2010年05月13日

第90回、敬老会に思う

 去る1月3日、恒例の敬老会が上嘉鉄小学校体育館で盛大に開催されました。今回は第90回という記念すべき年でしたので集落も記念タオルを作って盛り上げていただきました。

 敬老会は初敬老の方だけの為だけにあるのではないのですが、やはり主役は初敬老者です。今年は該当者は6名でしたが参加されたのはわずか1名でした。

 90回も続いてきた集落の伝統行事、しかも集落民にとっては年始の賀詞交流会も兼ねた意義ある行事。この超多忙な時期に正月早々招待を受けた来賓の方々、主催者である集落役員、青年団そしてさらには祝いの場を盛り上げるため余興の準備や練習に何日も費やしてきた壮年団や婦人会のみなさんのことを考えると確かにもう少し参加者が多くてもよいのでは?と思います。

 「そろそろ形式を検討する時期では?」

との意見が多く出ていることから、今回は「余計なお節介」と批判されることを覚悟で敬老会について皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 その前に、先日小野津の友人より興味深い話を聞きましたのでご紹介します。

 近年小野津でも島外で子や孫そして兄弟姉妹と祝う人が多くなり小学校体育館で行われる敬老会はここ3年間初敬老者無しで行っていたそうです。

 昨年8月、初敬老者6名の内4名が

「子どもたちや集落民に負担をかけないでお祝いができないか?」

 話し合いました。

 そして新しい企画を集落常会にはかり承認をもらいました。その企画とは例年通り小学校体育館で敬老会を開いてもらった後、場所を神宮公民館に移して午後5時から9時まで合同で自分たちの敬老祝いをしようというものでした。

 両区長に7日前、3日前そして前日と集落放送で「合同案内」をしたところ137名も参加してくれたそうです。

 初敬老者6命中4名がこの合同祝いを主催(1名は島外へ1名は自宅でお祝いをしたそうです)

 お客からは500円の会費を頂き、盛り皿、お酒、カラオケ等を準備。かかった費用は4名で負担しあいました。

 当初は会費なしにしようとも考えていたそうですが、お互い気兼ねしないように会費制にしたとのこと。

 前日は婦人会の皆さんがテーブルセット等を手伝い、当日は新成人の若者や還暦組も合流し歌や踊りで大変な盛り上がりだったとのことでした。

 初敬老者からは、金箔吟醸酒3本がお客様に振る舞われ、盛り皿も小皿に小分けして配り、お祝いにきていただいたお客さんからも

「いいことをしてくれた。何軒も家を回らずに同時に初敬老者のお祝いをすることができて良かった。来年も是非!」

 等多くの方々に喜んで頂き大変好評だったそうです。

 小野津集落の場合は初敬老を迎えるご本人から合同二次会を企画し集落が協力する新しい形を創り上げました。本当に余計なお節介ですが伝統ある上嘉鉄敬老会を更に盛り上げるため、90回を迎えたこの節目の年に来年初敬老を皆さんと集落代表の皆さん双方が同じ目標のために協力してよりよい方法を創りあげては如何でしょうか。

 時代が変わり、男性のみならずご婦人方も敬老会の翌日から出勤という方も多くなり、主役である本人よりむしろ家族の苦労を考え島外でのお祝いに代える方が多いとも聞きます。

 そうした時代の変化の中、形を変えても残すべき行事の意義を次の世代へと伝えるきっっかけになればと思います。

 時間が経ち過ぎて申し訳ありませんが、今回のテーマに関連して初敬老者代表であいさつをされた上嘉鉄東の前島ミエ子さんの同意を得てあいさつ文を掲載いたします。

  2010.05.12付けの記事はこちら

 ■ 初敬老代表挨拶 ■
        前島 ミエ子(上嘉鉄東)
ラベル:敬老会
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2010年05月12日

2010年の初敬老の挨拶です。

  初敬老代表あいさつ
       平成22年12月1月3日

                    前島 ミエ子(上東)

 初敬老を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。本日は私たちのために心温まる敬老会を催していただきまして誠にありがとうございます。

