミ ナレンカラ マ アッカイー

  シラン クトゥ ヌ ナリンニャ」


 と姑に言われたとの話を聞いて私は「ウーダク」の意味が分からなかった。

 友人に聞いたら資産家のことだと教えてくれた記憶がある。

 当初私は「ウーダク」は「大楽」が語源と思い、資産家に嫁にいけば、何もしないで楽して食べていける意味ではないかと思った。

 然し、姑の言葉を良く考えてみれば私の解釈は当たらない。

 姑の言葉の意味は次のようになる。

「ウーダクの家にきてから、馬が扱えないということが言えるものか」

 といい、姑は「馬ぐらいは女でも扱えるようになれ、でないとこの財産を維持することは不可能だよ」と言っている。

 私が当初考えていた「大楽」どころではない。姑の嫁に対する躾の厳しさが伺える。

 ウー=ウフの略で上代語の「大きい」意味

 ダク=上代語で抱く(うだく・むだく・いだく)

 財産をたくさん持っている「土地・畑を沢山抱いている」ことと解釈すれば姑の言葉の意味が通じる。

 資産家に嫁ぐことは若い娘の憧れでもあっただろうが、それ相当の覚悟も必要であった。

 昔の風潮を知る思いがする。財産を守り増やすためには親は嫁も子どもも甘やかさない一昔前の厳しさを感じた。

          (文責 西島)


      平成13年9月 「上嘉鉄魂」第40号 掲載

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颱風(暴風)

 颱風21号は、あまり大きくなく大きな被害は無いと思っていたが、翌日、野原に出てみたら農作物の塩害が大きく順調に成長していたのが無惨にも一面赤茶けている光景に胸が痛み驚いた。

 江戸時代の私たちの先祖は自給自足の経済生活で貨幣の使用を禁じられ、貿易、商業活動も禁じられていた。

 当時の祖先は颱風による農作物の被害に食料はどのようにして確保しただろうか。

 幕末(1805年)大島代官として赴任した本田孫九郎氏が代官在任中に書いた「大島私考」につぎのような記事がある。

 「1年の食に於けるや夏秋台風一度吹いて、土民困窮し、二度吹いて妻子が離散(身売り)する。三度吹いて飢饉、餓死者が出、廃村となる飢寒の苦しみから免れることは難しい」

 とあり。

 更に喜界島代官記には次のような記事もある。

 「文政9年(1826年)近頃、例を見ない大凶年、春から夏にかけて鹿児島からの引き合い米(年貢を納めて残りの砂糖を藩が全部買いあげて代わりに藩から米を支給する)

  船は僅か三隻、入梅になっても雨は一滴も降らず、餓死寸前に引き合い米積船三隻ようやく5月27日入船し、かろうじて餓死を免れた。

 文政以前に廃村になった集落が19あり、身売り人が多くその分の年貢800石あまりは免除してほしいとの申請をした」

 これらの記事は目もあてられない悲惨そのものだ。徳之島前禄帳や大島代官記にはもっと詳しい記録があるが省略する。

 火事の災害やその他の災害は、1戸乃至数戸で済み皆で助けあうこともできるが、台風の災害は全島あるいは奄美全域に及び互いに助け合う事も不可能、しかも集落全員が餓死に繋がった。

 昔の先祖たちは台風から家を守るためシバナから石を拾い集めて屋敷の回りに高い石垣を積み更にガンマラーを植え、畑の周辺には蘇鉄を植えて台風の被害から農作物を守った。

 それは男の生涯の仕事として長年に渡り子孫のために汗を流し築いた貴重な遺産だが、戦後はいろいろな理由により跡形もなく消えつつあり寂しい感じもし、またそれが世の中の進歩の証だと思ったりもする。

                (文責 西島)


平成13年11月 「上嘉鉄魂」第42号 掲載

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中国の思い出

                 第二中学校1年 友岡 悠輔

 鹿児島県から、16市町村参加している「海外触れ合い事業〜中国交流コース」に喜界町も参加していた。
 
僕は、前から、この事業に参加しようと思っていた。それは、僕のクラスに、この事業に参加した友人が二人もいたからだ。浜上栄治君と栄智奈美さんだ。僕は、この二人から中国の話をいろいろ聞かされていた。しかし、一人で参加するのは、一寸不安なので、2年生の喜浦直希兄さんも誘って応募した。

 すると二人ともチームメンバーに選ばれた。その時分かったのが青年として大友勝仁兄さんも選ばれたということだ。このことを知ってとても気持ちが楽になった。というのは、勝仁兄さんは、英検準1級を持っていると聞いていたからだ。
 
 チーム構成は、チームリーダー1名、青年1名、高校生1名、中学生2名、小学生2名からなる7人だ。この7人で3〜4回チーム別事前研修をしたあと、鹿児島で班別研修をし、一泊して中国へ渡った。
 
 7月31日、この日は、上海雑伎団を見学した。これはかなり目に焼き付いた。ハラハラドキドキの連続だった。「舞台の上では、3分間、舞台の下では、3年間」という格言があるほどに、努力に努力を重ねて、あの舞台に臨んでいるのである。
 
 8月1日 蘇州市に移動。
 蘇州というところは、「天に極楽有れば、地に蘇州・杭州あり」とうたわれるほどの景勝地。市内を200本もの水路が走る。この日は、全体交流会、年代別交流会、交換パーティーをした。いずれも地元の中学生と話すことができた。驚いたことは、日本の中学生以上に英語が上手ということだった。
 
 8月2日、この日程緊張した日はなかった。ホームスティをする日だった。ホームスティ先の村は、農創村という。小さな村だった農創村では、主に米、搾油作物を生産している。村の人々は僕たちを温かく迎えてくれた。
 
 しかし、そこの生活は、日本の生活と大きく違っていた。まず、家に土足で入る、家は上嘉鉄の住宅のように長屋みたいな感じだった。僕が泊まったところは、「王柏根」さんのお家だった。外に出てみると、どちらが川上か、分からない川で、体を洗い、洗濯をし、食べ物を洗っていた。想いも寄らない光景だった。しかし、夕食はとてもおいしかった。 

 ホームスティ先の2階は、日本とごく似ていた。靴をぬいで上がり、板張りの部屋にベッドがあり、クーラー、テレビもついており、とても快適な寝心地だった。
 
 8月3日、とうとう中国を立つ日がやってきた。午前中は買い物をして、午後から乗船した。丸1日は船中ですごした。
 8月4日、川内港が見えたときは、ほっとした。川内港で解散式をして、鹿児島で1泊した。
 
 この研修で友だちをたくさん作ることができ、研修に参加してとても良かった。僕がこの研修に参加できたのは、学校、地域、家族の人々が協力してくれたからだ。このことを忘れずに頑張っていきたい。
 
 僕がこの文を通して、伝えることができたのは、ほんの少しのことだと思う。「百聞は一見にしかず」皆さんも、この事業に参加しよう。きっと心の変化があるはずです。


「上嘉鉄魂 平成14年10月 53号より 掲載」

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