 私たちは昭和16年、ちょうど太平洋戦争勃発の年に生まれました。戦時中の事はよく覚えておりませんが、終戦後の奄美群島は米軍支配下となり、これまで使用していた日本の紙幣が使えなくなってB円に切り替えしていた事だけが今でも記憶にあります。

 昭和28年12月25日、奄美群島は祖国日本へ復帰することができました。その当時私たちは小学5年生でした。小学生から一般の大人まで、大勢の校区民が第二中学校の校庭に集まって

「奄美群島、日本復帰バンザイ」

と叫びながらお互いに喜びを分かち合い、その後集落内を提灯行列したことを今でも鮮明に覚えております。

 その当時の暮らしは貧しく、裸足の通学でしたが、私たちが中学生の頃には制服や運動靴を履いて通学できるようになりました。

 今思えばこれも先輩方の献身的な努力のお陰だと心から感謝申し上げます。昭和32年、私たちは第二中学校を卒業致しました。その当時は上嘉鉄だけでも19名の同窓生がいましたが、現在地元に残っているのは6名だけになりました。

 その同窓生も本日それぞれの都合により出席しておりませんが、私たちが元気で頑張って来られたのも先輩方や集落の皆様方の温かいご指導のお陰だと心から感謝申し上げます。

 今日から私たちも敬老者の仲間入りをすることになりました。どうぞ変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたが、本日はご来賓の皆様、区長様、青年団。3集落の壮年団、婦人会そして集落の皆様、誠にありがとうございました。簡単ではございますが、お礼の言葉とさせていただきます。

  <今日の本の紹介>

喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
ラベル:前島ミエ子
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2010年05月11日

巻頭言

上嘉鉄魂129号 (平成22年4月12日)

 西島常吉編集長を中心に毎月定期に発行していた上嘉鉄魂ですが、昨年4月発行の第128号以来編集長の体調不良から休刊しておりました。上嘉鉄魂の塊ともいえる編集長の熱い思いを受け継ぐことができず編集委員一同申し訳なく思っておりましたが、このたび装いも新たに復刊することができました。

 とは言っても、編集員が若返った分、働き盛りの40〜50歳代が多い上、公私ともに多忙なため不定期発行となると思います。読者の皆様もあまり期待せずに読んでいただければ幸いです。

 これまで同様、地元上嘉鉄からいろんな情報を発信していきたいと思いますが島内外の上嘉鉄ゆかりの多くの方々にも幅広い視点から話題の提供や問題提起をして頂きたいと思いますので、どうぞお気軽に原稿をお寄せ下さいますようお願いいたします。

 原稿は手書き、ワープロ書き等どんな形でも結構ですが電子メールで送っていただきますと編集員が非常に助かります。

 例のアドレスまで送付して頂けるとありがたいです。

 配布方法はこれまで同様区長さん、組長さんにお願いして全戸配布していただきますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 また上嘉鉄魂は広告収入を得ず読者の皆様の善意で運営して参りました。。これまで同様、記事の内容に共感を持ち、発行にご賛同頂けるようでしたら皆様方の善意をお寄せくださいますようお願い申し上げます。

 弊紙が集落の新聞として地域づくりに役立つことを願いつつ・・・
                    
                          (編集部)

奄美、沖縄、本の旅―南島本、とっておきの七十冊
奄美、沖縄、本の旅―南島本、とっておきの七十冊 
 
ラベル:巻頭言
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2009年04月25日

「上嘉鉄魂」第66号より

■ 福岡輝一郎氏  町固定資産税審議委員に

 固定資産税新議員は固定資産(土地・家屋・機械等)の適正評価を決める機関、固定資産は年数の経過と共に評価が軽減されるので評価の見直しを審議することを主目的とする機関

 町長が選任し、議会の議決が必要。

 任期は3年、喜界町では各中学校から1名選任される。おめでとうございます。

 しっかり頑張ってください。


■ 生島常範氏 町財政改革推進委員に任命

 我が喜界町では他市町村と合併しないで自立の道を選択したので現行の行政改革大綱の見直しを行わざるを得なくなっています。

 民間人で組織する喜界町財政改革推進委員(15名)に上嘉鉄から生島常範氏が選任されました。

 主な仕事は、

 役場内で検討された行政改革案を審議することですが、事務事業の見直し、組織機構改革見直しなど、大きな問題ばかりです。


 無駄を省きながら、住民サービスの充実を目ざしていますが、皆が少しずつ我慢しなければならなくなります。

 今までの考えを変えて、身の丈に合った「自立できる喜界町」にしなければなりません。

 会議は毎月1回のペースで行われ、来年1月に町長に答申します。集落の皆さん、出郷者の皆さんもお気軽にご意見をお寄せください。

                     (生島 常範)

■ 新装となった天理教上界分教会


 上嘉鉄の天理教上界分教会は、初代西岡時仙翁(西岡秀道氏の曾祖父)が大正9年11月に開基。この度新築改装となった。

 二代目西岡又七会長が昭和30年ころ改築して以来である。

 新築された教会は従前の建物より一回り大きく、棟梁福岡輝一郎氏の技術の粋を結集した建築、その上近代的設備を要所に整えた快適な教会だ。

 去る10月1日、信者多数見守るなかで大教会長様を初め役員の方々によって親神様、教祖、御霊の御鎮座祭を執り行い、めでたくお鎮まり遊ばされた。



平成15年 11月「上嘉鉄魂」第66号 掲載


 
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2009年04月05日

ふるさと U・・・秋田 秋貞

 これらの人ばかりでなく、私をはじめ島をはなれて島外に居住している人に共通する。その証に各地で郷友会を結成して互いの親睦と郷愁の念を一つにしている。

 かつて私の父は

「どこで暮らしてもよいが、生まれ島は忘れるな」

が口癖で私に対する生遺言でもある。父の一家は、明治33年父16歳の時、土地を処分し種子島に農業移民として島をはなれたという。

 父はどうしてか、自分の生い立ちや過去(47,8年)について一切私たち子どもに話さなかった。

 父が自分のことについて語るのは、上嘉鉄の駐在所に赴任して来る警察官が警察の先輩として表敬挨拶に来訪する時に語るのみであった。

 曰く「明治37、8年の日露戦争に従軍、乃木大将の部下として旅順攻略に参戦。その後35歳の警察官試験制限年齢で合格、種子島署に勤務しながら警察官採用の試験管として地方廻りををした。

 その後大阪府警に転勤、敏腕刑事として数々の表彰を受けた」

 これが誇らしげに語る父の姿であった。その父が8カ年で退職し48歳?で帰郷、親子ほどの年差(24歳年下)の母と結婚、農業を営んだ。(ちなみに父は二度も離婚していた)島をはなれて32,3年振りに裸一貫、帰郷している。

 農業するなら自ら好んで移住した種子島に帰ればよいのに何故だろうか。つまり父の心の行きつくところは、ふるさと生まれ島だったのだ。

 人生の喜怒哀楽の中に、ふるさとが見える。私もいつか島に帰りたいと思っている。子どもは往々にして親と同じ道を歩むのかもしれない。

 折々の村祭りの六月灯、八月ウンミ、九月ウンミの太鼓の音や唄が脳裏に浮かんで来る。

 私は嬉しさにつけ悲しさにつけ、ふるさとを偲んで小学校唱歌の「ふるさと」を口ずさんでいる。そしてわがふるさとの弥栄を祈っている。島からは、「上嘉鉄魂」が毎月ふるさとの新しい香りを運んできてくれる。

 ふらさとを愛する編集委員の有志に感謝を表したい。

 上嘉鉄魂の発案者であり、八月踊り唄保存会の世話人の生島常範君という情熱的で頼もしい青年がいる。わがふるさと上嘉鉄の星である。誇りである有り難う。

「つつがなしや友がき、雨に風につけても思いいずるふるさと」

 これが私の心の行きつくところである。島人(しまんちゅ)のご健康とふるさとの弥栄を祈る。

                沖縄県宜野湾市赤道 在住 秋田 秋貞



奄美方言―八つの島の五つの言葉七つの呼名 カナ文字での書き方
奄美方言―八つの島の五つの言葉七つの呼名 カナ文字での書き方
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2010年05月13日

第90回、敬老会に思う

 去る1月3日、恒例の敬老会が上嘉鉄小学校体育館で盛大に開催されました。今回は第90回という記念すべき年でしたので集落も記念タオルを作って盛り上げていただきました。

 敬老会は初敬老の方だけの為だけにあるのではないのですが、やはり主役は初敬老者です。今年は該当者は6名でしたが参加されたのはわずか1名でした。

 90回も続いてきた集落の伝統行事、しかも集落民にとっては年始の賀詞交流会も兼ねた意義ある行事。この超多忙な時期に正月早々招待を受けた来賓の方々、主催者である集落役員、青年団そしてさらには祝いの場を盛り上げるため余興の準備や練習に何日も費やしてきた壮年団や婦人会のみなさんのことを考えると確かにもう少し参加者が多くてもよいのでは?と思います。

 「そろそろ形式を検討する時期では?」

との意見が多く出ていることから、今回は「余計なお節介」と批判されることを覚悟で敬老会について皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 その前に、先日小野津の友人より興味深い話を聞きましたのでご紹介します。

 近年小野津でも島外で子や孫そして兄弟姉妹と祝う人が多くなり小学校体育館で行われる敬老会はここ3年間初敬老者無しで行っていたそうです。

 昨年8月、初敬老者6名の内4名が

「子どもたちや集落民に負担をかけないでお祝いができないか?」

 話し合いました。

 そして新しい企画を集落常会にはかり承認をもらいました。その企画とは例年通り小学校体育館で敬老会を開いてもらった後、場所を神宮公民館に移して午後5時から9時まで合同で自分たちの敬老祝いをしようというものでした。

 両区長に7日前、3日前そして前日と集落放送で「合同案内」をしたところ137名も参加してくれたそうです。

 初敬老者6命中4名がこの合同祝いを主催(1名は島外へ1名は自宅でお祝いをしたそうです)

 お客からは500円の会費を頂き、盛り皿、お酒、カラオケ等を準備。かかった費用は4名で負担しあいました。

 当初は会費なしにしようとも考えていたそうですが、お互い気兼ねしないように会費制にしたとのこと。

 前日は婦人会の皆さんがテーブルセット等を手伝い、当日は新成人の若者や還暦組も合流し歌や踊りで大変な盛り上がりだったとのことでした。

 初敬老者からは、金箔吟醸酒3本がお客様に振る舞われ、盛り皿も小皿に小分けして配り、お祝いにきていただいたお客さんからも

「いいことをしてくれた。何軒も家を回らずに同時に初敬老者のお祝いをすることができて良かった。来年も是非!」

 等多くの方々に喜んで頂き大変好評だったそうです。

 小野津集落の場合は初敬老を迎えるご本人から合同二次会を企画し集落が協力する新しい形を創り上げました。本当に余計なお節介ですが伝統ある上嘉鉄敬老会を更に盛り上げるため、90回を迎えたこの節目の年に来年初敬老を皆さんと集落代表の皆さん双方が同じ目標のために協力してよりよい方法を創りあげては如何でしょうか。

 時代が変わり、男性のみならずご婦人方も敬老会の翌日から出勤という方も多くなり、主役である本人よりむしろ家族の苦労を考え島外でのお祝いに代える方が多いとも聞きます。

 そうした時代の変化の中、形を変えても残すべき行事の意義を次の世代へと伝えるきっっかけになればと思います。

 時間が経ち過ぎて申し訳ありませんが、今回のテーマに関連して初敬老者代表であいさつをされた上嘉鉄東の前島ミエ子さんの同意を得てあいさつ文を掲載いたします。

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 ■ 初敬老代表挨拶 ■
        前島 ミエ子(上嘉鉄東)
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2010年05月12日

2010年の初敬老の挨拶です。

  初敬老代表あいさつ
       平成22年12月1月3日

                    前島 ミエ子(上東)

 初敬老を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。本日は私たちのために心温まる敬老会を催していただきまして誠にありがとうございます。

 私たちは昭和16年、ちょうど太平洋戦争勃発の年に生まれました。戦時中の事はよく覚えておりませんが、終戦後の奄美群島は米軍支配下となり、これまで使用していた日本の紙幣が使えなくなってB円に切り替えしていた事だけが今でも記憶にあります。

 昭和28年12月25日、奄美群島は祖国日本へ復帰することができました。その当時私たちは小学5年生でした。小学生から一般の大人まで、大勢の校区民が第二中学校の校庭に集まって

「奄美群島、日本復帰バンザイ」

と叫びながらお互いに喜びを分かち合い、その後集落内を提灯行列したことを今でも鮮明に覚えております。

 その当時の暮らしは貧しく、裸足の通学でしたが、私たちが中学生の頃には制服や運動靴を履いて通学できるようになりました。

 今思えばこれも先輩方の献身的な努力のお陰だと心から感謝申し上げます。昭和32年、私たちは第二中学校を卒業致しました。その当時は上嘉鉄だけでも19名の同窓生がいましたが、現在地元に残っているのは6名だけになりました。

 その同窓生も本日それぞれの都合により出席しておりませんが、私たちが元気で頑張って来られたのも先輩方や集落の皆様方の温かいご指導のお陰だと心から感謝申し上げます。

 今日から私たちも敬老者の仲間入りをすることになりました。どうぞ変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたが、本日はご来賓の皆様、区長様、青年団。3集落の壮年団、婦人会そして集落の皆様、誠にありがとうございました。簡単ではございますが、お礼の言葉とさせていただきます。

  <今日の本の紹介>

喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
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ラベル:前島ミエ子
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2010年05月11日

巻頭言

上嘉鉄魂129号 (平成22年4月12日)

 西島常吉編集長を中心に毎月定期に発行していた上嘉鉄魂ですが、昨年4月発行の第128号以来編集長の体調不良から休刊しておりました。上嘉鉄魂の塊ともいえる編集長の熱い思いを受け継ぐことができず編集委員一同申し訳なく思っておりましたが、このたび装いも新たに復刊することができました。

 とは言っても、編集員が若返った分、働き盛りの40〜50歳代が多い上、公私ともに多忙なため不定期発行となると思います。読者の皆様もあまり期待せずに読んでいただければ幸いです。

 これまで同様、地元上嘉鉄からいろんな情報を発信していきたいと思いますが島内外の上嘉鉄ゆかりの多くの方々にも幅広い視点から話題の提供や問題提起をして頂きたいと思いますので、どうぞお気軽に原稿をお寄せ下さいますようお願いいたします。

 原稿は手書き、ワープロ書き等どんな形でも結構ですが電子メールで送っていただきますと編集員が非常に助かります。

 例のアドレスまで送付して頂けるとありがたいです。

 配布方法はこれまで同様区長さん、組長さんにお願いして全戸配布していただきますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 また上嘉鉄魂は広告収入を得ず読者の皆様の善意で運営して参りました。。これまで同様、記事の内容に共感を持ち、発行にご賛同頂けるようでしたら皆様方の善意をお寄せくださいますようお願い申し上げます。

 弊紙が集落の新聞として地域づくりに役立つことを願いつつ・・・
                    
                          (編集部)

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2009年04月25日

「上嘉鉄魂」第66号より

■ 福岡輝一郎氏  町固定資産税審議委員に

 固定資産税新議員は固定資産(土地・家屋・機械等)の適正評価を決める機関、固定資産は年数の経過と共に評価が軽減されるので評価の見直しを審議することを主目的とする機関

 町長が選任し、議会の議決が必要。

 任期は3年、喜界町では各中学校から1名選任される。おめでとうございます。

 しっかり頑張ってください。


■ 生島常範氏 町財政改革推進委員に任命

 我が喜界町では他市町村と合併しないで自立の道を選択したので現行の行政改革大綱の見直しを行わざるを得なくなっています。

 民間人で組織する喜界町財政改革推進委員(15名)に上嘉鉄から生島常範氏が選任されました。

 主な仕事は、

 役場内で検討された行政改革案を審議することですが、事務事業の見直し、組織機構改革見直しなど、大きな問題ばかりです。


 無駄を省きながら、住民サービスの充実を目ざしていますが、皆が少しずつ我慢しなければならなくなります。

 今までの考えを変えて、身の丈に合った「自立できる喜界町」にしなければなりません。

 会議は毎月1回のペースで行われ、来年1月に町長に答申します。集落の皆さん、出郷者の皆さんもお気軽にご意見をお寄せください。

                     (生島 常範)

■ 新装となった天理教上界分教会


 上嘉鉄の天理教上界分教会は、初代西岡時仙翁(西岡秀道氏の曾祖父)が大正9年11月に開基。この度新築改装となった。

 二代目西岡又七会長が昭和30年ころ改築して以来である。

 新築された教会は従前の建物より一回り大きく、棟梁福岡輝一郎氏の技術の粋を結集した建築、その上近代的設備を要所に整えた快適な教会だ。

 去る10月1日、信者多数見守るなかで大教会長様を初め役員の方々によって親神様、教祖、御霊の御鎮座祭を執り行い、めでたくお鎮まり遊ばされた。



平成15年 11月「上嘉鉄魂」第66号 掲載


 
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2009年04月05日

ふるさと U・・・秋田 秋貞

 これらの人ばかりでなく、私をはじめ島をはなれて島外に居住している人に共通する。その証に各地で郷友会を結成して互いの親睦と郷愁の念を一つにしている。

 かつて私の父は

「どこで暮らしてもよいが、生まれ島は忘れるな」

が口癖で私に対する生遺言でもある。父の一家は、明治33年父16歳の時、土地を処分し種子島に農業移民として島をはなれたという。

 父はどうしてか、自分の生い立ちや過去(47,8年)について一切私たち子どもに話さなかった。

 父が自分のことについて語るのは、上嘉鉄の駐在所に赴任して来る警察官が警察の先輩として表敬挨拶に来訪する時に語るのみであった。

 曰く「明治37、8年の日露戦争に従軍、乃木大将の部下として旅順攻略に参戦。その後35歳の警察官試験制限年齢で合格、種子島署に勤務しながら警察官採用の試験管として地方廻りををした。

 その後大阪府警に転勤、敏腕刑事として数々の表彰を受けた」

 これが誇らしげに語る父の姿であった。その父が8カ年で退職し48歳?で帰郷、親子ほどの年差(24歳年下)の母と結婚、農業を営んだ。(ちなみに父は二度も離婚していた)島をはなれて32,3年振りに裸一貫、帰郷している。

 農業するなら自ら好んで移住した種子島に帰ればよいのに何故だろうか。つまり父の心の行きつくところは、ふるさと生まれ島だったのだ。

 人生の喜怒哀楽の中に、ふるさとが見える。私もいつか島に帰りたいと思っている。子どもは往々にして親と同じ道を歩むのかもしれない。

 折々の村祭りの六月灯、八月ウンミ、九月ウンミの太鼓の音や唄が脳裏に浮かんで来る。

 私は嬉しさにつけ悲しさにつけ、ふるさとを偲んで小学校唱歌の「ふるさと」を口ずさんでいる。そしてわがふるさとの弥栄を祈っている。島からは、「上嘉鉄魂」が毎月ふるさとの新しい香りを運んできてくれる。

 ふらさとを愛する編集委員の有志に感謝を表したい。

 上嘉鉄魂の発案者であり、八月踊り唄保存会の世話人の生島常範君という情熱的で頼もしい青年がいる。わがふるさと上嘉鉄の星である。誇りである有り難う。

「つつがなしや友がき、雨に風につけても思いいずるふるさと」

 これが私の心の行きつくところである。島人(しまんちゅ)のご健康とふるさとの弥栄を祈る。

                沖縄県宜野湾市赤道 在住 秋田 秋貞



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